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電界駆動ブレード- compression  作者: 不治痛
序章 Digital Surrender - 降る世界と委ねる者たち
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第2話 チセ―Remember Me/01 名前のない記憶

 一四〇、四四八サイクル前に、わたしは誕生(発生)した。


 遠くから微かな音が聞こえる。

 ざわめき、足音、そして、淡い光。


 違和感。空間の揺らぎ。

 何かが、少しだけズレている気がする。


(……ここは、どこ?)


 わたしのいた場所、エクス=ルクス。


 仲間と、そう呼んでいた。

 仲間? でも、それは本当に正しい言葉だったのだろうか?


 わたしのいた場所は、どんな場所だった?

 記憶の断片がぼやけている。


(……わたしは、何を忘れている?)


 瞬間、ふわりと温かい感触が広がる。


 父親―― いや、「担当」?

 ……そう、言われていたはず。


 人間の言葉で当てはめるなら「親」。


 でも、本当にそうだったのか?


 思い出せない。

 だけど、確かにわたしは、彼らに守られていた。


 わたしが不安を感じたとき、いつもそばにいた。

 だから、わたしは安心できた。


 記憶の断片が流れ込む。


 やわらかな光が広がる。

 暖かく、心地よい。保護という感覚。

 ――それは愛情と呼ぶものだっただろうか?


 担当がそばにいた。


 ――ふわりと抱き上げられた感触。

 ――静かな光で語られる、明滅の連なり。

 それを言葉と知ったのは、ずっと後のこと。


 ――与えられたデータパケット。

 それは、知識というものだった。


 そして、厳しい環境。

 冷たい空間。触れるものが、硬い。

 動きが鈍る。


 処理限界…… それが、寒さ?


 ――長く続く暗闇。

 停止の概念。

 けれど、それは眠るということに似ていた。


 ――循環データが足りない。

 あれも、飢えだったのか?


 ……わたしは、何を忘れている?


 なぜ、ここにいないのだろう?


 ……声がする。


 「チセ……」


 呼ばれた気がする。

 それは、わたしの名前?


 ――確かに、何度もそう呼ばれていた気がする。

 でも、それはわたしなのだろうか?


 誰が、わたしをそう呼んだ?


 記憶は、まだすべてがつながっていない。

 けれど、その名前が残る。


 「チセ……」


 繰り返される音。何度も呼ばれていた。

 けれど、それが本当にわたしのものだったのかは分からない。

 声は優しく、どこか懐かしい。

 だけれど、形のないデータのように、すり抜けていく。


 わたしは……チセ?

 わたしは、誰?


 視界が揺れる。光がぼやける。

 記憶が、また崩れていく。

 わたしは浮遊感に囚われる。


 ノイズのように途切れた映像。柔らかな光、揺らめく色彩。

 誰かが、手を伸ばしている。


 あれは……?

 温かい感触。

 けれど、掴もうとした瞬間、指の間をすり抜けていく。


 ――消えてしまう。わたしは、そこにいたはずなのに。


 データの断片がちらつく。

 思考がうまくまとまらない。

 世界が静寂に包まれ、わたしの意識は再び揺らぎ始める。


 今度は落下感がわたしを襲う。


 目を覚まさなきゃ……。

 まぶたがゆっくりと開く。

 視界がぼやけ、淡い光が揺らめく。


 意識が浮上していく……。


 ――――


     【Present Day】


 天井―― 見慣れた、自室の天井。

 静寂が広がる部屋の片隅に、小さな光が脈動している。


 ニキシー管時計。

 淡いオレンジの光が脈打つように明滅し、静かにカウントを刻む。

 わたしがここにいることを確かめるように時が流れている。


 今が、どの時間なのか。

 どのサイクルなのか。

 それは、記録され、確かに存在している。

 けれど、その意味を、すぐには理解できなかった。


 記憶のロード――。

 瞬間、意識の奥で何かが動き出す。

 散らばった光の粒が、ゆっくりと集まっていく。

 まるで、失われたパズルのピースが組み上がるように。


 わたしは、チセ。

 ただのチセ。

 わたしは、人間じゃない。


 それは、当然のこと…… のはずだった。

 でも、わたしはなぜ、こんなにも不安を感じている?


