第2話 チセ―Remember Me/03 赤い空
【Present Day】
空中に、地平に、処理機関が発生させる光がいくつも帯を引いている。
人の世界で生きるようになり、この光はもう日常だ。
あの日見た光は、何倍も大きなものだった。
あの光はおそらくこのコード・ベースの発生させる干渉光がエクス=ルクス周囲の何かと影響しあった現象なのだろう。
そんなことを考えているうちに、貨物エレベーターが、低い振動音を立てて停止する。
わたしは、ゆっくりと瞬きをした。
どこか遠い記憶。
けれど、それを追いかけるには、時間が足りなかった。
「さて…… 行こう」
わたしは一度息を吐き、歩き出す。
わたしたちの船であるジクサーがすぐそこだ。
停泊している波止場に入ると、既にアルマナックのメンバーたちが動き始めていた。
データのチェックと補修が進んでいる。
そのたびに、スパークする火花のような瞬き、プロセスチェックのたびに低く駆動音が唸る。
ジクサーの甲板には、アジエが腕を組みながら、スミーと何やら話し込んでいた。
アジエ・ジンガノはアルマナックのメカニックのチーフだ。
メカニックの多くは彼女のことを機関長と呼ぶが、わたしはアジエと呼んでいる。
一部のメンバーは陰でママ・アジエと呼んでるらしい。
でも、アジエはママと呼ばれるとものすごい怒る。
……まあ、それでも困ってるやつを見捨てることはない。
だからこそ、みんな陰でそう呼ぶのだろう。
わたしよりもずっと背が高く、特徴的な房のような頭髪がキャップからはみ出して垂れている。
ドレッドロックスという髪型。
濃い褐色の肌と目尻がキュッと上がったアーモンド型の目、しなやかな体のライン――。
黒豹という生き物を連想させる。
スミーはAIだ。
柳橋が捨てられたテリトリーの要人警護用のSPモジュールをレストアしたものらしい。
アルマナックではリーダーの用心棒兼、一等航海士。
ジクサーの操舵はスミーがしている。
でもアジエが言うには、リーダーのレストアは雑すぎて、「アバターがまるでガキの落書きレベルだった」と怒っていたらしい。
結局、呆れたアジエが今のスミーのアバターを仕上げたと聞いている。
背の高いアジエよりも頭3つ分大きい、赤銅色のボディ。
ゴツゴツとした分厚い装甲に、太い手足。
顔は四角いパーツに、上下に並ぶツインアイ。
肩や関節にはむき出しのギアやシリンダーが組み込まれていて、見た目はゴツいけど、動きは無駄なく滑らかだ。
スチームパンクデザインというらしい。
見上げていたわたしにアジエが気がついた。
余裕ありげに顎をしゃくる。
「Yo! チセ! 遅かったじゃんよ。」
アジエが顎でこちらを指す。
わたしは挨拶がわりに手をあげた。
「来たそうそう悪いけど、CFのほうやっつけておくれ。 バカの宿六のおかげでケツカッちんだ。 ガキども来る前に終わらせたい」
CFはコード・フレームワークの略称だ。
ついでにバカの宿六とはリーダーのことだ。
アジエはリーダーのことをよくそう呼ぶ。
他にはバシとも呼ぶ。
リーダーをそう呼べるのはアジエだけだ。
わたしはあげた手の平の人差し指と親指で丸を作って答えた。
親指を立て、アジエはウィンクで返してきた。
次の瞬間、スミーに向き直り、目を吊り上げる。
「Hey! スミー。 バシに言っときな、何も出なかったらブッコロス!」
スミーはやれやれというジェスチャーをした。
「アイアイ、キャプテンに伝えとくよ」
そう言うと、ガッシャガシャと音を立てながらブリッジの方へと戻っていく。
アジエも「フンっ!」と鼻を鳴らし、機関室の方へ踵を返していた。
さあ、わたしも仕事に取りかかろう。
ロッカールームに入り、作業服を手に取る。
カジュアルな服装から、メカニック用のジャンプスーツへと着替える。
前を開いて袖を通し、ジッパーを上げる。
本当なら、こんな手間はいらない。
わたしなら、データを操作して、一瞬で服装を切り替えられる。
でも、それは違う気がする。
布の感触、ジッパーの音、締まる感覚―― わたしは、それが好きだ。
こういう変化を、わざわざ手で行うことで、自分がこの場所にいることを確かめられる。
CFハンガーに足を踏み入れた瞬間、わたしは目の前にそびえる巨体を見上げる。
整然と並ぶコード・フレームワークの影。
わたしが手を入れる機体―― 三体の巨人。
CF―― コード・フレームワーク。
全高十五メートルから三十メートル、人型でパイロットが乗り込む形で操作する、インター・ヴァーチュアにおける身体拡張プログラム。
ようするに、人型の機械……乗り物だ。
整備用プラットフォームに登り、情報を呼び出した。
空間に浮かび上がるディスプレイにはコード・フレームワークの状態データが表示される。
TEMP領域の余裕率。
関節部の応答速度処理。
フレームのデータ摩耗率――。
それらの数値を見ながら、片手を宙に掲げる。
