第10話 翼なき野郎ども/03 ヤニ禁止
【Flashback】
「ヒグッ…… グズ…… で、これから―― どうしたいのよ、あんた……」
涙で化粧も崩れ、鼻水をすすりながら、アジエは言った。
「どうしたいかってか?」
「そうよ…… どうせ、何言ったってあんた突っ走るだけじゃない…… だったら見ててやっから教えなさいよ……」
参った。
どうして欲しいかじゃない。
俺がどうしたいかを、問いやがった。
迂闊にも俺は、その問いに本気で答えを探しはじめていた。
【Present Day】
それが柳橋にとっての事の始まりだ。
結局、そのあとアジエに返事をする前に順番が回ってきて、滝沢医師とフォンによる手荒い診察と治療を受けた。
「……普通は麻酔代わりに頸椎に針をブッ刺すなんてねーわな……」
そんなユニークで荒っぽいがHODOの住人に信頼されている滝沢医師の治療を身をもって知った柳橋は、その後、ジクサーの船医として誘ったのだ。
そもそも地元に根付いていた滝沢医師は最初、歯牙にもかけていなかったのだが、柳橋の度を超えた異常な執着に根負けして引き受けるに至っている。
その柳橋が信頼した医師の診断はコード・ライダーとしては再起不能という結論だった。
その事実を突きつけられた時、なぜか柳橋はひどく冷静だった。
むしろ、狼狽え、動揺していたのはアジエの方だった。
記憶が収束するに従い、視界の中をうごめいていた虹色の塊は隅へと消えていた。
左脚に走っていた痺れも、視界から極彩が引くとともに消えていった。
柳橋はキャプテンシートから立ち上がると、ジャケットを手に取った。
その背中で青い光を放つ、アルマナックのカラーズを見つめる。
闘神が消え、コード・ライダーとしては終わり、そして柳橋はこのカラーズから新たに始めることにしたのだ。
【Flashback】
「おまえさん、ずいぶんあっさりしとるな」
このボロい診療所の主である滝沢という医者の言葉を背中に受けながら、俺はジャケットの上から腕のプロテクターのバンドを締めていた。
いつもの調子で固定の具合を確かめていたが、そういやもう乗れないのにプロテクターもねぇわな、と思う。
「ジタバタしたら乗れるようになるのかよ、先生よぉ?」
首を左右に振るとコキコキと骨が軋んだが、痛みはない。
ほんの半日ほど前までは、至るところがドス黒く腫れ上がり、ありえない方向に曲がっていたのが嘘みてぇだ。
「無理だな。 私の見立てだが、おまえさんのそれは、たとえ現実で真面目にリハビリしていたとしても免れんかったろうな」
「原因は?」
左脚の踵をトントンと踏んでみる。
今は足首から指まで自由に動き、感覚もはっきりある。
「確実なことはわからん。 強制排出の影響は正直、人それぞれだ」
滝沢医師は腕を組み、少し考えるように視線を落としてから続けた。
「ショック死を免れたとしてもだ。 現実に後遺症が出るやつもいれば、おまえさんみたいにインター・ヴァーチュアで歪みが出る場合もある」
「オイオイ、テキトーじゃねぇか? じゃあよ、二度と乗れねぇってのは、なんでわかんだよ?」
「欠損が明確だからだ」
有無を言わせぬ調子で、医師は言い切った。
「わかんねぇな、先生よ。 正直、あんた腕はいいと思ってるぜ」
右腕をぐるぐる回し、両手を組んで胸の前に伸ばす。
動きは滑らかだ。
「あれだけ骨折して、この通り元通りだ。 足も動くし、目も見えてる。 どこが欠損してるってんだ?」
「医学的な意味じゃ、おまえさんは五体満足だよ」
滝沢医師は淡々と答えた。
「骨も筋も神経も調整してある。 視神経にも異常はない」
そう言って、空中で手を上下に重ねて広げる仕草を二度。
左右に二つの画像が浮かび上がった。
「右は人間の解剖的な透過画像だ。 ほれ、綺麗なもんだろ」
右の画像を脇にどかし、滝沢医師は左の画像を俺の正面へと飛ばしてきた。
「こっちは、おまえさんの仮想現実上の身体データを視覚化したものだ」
それは記号と数式、コードの断片が鎖のように絡み合い、人の形を成していた。
「データ的に言えば、足りとらん。 目の位置と左脚―― 密度が明らかに薄い」
確かに、目の辺りはほつれたように穴が空き、左脚は右と比べて鎖の間隔が広い。
「その密度だ。 どれだけ治療しても、元には戻らん」
医師は指先で、その欠損部を軽く叩いた。
「担ぎ込まれる前から欠けてたんだろう。 ここに来た時点で、すでに無かったんだろうな」
真っ白な無精髭を撫でながら老いた医師は続ける。
「どこに落としたかは知らんがな、おそらく強制排出の時に、現実へ持って帰れなかったんだろうよ」
「……難しくてわかんねぇよ、先生。 もっと噛み砕いてくれ」
俺は口をへの字に曲げて、手で払うように画像を押し返した。
呆れ顔をした滝沢医師はそれを上から叩き落とすように消す。
「そうだな――」
一拍置いて、医師は言った。
「おまえさん、魂が削れちまったんだよ」
思わず、喉が鳴る。
「こっちは神様じゃねぇ、医者だ。 外見や器は直せるが、魂はどうにもならん」
俺は思わず、ふっと笑った。
ああ、こいつは信用できる医者だ。
「ありがとよ。 なるほどな、腹に落ちた」
「もうCFには乗るな。 流すだけならともかく、おまえさんには無理だろ」
俺は肩をすくめる。
「他にもトリガーはあるかもしれん。 足の麻痺、視覚異常の発作…… 治らんよ。 うまく付き合っていけ」
「あーあ、優しくねぇな。 ズケズケ言いやがって」
だが、不思議と受け入れている自分がいた。
病室の扉をがらりと開ける。
「お大事に。 何かあればまた来なさい」
医師のぶっきらぼうな言葉に軽く手を挙げ、俺は外に出た。
診療所の入口で、アジエが待っていた――。
化粧は直したようだが、表情はどこか曇っている。
「よぉ。 俺に、これから何がしたいって聞いたよな?」
その鋭い眼差しが、まっすぐ俺を射抜く。
「ギルドを作りたい。 一緒にやらねぇか?」
「はぁ?」
一瞬呆けたあと、アジエは吹き出した。
「キシシシ…… ギルドとは、ずいぶんデカく出たね」
「聞いてきたのはオメェだろ?」
ねめ上げるような視線に、なぜか俺の方が気圧される。
「バシさぁ、アンタ今、ホームレスの文無しって自覚ある?」
言い返せねぇ。
「ふーん、ギルドねぇ」
指を口に当て、芝居がかった間。
「まあ、いいよ。 付き合う―― ただし」
アジエは黒猫みたいに微笑んだ。
「当面、金出すのはアタシだよね? なら、このギルドは煙草禁止な。 オーケー?」
「なっ……!」
「ヤニ嫌いなの知ってるでしょ? 全額負担なら破格だよ」
額を押さえて逡巡する。
悔しいが、その通りだ。
「……わかった。 煙草禁止だ。 乗った」
渋々挙げた右手に、アジエは力いっぱいハイタッチした。
【Present Day】
こうして、アルマナックというギルドは始まり、今に至っている。
アジエは今も、闘神に何があったのかを知らない。
柳橋は語らず、ただ都市伝説と言ってもいいCFの痕跡を追い続けている。
そしてアジエもまた、何も言わずに柳橋とアルマナックを見守っている。
おそらく、その先に辿り着くことができれば、柳橋が黙して語らない答えを知ることができると、信じているのだろう。
しかし、これが正解なのかどうかは、実のところ当の本人にとっても定かではない。
だが柳橋にとっては、得体の知れない存在というものに当たりをつけて追うことこそが、唯一の手がかりだった。
柳橋はシートの傍らに置いた小さな角缶の蓋を開け、そこから白い飴を一つ取り出して口に放り込んだ。
独特の刺激を伴う味が、舌の上に転がる。
さらにそれを頬の内側へと転がすと、ぽっこりと形が浮き、歯に当たってガリガリと表面を削った。
ハッカ飴だ。
ギルドを作るとき、取引で禁煙を約束したあと、アジエがからかい半分にネクサス・リンクのキヨスクで買ってよこしたものだった。
とりわけ、うまいわけでもない――。
むしろ、マズい。
マズいのだが、その苦味と刺激が妙にクセになる。
おかげで今では、手放せなくなっていた。
柳橋は鼻筋から目の窪みのあたりを、親指で拭った。
考えをまとめようとするときの、いつものクセだ。
「さーて。 何が出るか―― 当たるも八卦、当たらぬも八卦ってやつだな」
奥歯で飴をゴリッと噛み砕き、柳橋はCFを降りた今も着続けているプロテクター付きのジャケットに袖を通した。
同時にブリッジの窓のシェードが解かれ、差し込んできた光に、柳橋は思わず目を細める。
操舵席に収まっていたスミーが、二眼の頭部だけを持ち上げた。
「そろそろお時間でやす、キャプテン」
「おおーう。 スミー、それじゃ行くとするか」
機械音を響かせながら、スミーの巨体が操舵席から分離し、床を這うようにして外へ出る。
立ち上がったスミーを後ろに従え、柳橋はブリッジを後にした。




