第11話 春のからっ風/01 コスパ、タイパ、ウェルパ
【Present Day】
ケイト・マーガレット・マレーは、あくびを噛み殺しながら、HODOの5層にある港湾部をジクサーに向かって歩いていた。
あたりはすっかり明るく、グレート・フラットの白い蛍光灯みたいな朝日が目に刺さる。
こめかみが、ズキズキと痛んだ。
「まあ…… いつものことだけどさぁー」
仮想現実でも、飲み過ぎれば二日酔いになる。
調子に乗って、粗悪なレ・ザミューズ・グールのコピーデータを二本も空けてしまった。
データの質で悪酔いの度合いが変わるのかは知らないが、飲み口がいいせいで、ついガブ飲みだ。
どうせ現実じゃないなら気持ちいいことだけ感じられて、ツライ部分は反映されなきゃいいのに。
この世界はそうはいかない。
律儀にシミュレーションされ、しっかり「ご経験」と相成る。
おかげで、二度寝の寝坊。
ギリギリの出勤だ。
最初に目が覚めたとき、一度ログアウトしておけばよかった―― と、ケイトは今さら後悔する。
もっとも、このレベルの二日酔いでログアウトすれば、現実に戻った瞬間、床に吐瀉物をぶちまける羽目になるだろう。
極端な肉体反応を残したまま切断すると、仮想に現実が引っ張られる。
だから基本は、解消してからログアウトする。
たしかに、ゲーゲーやったあと床を掃除して、シャワーを浴びて落ち着いてから再ログインすれば状態はリセットされる。
――手っ取り早い解決法だ。
とはいえ、それはそれで苦しいし、何より不愉快だ。
二日酔いですらこれなのだ。
だから強制排出は、やっぱりおっかない。
仮想空間での生命停止。
当然、解消などできるはずもなく、強制的に現実へ切り離される。
深酒でさえ涙と涎を垂れ流すのに、死ぬなんて経験をして戻されたら、どんな引っ張られ方をするのか――。
そんな本能的な忌避感を、ケイトは決まって、気持ちいいことをしたあとに思い出す。
とりあえず、ジクサーに着いたら滝沢先生のところに顔を出す。
それが一番、手堅い。
ちょっとした小言を食らって、バイタルをいじってもらうか、生理食塩水のデータを入れてもらうか。
最悪、フォンさんに鍼を打たれる。
どのみち現実の床を汚さず、そこそこ手早く回復できるはずだ。
もう少しの辛抱。
ジクサーが見えてきた。
どうやら遅刻も免れたらしい。
いつもの舷門をくぐると、見慣れた光景が目に飛び込んできた。
ライムグリーンの瞳をした、ムクれ顔のプラチナブロンド。
そして、その前に立つ、こっ恥ずかしいほど気まずそうな童貞丸出し君。
「プッ……」
思わず吹き出す。
近くにはママ・アジエにライノ。
いつもの保護者ご同伴の図に、失笑を堪えきれない。
「イイねぇ、青春だねぇ…… ほんと、このマンネリ、飽きないよねぇ」
言葉とは裏腹に、気分の悪さも相まって、ケイトの目はいつも以上に冷めていた。
さすがに一年もこの調子を見せられていると、飽きは通り越して、腹が立ってくる。
ライノみたいに見守る時期なんて、とっくに終わりだ。
正直なところ、「さっさとヤっちまえ」である。
この光景も、最初は笑えたのだが――。
そういえば、一年前。
直ったγの前でのあの出来事をきっかけに、ケイトはチセのことを贋作ちゃんではなく名前で呼ぶようになった。
それまでは、あのやけに明るいライムグリーンの瞳も、作り物じみて気持ち悪く見えた。
無表情で、安い受付AIみたいな人形。
――それが、一瞬で血が通ったように見えた。
あれは、そんな出来事だった。
【Flashback】
うち――。
ケイト・マーガレット・マレーのモットーは、最適なコスパ、タイパ、ウェルパだ。
痛いのも、痒いのも、ツライのもお断り。
嫌なことは最低限。
楽しいことだけしていたい。
二週間前、ライノと悠と一緒にリーダーに捕まった時は生きた心地がしなかった。
本当に巻き込まれたにもほどがある。
だから悠がリーダーに絡まれたのを見て、これ幸いと一抜け。
近場の宅配バイトに精を出すことにした。
ライノはリアカー引いて長距離輸送。
悠は……。
よくわからないけど、何やらリーダーに無茶振りされてるらしい。
うちは、ちゃっちゃとノルマを配って、働いたら家でシャワーを浴びたい派だ。
それに、悠のγがどうにかならないと次の本業も当分はなさそうだし。
だから自分のやり方でほどほどに楽しくやっている。
今日もうちは、ホークでHODO周辺の宅配をさっさと片付けてジクサーへの帰還コース。
あとはほとんどオート任せ。
生あくびをしながら、ハンドルに手を添えているだけだ。
さて、もう一度言っておく。
最適なコスパ、タイパ、ウェルパ。
それが、うち――。
ケイト・マーガレット・マレーのモットーだ。
痛いのも、痒いのも、ツライのもお断り。
嫌なことなんて、ゼーったいにやらない。
……はずだった。
でも、柳橋亮平――。
リーダーに関しては別だ。
あの目だけは、無理。
ホント、うちはどこで間違ったんだろう。
思えば、アルマナックとの最初の出会いはリーダーに頭を思いきり鷲掴みにされたことだった。
あれは断じて勧誘なんかじゃない。
どう考えても、脅迫だ。
リーダーだけは本当に勘弁してほしい。
なんで、あんな理不尽の塊と関わってしまったんだろう。
ヒラヒラと楽しく生きてきたうちの心の奥底に、頭が砕けるかと思うほどの痛みと一緒にその理不尽が刻み込まれてしまった。
トラウマってやつだろうか。
おかげで、うちはリーダーにだけは逆らえない。
心の底から、怖い。
組めと言われれば組む。
黙れと言われれば黙る。
行ってこいと言われれば、行くしかない。
プライドもモットーも、そこには介在しない。
あの恐怖の前では、そんなものは無意味だからだ。
……とはいえ、アルマナックという集団自体は悪くない。
リーダーが無茶苦茶するのも四六時中ってわけじゃないし、差し引いてもかなり居心地はいい。
普段はテキトーに働いて、テキトーに稼げる。
暇な時はメンバーにたかって遊べる。
不定期にやってる、いわゆる本業―― リーダーの道楽は相当ヤバいけど、あれはあれで…… なんというか。
うちは痛いのも痒いのも嫌だけど、時々、エキサイティングで、楽しくて、クセになる。
それに、黙って抜けたところで誰も咎めないだろう。
リーダーだって、うちが突然消えても気にも留めないはずだ。
そのくせ、ひょっこり戻ってきても、たぶん何事もなかったみたいにいつも通り接してくれる。
……うちは、そういうところが好きなのだ。