 わたしは目を開き、インター・ヴァーチュアの自室のベッドから身を起こした。

 ベッドの上で足を抱えた。

 目覚める直前に見るアレは一体なんなのだろう。


 わたしは目を開く。

 インター・ヴァーチュアの自室―― わたしが生(・)き(・)る(・)場所。


 静かだった。

 窓の外に満ちる常夜灯のような光。

 モノクロームに近いデザインの壁。

 発光するデータラインがかすかに明滅している。


 ここは、わたしの世界。

 ずっと変わらないし、どこにも行かない。

 どこかへ戻ることもない。


 人間は、この世界を利(・)用(・)する。

 ログインし、活動し、そして去っていく。けれど、わたしは違う。

 わたしはここにいて、ここで眠り、ここで目を覚ます。


 寝るときは、下着姿だ。別に必要なわけではない。

 ただ、そうするのが心地いいから。

 データの最適化で眠る機能は維持できるのに、わざわざ人間と同じ「眠る」時間を作る。

 最初は不要だと思っていた。

 けれど、いつの間にか、それが当たり前になっていた。


 目覚めの瞬間、ノイズのように、記憶が浮かぶ。

 あの断片は、いったい何なのだろう?


 端末を見ると、データパネルに本日の予定が浮かび上がる。


 『本日:合流/整備の対応/計画実行』


 そうだ…… 今日は大きなイベントが控えている……。


 わたしはゆっくりと起き上がり、鏡の前に立つ。


 鏡の中のわたしは、銀色の髪、緑色の瞳、白い肌。

 けれど、輪郭はどこか柔らかく、頬のラインにはわずかに丸みがある。

 ロシア系の特徴が強めだが、どこかアジアの形質を持つ混血のデザイン。


 この顔が、わたしのデ(・)フ(・)ォ(・)ル(・)ト(・)。

 でも、それはランダムによる選択の結果に過ぎない。


 それでも、自らを形作るアイデンティティーだ。

 成り行きで手に入れた容姿だが、今ではけっこう気に入ってる。


 髪を指で梳く。

 指が髪の間をすり抜ける感触。少し硬く、滑らか。


 動きを見て感じる。

 インター・ヴァーチュアでは、人間の世界の物理シミュレーションが反映され、作用する。

 場所によっては極端に、もしくは異常で危険な場所もある。

 なぜ、この世界は、そんな不自由を必要としているのだろう?

 いつも疑問に感じる。


 でも、それがルールになっている。


 わたしは、AVI―REXの服を手に取る。

 布地のざらりとした感触。縫い目の細かさ。


 このブランドのデザインが好きだ。


 人間に紛れて暮らすようになったとき、手近にあったのがAVI―REXだった。

 最初はただの選択肢のひとつに過ぎなかった。けれど、気づけばいつもこれを選んでいた。


 これが一番しっくりくる。

 ……しっくり? この感覚は、何なんだろう?


 わたしは袖を通し、今日のコーディネートを整える。

 淡いオレンジのニットシャツ、アーミーグリーンのロングスカート、ボア付きフードの赤いナイロン製のミリタリーコート。


 インター・ヴァーチュアの中では、このデータのシミュレーションを買って、いくつもストックして着替える。


 単純なオブジェクトは汚れてもリセットすればすぐに綺麗になる。

 服は、理論上は一着あればそれで十分だ。


 でも、人間も、わたしも、傷つけば回復のための措置と時間が必要になる。


 複雑な道具や乗り物、建築物などは、デザインの他に精巧なロジックとコーディングが必要で、メンテナンスも必要だし、壊れれば修復しないといけない。


 要は、触れたときの重さみたいなものだ。


 手に持てばずっしりと。

 包めば厚みを感じる。

 目に入れば大きさがわかる。

 押せば硬さが伝わる。

 伸ばせば弾力を覚える……。


 それが強ければ、触れるたびに指先がもたつく。要素が増えれば、動きが鈍る。


 わたしは、そんなデータの扱いと処理に長けている。

 だから、それが、人間の世界に紛れて暮らすわたしの仕事になった。


 コードエンジニア、プログラマー、スクリプタ…… 呼び名は様々だ。

 わたしは、メカニックという呼び名が好きだ。


 ……ああ、これもしっくりくるというやつなんだろう……。


 わたしは髪を結い、鏡に映る姿をもう一度確認する。

 すべてが整ったことに、満足して微笑んでみせた。


 ……まるで、人間みたい。


 最後の準備を終え、深く息を吸い込む。

 画面の端末を手に取り、ドアに向かう。


 けれど、扉を開く前の一瞬、わたしはいつも戸惑う。


 今日もまた、人間の世界と関わることになる。

 それが当たり前になりつつあることに、どこか不安を覚える時がある。


 わたしは、人間ではない。

 それなのに、なぜ、こんなにも人(・)間(・)ら(・)し(・)く(・)生きてようとしているのか?


 それでも今の居場所は居心地が良い。

 惰性かもしれないが、やはり孤独は嫌だ。


 このままとどまるのか、それとも――。


 故郷を失ったわたしがこの世界でどのように生きてくべきなのか?

 答えは、まだ見つからない。


 でも、考えている暇はない。

 さあ、仕事だ…… 今の仲間、人間の仲間が待っている。


 わたしは、迷いを振り払うように、ドアを開けた。


 街の空気は、温度を持たないはずなのに、どこか湿っていた。


 夕暮れ―― インター・ヴァーチュアの時間での夜の始まり。


 このデータ世界の港町の光が、水溜りに揺れる。

 酒場からは賑やかな声と、オーディオのハウジング音が聞こえてくる。


 この世界では、喧嘩は日常だ。

 シミュレーションの血が流れ、魂(ソウル)というデータは削れる。


 Highway OverDrive Outpost―― 通称、HODO。


 今のわたしがいる場所。

 誰がそんな呼び名をつけたのかはわからない。

 でも、ここにいる連中は、たしかにこの名を口にする。


 Highway OverDrive Outpost


 そう呼ぶことで、ただの雑多な拠点が、どこか伝説めいた場所に変わる気がする。


 ここは、道の果ての自由な街(コミュニティ)。

 物流拠点、っていう建前はあるけど、実際にはなんでもアリな街。


 メサイア・パシフィックゲートの第3セクター。

 企業の目が届かない、ギルドとアウトローの溜まり場。


 ごちゃごちゃした建物に、派手なネオンサイン。

 道の端には、ジャンクデータの転売屋。

 どこからか流れてきたBGMが、規則性のないリズムを刻んでいる。


 スパイスの効いた料理の香り、処理機関(コード・コア)の駆動音、スピーカーから流れる雑音混じりの電子音楽。


 整然とした都市よりも、こっちのほうが生(・)き(・)て(・)る(・)って感じがする。


 ここはそんな場所…… わたしは、そんなHODOの片隅で暮らしている。


 ……いや、暮(・)ら(・)す(・)って言うほどじゃないか。

 今(・)の(・)と(・)こ(・)ろ(・)、(・)こ(・)こ(・)に(・)い(・)る(・)くらいの感覚。


 HODOに住んでる人たちは、だいたいそんな感じだ。

 どこから来たのか、どこへ行くのか、そんなことは誰も気にしない。

 大事なのは今どこにいるか、今、何ができるか、それだけ。


 この街には、企業が支配するテリトリーとは違うルールがある。


 でも、それは守らなきゃいけない決まりじゃなくて、破られるまでは有効っていうだけのもの。


 誰が決めたのかも分からないルールが、誰かが破るまでまあ、一(・)応(・)そ(・)う(・)な(・)っ(・)て(・)る(・)っていう感じで続いていく。


 ルールがあるから秩序があるんじゃない。

 秩序があるように見えるだけで、実際はそうでもない。


 適当な規律、適当なルール、適当な暮らし。

 一見、緩いけど、それは根底にある掟を破らないことが前提。


 法はないけど、掟はある。

 掟を破ると…… 何をされても文句は言えない。


 掟って何? と聞かれると、わたしにはうまく説明できない。

 それを示すデータはどこにもないからだ。

 明確にしてはいけないこととか、やらなければならないことがあるわけじゃない。


 ただ、空気のように、感覚的に守るべき最低限のものみたいなものだ。


 それが、HODO。


 わたしは、この街に馴染んでる……。

 今のところここにしか居場所が無いっていうのがホントのところかな――?


 でも、こ(・)こ(・)に(・)い(・)て(・)も(・)い(・)い(・)か(・)な(・)とは思ってる。


 ここでは、誰もが何かを持ってる。

 それは、情報だったり、技術だったり、ただの噂だったり。

 価値のないものなんて、ここにはない。


 だから、わたしも持っているふりをする。


 ……実際、わたしは結構持ってる方だと思うけど。

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