指先でコードを直接呼び出し、空中にデータのフレームが展開される。
「右膝のアクチュエーター、遅延……」
原因は明白だった。
非同期処理の考慮不足で作られたゴミファイルによる圧迫。
動作範囲の微調整不足、それから―― コードの記述ミス。
わずかなズレが機体のパフォーマンスに致命的な影響を与える。
指を動かしデータラインを書き換える。
修正した瞬間、機体の応答がわずかに変化する。
センサーが揺れて関節部の駆動音が微かに変わる。
手のひらの操作でコードの断片が浮かび上がりエラー部分を修正するたびに機体の応答が変化していく。
最小限の調整で、最大限の効率を引き出すこと――。
それが、わたしにとってのメンテナンスだった。
「……よし」
機体の外装パネルを外し、内部に絡み合う配線とシリンダーを覗き込む。
そのとき―― ふと、視界が揺れた。
【Flashback】
空が赤い。
それは、ただの夕焼けではなかった。
不自然なほどに、焼けつくような色だった。
影が揺れる。
巨大なシルエットが、空を切り裂くように進んでくる。
それは、空に浮かぶ黒い影。
星明かりさえ覆い隠し、虚空に沈むような暗黒の塊。
その瞬間―― 光が降る。
轟音が空間を引き裂き、圧縮されたエネルギーが降り注ぐ。
振動が地面を這い、データの波が耳鳴りのように軋む。
「――――――ッ!」
風が巻き起こる。
熱と衝撃波が、津波のように押し寄せ、すべてをなぎ払っていく。
爆発の閃光が広がる中でノイズのように情報が乱れ、音が途切れる。
エクス=ルクスの構造体が、一瞬で崩壊する。
(……何が……起こってる……?)
データの波が歪み、光が走る。
目の前の建物が、存在ごと削除される。
「チセ!」
担当の声が、意識の奥で直接響く。
耳ではなく、波として伝わる緊急信号。
「今すぐ、ここを離れろ!」
視界が混乱する。
崩壊する街、破壊される仲間たち。
その上空―― 爆炎の向こうに、黒いシルエットが見えた。
それは黒い巨人だった。
太く、分厚い装甲。
鋼鉄の塊のような、重くのしかかる巨体。
異様に大きな腕、その先には回転する銃身が見える。
黒い影が跳ぶ。あの音――。
腹の奥まで響く、重い律動の駆動音。
金属が擦れるような甲高い起動音と混ざり合う。
その瞬間、データの波が乱れ、視界が歪む。
あの音が聞こえたときには、もう遅い。
「チセ!」
担当が、わたしの腕を掴んだ。
「走れ!」
視界の端で、黒い巨人が跳躍するのを見た。
巨体とは思えない速度で、こちらへ向かってくる。
データを食らう怪物みたいに、あの重低音を響かせて……。
爆炎が広がる。
データの波が狂い、周囲の構造体が次々と崩壊していく。
わたしはただ、走った。
どこへ向かうのかも分からない。
ただ、担当に手を引かれながら、光と衝撃の間を駆け抜ける。
目の前の道が裂ける。
建造物が崩れ、崖のように陥没する。
「こっちだ!」
担当がわたしを引っ張る。
視界の端で、黒い巨人が動いた。
振り向いた瞬間、あの視線がこちらを捉えたような気がした。
――ありえない。
けれど、ゾワリと背筋を駆け上がる感覚が残る。
分厚い装甲が軋み、鈍く光を反射する。
その瞬間、地面が震え、次の一撃を放つために姿勢を変えるのが見えた。
(……ダメだ、間に合わない)
「チセ! 行け!」
担当が、手を離した。
「え……?」
その瞬間、担当の姿が光に包まれた。
かつて、わたしは光を紡ぎ、言葉を伝えた。
でも、あの時の光は違った。
すべてを奪い、断ち切る光だった。
「――――――!」
消失する存在。
断裂する波。
伝達が途切れる。
わたしの中の何かが引き裂かれる。
【Present Day】
「……ッ!」
はっと息を呑んで我に還る。
視界に広がるのは、コード・フレームワークの内部。
光を反射する金属、整然と並ぶ配線に見えるが、実際にはコードの塊だ。
「………………」
自分の手が震えていることに気づく。
「行け!」――。
その声が意識の奥で反響しかすかに残る。
あの黒い巨人の起動音もまだどこかで聞こえる気がする。
幻聴なのか、記録の残響なのかそれはわからない。
けれど、その声はまだ耳の奥にこびりついていた。
過去のデータが錯綜し意識の奥で波打っている。
(もう、過去は過去……)
深く息を吐き、意識を作業に戻す。
わたしは端末を見下ろし、指を動かす。
プログラムを修正すること、それは……わたしができること。
コードの記述を進めながら、余計な思考を削ぎ落としていく。
わたしは、ただ今の仕事をするだけ。
それが、今のわたしの生き方だから。
過去は過去と思う。
でも、手のひらにはわずかに震えが残っている。
それがデータのバグなのか、わたしの中の何かなのかはまだわからない。
(修正完了――エラークリア)
画面には正常な数値が並ぶ。
それなのに、わたしの指先の感覚は、どこかズレている気がした。




