第3話 No one knows/02
◼︎ ◼︎
ネクサス・リンク移動中のデジタル空間船 ジクサー アジエの私室
ブリーフィングが終わり、チセはジクサーのアジエの個室に連れてこられていた。
アジエはクローゼットを開き、一繋ぎのウェアを引っ張り出すと、そのままチセの手の上に置いた。
滑らかなのに鈍い質感を放ち、手触りはしなやかで、それでいて確かな強度を感じさせる。
そして何よりも、ずっしりと重い。
「また、お古だけどさ。 それ、やるよ」
「これ…… 何?」
チセが戸惑いながら表面を撫でる。
黒地にパープルのライン。形は違うが、素材は悠たちが着ているジャケットとよく似ていた。
「ライディングスーツ。 いわゆる革ツナギね。 聞いたでしょ? CFに乗んだから、それなりのもん着るの」
チセは首を傾げた。
これまでも仕事で同乗したことはある。
さすがにスカートというわけにはいかなかったが、こんな重々しいものを着た記憶はない。
「これ…… 着なきゃダメ?」
微かに残るワックスの匂いに、思わず顔を顰める。
アジエは一瞬だけチセを見てから、短く言った。
「ダメ。 今回は乗るだけの仕事じゃないから」
そう言って、チセの手の上の革ツナギをひょいと持ち上げる。
「準備は過剰なくらいでちょうどいいの。 ……ほら、着せてやるから脱ぎな」
「ええぇ?」
「下着になるの。 これ、けっこうピッチリくるから、最初はコツいるんだよ」
ジロリ、とアジエの視線が刺さる。
「……うぅぅ」
その目は完全に、逆らったら剥くと言っている。
いつぞやの風呂の時と同じく、チセは悟り、諦め混じりに服へ手を伸ばした。
「まずは、足を入れる」
首元から腹部にかけて走る、頑丈そうなジッパーを下ろす。
上半身を裏返すようにして、アジエは下着姿になったチセへ革ツナギを差し出した。
肉厚な革の質感も相まって、裏返しのスーツは、どこか剥ぎ取られた皮膚のようにも見える。
少しばかり、グロテスクだ。
チセはそれを手に取り、しばらく眉を寄せたまま固まっていたが、じっと見据えてくるアジエの圧に抗えず、意を決して右足を突っ込んだ。
足首に、ひやりとした革の感触が伝わる。
その冷たさが、ぞわりと背中の方まで駆け上がった。
続けて左足も入れ、腰の部分を掴んで引き上げる。
ふくらはぎから腿にかけて、ぎゅうぎゅうと締め付けられた。
(……確かに、キツい)
腰まで引き上げたものの、ジッパーを下ろされた上半身は、背中側でだらりと垂れ下がっている。
(これを、どうしろと……)
肩越しにそれを見つめ、初めてのタイプの服に戸惑っていると、背後に回ったアジエが、襟首をひょいと掴み上げた。
「ほれ。 どっちでもいいから、腕を袖に突っ込む」
左肩を押さえられ、右腕を通す。
だが、手首の辺りで引っかかり、外に出ない。
「あー、ごめんごめん。 ここ、開かないとね」
手首にも小さなジッパーがあり、アジエが前腕に沿って下ろすと、スポッと手が抜けた。
ジッパーを戻すと、再びきっちりと固定される。
左腕も同じように通し終えると、アジエはチセを正面に向かせ、へその辺りまで下がっていたフロントジッパーを、首元まで一気に引き上げた。
強く引かれた勢いで、チセは一瞬、爪先立ちになる。
背中や腹部に触れる革は冷たい。
だが、胸元と肩口に、妙な違和感があった。
「……アジエさ。 これ、なんか緩くない?」
胸と肩の辺りが、明らかに余っている。
ピッチピチだと言われていたが、どう見てもアジエのサイズだ。
「それな。 首のところ、指でなぞってみな」
言われるまま襟元を探ると、ボタンのような突起に触れた。
「これ……?」
「あー、それそれ。 押してみ」
人差し指で押し込む。
プシュー、と空気が抜けるような音がして、余っていた部分が一気に体に吸い付いた。
「むぎゅ……っ、いたたた……!」
腰、二の腕、胸、首。
一斉に圧迫され、自然と胸が開き、背中が引っ張られるように反り返る。
まるで、全身を強くラップで巻かれたみたいだ。
最後に、もう一度プシューという音がして、圧がわずかに緩む。
「ちょっと…… 何よ、これ……」
「全身で血圧測られてるみてぇだろ。 まあ、最初だけよ」
楽しそうに言うアジエを、チセは睨んだ。
「ほれ。 具合はどう?」
「……なんか、めっちゃ張り付いてる」
胸や腹部もそうだが、特に股の辺りが落ち着かない。
こんなに密着する服は初めてで、思わず足がそわそわと動く。
「なんで、こんなの着なきゃいけないの?」
「CFの中で、唯一身を守ってくれるのがウェアなんだぞ」
腕を組んで、アジエが顔を近づける。
その迫力に、チセはわずかに身を引いた。
「シートに跨るくせに、体すら固定しねぇんだ。 投げ出されりゃ、終わりだろ」
いつになく真面目な口調だ。
「このウェアはな、衝撃も吸収するし、破片が飛んできても弾いてくれる」
肩を指で軽く突かれる。
感触は鈍いが、確かにある。
見た目だけでは想像しにくいが、この革ツナギが持つデータ密度は、はっきりと感じ取れた。
悠やライノ、ケイトが着ているジャケットやプロテクターも高度な構造だ。
だが、このワンピースのライディングスーツは、それらよりもさらに洗練されている。
「ベリックの高級品だ。 V5のアーミーでも使われてる、古き良き名作ってやつさ」
「……ブランド、好きだよね」
「放っとけ。 高いもんは、それなりに理由があるの」
その考え方は、チセも嫌いじゃない。
安物は、好きじゃない。
試すように腕を伸ばす。
革の抵抗を感じながら、指先を見つめて―― ふと、思った。
悠も、こんな感触の中で戦っているんだろうか、と。




