第9話 彼と彼女ー女の事情/06 いにゃい!
【Present Day】
戦闘衝角の見張り台を見つけた経緯なんて、結局はそんなものだった。
「おもしろそ――」という、あまりにも単純な動機によるものだ。
チセは、確認せずにはいられない性分だ。
それは性格というより、DQLとしての本能に近いのかもしれない。
リサーチして、実践して、確認する――。
それは個人の気質というより、常識だった。
彼女自身だけでなく、エクス=ルクスにいた仲間たちも含めた、ごく自然な習慣だ。
物事のあり方を自分で確かめることで、はじめて安心できる。
それが、あの場所では当たり前だった。
ジクサーを隅々まで見てまわっていたのも、動物が縄張りを確認しなければ落ち着かないのと、大差はない。
かつて自分を救った船医マキシムに「もっと観察するんだ」と言われるまでもなく、チセはそう行動するように作られている――。
ところが、人間の体になり、その世界と関わるようになってから、理解しがたい事象にいくつも直面した。
事実とは異なっているはずなのに、ろくに確認もせず、「そうに違いない」と決めつけ、それを疑わない人々。
再度の上書きを許さないはずのこの世界で、姿を確定したはずの自分が、服や髪型を変えただけで、他人どころか、自分自身ですら予測できない意味の書き換えが発生するという現象。
機能的でも結果的でもなく、ただ個人の信念によって成立している習慣に対して、それを美しいと感じ、真実ではないけど、大事な事だと、納得してしまう自分自身に出会ってしまったこと。
エクス=ルクスにいた頃には、想像もしなかった感覚だ。
それは、まるでセキュリティ・ホールのようだった。
不安と違和感に苛まれながらも、同時に、その不測に抗いがたい魅力を感じてしまう。
混乱と―― ほんの少しの怒りも。
「ほれ、立てよ」
アジエが手を差し伸べていた。
人間の中でも、アジエは自分に近い思考の持ち主だと、チセは知っている。
むしろアジエは、チセ以上に目の前の事実を受け入れられる。
それが自分にとって都合が悪くても、不条理でも、飲み込むようにして、納得してしまえる。
――どうして、そんなことができるんだろう。
チセがアジエのそばに居たい理由は、この身体が成長するなら、彼女のような大人になりたいという憧れからだ。
それと同時に、波のように押し寄せてくる人間世界の「意味不明」を、アジエがどう処理しているのか、そのスキルの正体を知りたいからでもある。
チセも手を伸ばした。
差し出した手を、アジエが手首ごと掴み、ぐいっと引き寄せる。
引き寄せられながら、チセは思う。
ただ興味を持っただけの場所が、忘れられない場所へと変わってしまった、あの出来事を――。
そこで目撃したものを、自分の中で納得したい。
そう、心の底から思っていた。
アジエに引き上げられ、少しつんのめりながらチセは立ち上がった。
顔を上げると、ジロリとアジエが見下ろしている。
切れ長の眼が放つ圧に、チセは思わずたじろいだ。
「おりゃ!」
次の瞬間、掛け声とともにアジエの右手が伸び、チセの両頬をガシッと鷲掴みにした。
「いにゃい! いにゃい!」
アスリート並みの握力で頬が潰れ、口が尖って妙な声が漏れる。
振りほどこうと腕を掴むが、びくともしない。
「こんなとこで不貞腐れやがって! このぉ、バカチンがぁ!」
「うにゃにゃにゃぁ! ごっ…… ごめんなしゃい……」
「ふんっ……!」
変な鳴き声の謝罪に、アジエはようやく手を離した。
「まったく…… いつも、つべこべ、つべこべと……」
仁王立ちのまま、ため息混じりに睨む。
「なんで、素直にごめんなさいって言えねぇかなぁ――」
「うぐぅ……」
真っ赤になった頬をさすりながら、チセは恨みがましく視線を向けた。
口は悪いが、アジエは礼儀には妙に厳しい。
アルマナックに来たばかりの頃、人間そのものを警戒していたチセは、挨拶もろくに返さずつっけんどんだった。
当時、まともに話が通じたのはアジエと、人間ですらないスミーくらいだ。
――柳橋は例外だが、あれは意思疎通というより一方通行の要求だった。
γの修理を終え、正式にCF担当メカニックになった頃からだろうか。
挨拶を無視すれば、さっきと同じように頬を掴まれた。
痛みへの不満はあっても、人間の集団で最低限やっていく術を教え込まれた実感はある。
相変わらず愛想はなく、男への嫌悪感と恐怖も残っている。
それでも今は、女のメンバーや滝沢先生のような目上とは、ようやく打ち解けられるようになっていた。
「こんなところじゃないもん―― ここ、好きなんだもん――」
折檻が痛い事実は変わらない。
チセは小さく抵抗してみせる。
再び睨まれ、ヒッと縮こまったのを見て、アジエは大きく息を吐いた。
「わかった、わかった。 さっきも言ったけど、そのうち理由、聞かせてよ」
そう言って、くるりと踵を返す。
「ほら、ちゃんと扉閉めろ。 行くぞ」
いつもの背中。
チセはハッチを閉じながら、心に蓋をしたような気分になった。
ここが気に入った理由――。
話してもいい気はするが、どうにも気恥ずかしい。
男は苦手で、怖い。
それでも、あれ以来、アイツだけは妙に気になる。
……いや、むしろイラつく。
そんな感情が絡み合って、気づけば足が向いてしまう。
その理由をアジエに話していいのか、迷いがよぎる。
ハッチが閉まるバタン、という音で我に返り、チセは心の中で呟いた。
(無理―― アジエには、やっぱり言えないし……)
少し火照る頬を感じながら、この整理できない気持ちの正体を考えていた。
【Flashback】
興味本位で戦闘衝角の見張り台に上がったわたしは、ある光景を見ることになった。
練習なのか、挑戦なのか――。
おそらくそんなモノだ。
繰り返し、繰り返し、延々と同じことをやっている。
わたしはそれを、瞬きもせずに見ていた。
長いような、短いような――。
時間の感覚が、うまく掴めない。
時の長さそのものが変わるはずはないのに、体感だけがずれている。
こんな感覚は初めてだ。
目を離せない。
一定のリズムで同期していたはずのサイクル感覚も、いつの間にか失われていた。
……わたしに、何か異常が起きている?
わからない。わからないけど――。
――
イグニッションの音、それに続く蹴り出すような動作。
一瞬ぎょっとしたが、すぐにその行動を、わたしは軽蔑の目で見ていた。
悠という名前のγのライダーは、エイプを使い、並べたパイロンのコースでトレーニングを始めた。
だが、それは誰がどう見ても、無駄でしかない。
「ぷっ……――」
最初のトライで、せっかく並べたパイロンを派手に吹き飛ばした瞬間、思わず吹き出してしまった。
呆れて笑うしかなかったのだ。
少し介入できるからといって、CFが重力や斥力、抵抗、慣性――。
この世界を縛る基本法則から逃れられるわけがない。
この二週間、γの修理を通して、わたしはコード・フレームワークという仕組みをじっくり観察してきた。
この身体拡張プログラムは、インター・ヴァーチュアの処理法則そのものに干渉できる。
コード・ベースと呼ばれる動力源兼処理中枢が、その核だ。
だが、そこだけは異質だった。
どれだけ解析を試みても、表層すら読み取れない。
複雑さや密度といった、これまで触れてきたデータ性とは根本的に違う。
キラキラと光る波の塊――。
幾重にも折り重なり、畳まれ、奥行きを持ち、粒子が常に形を変えている。
そのユニットが、この世界の処理に割り込み、干渉を可能にしている。
それだけは理解できた。
乗り手の感覚と視覚に反応し、その都度、現実を書き換えるように制御する。
(……だから、身体拡張プログラム、か)
妙に腑に落ちた。
空間座標に割り込み、空を飛び、力場や反作用点を生成し、本来、人間の身体では到達できない場所へ行く。
そういう思想で設計されているのだろう。
ただし、その干渉は万能ではない。
外部環境から与えられる物理法則には、結局引っ張られる。
空を飛べる出力を持つ大型CFですら例外ではない。
高く跳ぶのが限界で、地上移動が前提の小型CFなら、なおさらだ。
スピードを出しすぎれば、曲がれない。
そんな基本的なことすら、あの悠という男は理解していないらしい。
(あー…… なるほどね)
そりゃ、派手に壊すわけだ。
わたしは、セコセコとパイロンを並べ直すその姿を、どこか冷めた、嘲るような視線で眺めていた。




