断章 九能悠の記録――エイプの二週間/02 ハイヨ〜、シルバ〜
【Day4】
リーダーがCFに乗ると言った。
俺は間抜け面になっていたに違いない。
「夜明けまで二時間ちょっとか…… 充分だな」
リーダーはエンブレム入りのスーツのジッパーを上げ、軽い動きでエイプに滑り込んだ。
脚が悪いとは思えない。
「ドンッ!」と特有の駆動音が響く。
リーダーはパイロットシートから見下ろした。
「なんだそのバカ面は? 手本見せてやるって言ってんだ、感謝しろよ。 ほれ、立て」
その顔は楽しそうだった。
俺はそんな顔を見るのは初めてだった。
リーダーの言うところのバカ面を晒した俺の前に、エイプが体を起こして立ち上がった。
試すように、右、左と足踏みする。
エイプの関節が小気味よく鳴った。
リーダーはただシートでじっと虚空を見つめる。
機体がわずかに身体を前のめりに傾けた。
そのタイミングでリーダーはシートの上で体を軽く左右に振り込んだ。
軽い金属音とともに、機体がリズムを刻み始める。
十回ほどその動きが続いた後、リーダーは上体は起こしたまま、ズンと大きく腰を後ろに落とすような動きに変化した。
連動するようにエイプが、両膝を左右交互に沈ませ、足裏で地面を滑らせるように一歩――。
そしてまた一歩。
脹脛の裏から覗くリニアダンパーが沈んでは、瞬間的に展開していた。
そして、蛇がうねるように地面を滑り、エイプが前進と後退を繰り返す。
次の瞬間、エイプが肩をすぼめ、上体を捻りながら両腕を振る――。
まるで、ボクサーのシャドーのように。
ヒュッ、ヒュッ、と空を切る音が、薄暗いドックの静寂に響く。
俺は見惚れていた……。
その動きは、あまりに軽やかで、なめらかで、まるで人間の関節が入っているかのようだった。
脚が…… 腰が…… 腕が、まるで一体で悶えるように身をよじる。
そして次の瞬間、カミソリが煌めくようなシャープさを持って伸びる。
ゴリラのような不格好なCFがその瞬間、なぜかとてもエロティックに踊る女のように見えた。
形は俺の乗ったエイプだが、その動きはまるで別の機体としか思えなかった。
ほんの数十秒の出来事だった。
エイプが直立の姿勢に戻り、止まった。
「まあ…… こんなもんか」
リーダーは小さく笑う。
そして俺を見ると、眉の間に皺を寄せた。
「なんだ、バケモノでも見る顔しやがって」
「なんなんですか―― 今のは?」
まだ頭からあの動きが離れない。
鮮烈な動きにそんなつまらないセリフを言うのが精一杯だった。
「あー? ただのウォーミングアップだぞ」
まるで金魚のように口をパクパクしている俺に、リーダーは口をへの字に曲げた。
怒っているのか、呆れているのか――。
どちらとも言える表情だった。
「メンドクセェなー。 おらっ! もういくぞ!」
「うわぁっ! ちょ、ちょっと!」
エイプのでかい左腕が、体を引き寄せた。
一瞬でエイプの小脇に俺は抱えられていた。
力強く、ガッチリとホールドされて動けない。
だが、それでいて痛みはない。
これが、とても繊細な動きだと気付かされる。
闘神のコード・ライダー。
そのキーワードが頭をよぎった。
「悠、口閉じとけ! 舌噛むぞ!」
リーダーが叫んだ。
次の瞬間、ズドンという衝撃と共に、顔面にものすごい風圧を感じた。
上下に強烈にシェイクされるような振動。
エイプは俺を小脇に抱えたまま、全力疾走を開始した。
エイプの胸部カウルからドラムの乱打のような駆動音が響く。
処理熱が右半身を炙る。
両脇の景色が歪み、視界が急速に狭まっていく。
吹き付ける風に目が細まり、涙が滲んだ。
だが、速度が増すほど感じていた上下動が消えていた。
足元を見ると、飛沫のような虹色の光が散っている。
エイプは左右に跳ねるように、滑るように地面を押し出していた。
小さなジャンプを連続して、スケートのようにドックを滑っているのだ。
「レッスン1だ! こいつは飛べないが―― 跳べるんだぜ!」
小型ゆえに出力は低くても原理は同じ。
俺は作業ロボットのように動かしていたに過ぎない。
エイプはCFで、物理演算の枷に干渉できる、現実を破る存在だったのに。
前方の風防越しにリーダーを見る。
軽い前傾で、右手は確かにスロットルを開閉していた。
「レッスン2だ!」
リーダーが上体を起こし、斜め後ろに捻り込む。
金属音と共に赤い火花が散り、機体が沈む。
俺は小脇に抱えられたまま滑る。
左脚が伸び、右脚は限界まで屈伸していた。
脚のリニアダンパーが沈み込み、サーフィンのような姿勢で速度を保つ。
5層と4層の壁が迫る。
俺は悲鳴も出せず固まった。
「イヨッしゃあ! ハイヨ〜、シルバ〜!」
壁直前でエイプが反転。
視界が乱暴に回転し、さらに沈み込む。
右半身が前になった瞬間、エイプは斜め上へ弾かれた。
「オラァ!」
右脚で壁に着地し、そのまま蹴り飛ばす。
エイプは逆方向へ跳躍し、オーバーハングが目前に迫る。
俺は三時間かけた場所に一瞬で到達した。
右腕からワイヤーが伸び、張り詰めた瞬間に引き寄せられる。
火花を散らしながら4層に着地。
俺は力が抜け、口走った。
「し、死ぬかと思った……」
何が起きたか理解せざるを得なかった。
俺はエイプを機械として扱い、CFとして使っていなかった。
リーダーは座標干渉、モーメント、ダンパーの負荷、慣性を利用して飛んだ。
最後はワイヤーで一気に踏破だ――。
「エイプでもな、トルクかけりゃ二十メートルは跳べるんだ」
タバコを取り出し、火をつけながら、リーダーは言った。
少し吸い込み、大きく吐き出し、言葉を続ける。
「こいつらは現実にねぇ。 この世界だけの存在なんだよ。 俺たちと違ってな――」
「……急になんすか」
「インター・ヴァーチュアには時間はあるし、リセットも効く。
だが複雑なら壊れるし、直すのは大変だ。
傷つきゃイテェし、治らねぇ時もある」
「でも、リーダー、CF乗れるじゃないっすか」
「買い被んな。 ヤニの力借りて、このおもちゃの限界見せるのが今の精一杯だ」
そこまで語ると、今度はゆっくりとタバコを吸い込み、大きく煙を吐き出した。
そして、手に持って火口を弾きながら笑う。
「それでも、現実じゃできねぇ芸当だ。 ここでも生身じゃ無理だ」
ちっこい機体でも見せてくれる景色がある。
CFに乗らなきゃ見えない景色がある。
その言葉と自嘲気味の笑いに、俺は泣きそうになった。
リーダーは未練を滲ませつつ言う。
「脚はイテェし、目もかすむ。 まあ…… ヤニもこれで吸い納めだな」
タバコを指で弾き飛ばすと、リーダーは俺を抱えたままエイプで壁を降下した。
ワイヤーガンで跳ねるというより、落ちている感覚に近い。
突然、背中から落下した瞬間は小便を漏らしそうになった。
だが尊厳が勝った。
限界近くまで降りると、リーダーはワイヤーガンを射出し、また同じ動作で降下する。
登りと同じく、わずか数分で壁を下りきった時、これが懸垂下降だと理解した。
次の瞬間、拘束が解かれ、俺は失敗した飛び込みのように固いコンクリへ叩きつけられた。
「……ぬぉお…… 痛ってぇ……」
顔面を地面にへばりつけたまま数秒悶え、体を起こすと、リーダーは既にエイプを降りていた。
「手本は見せたぞ。 なんでCFは荷重制御で、手足は思考制御なのか、よく考えろ」
リーダーはシェード付きの濃いサングラスをかけていた。
「CFは身体拡張プログラムだ。 空飛ぶロボットじゃない。 あとは自分でどうにかしろや」
「はぁ、ありがとうございます……」
感謝しつつも、釈然としない。
これまでも凄いとは思っていたが、今日初めて理解した。
柳橋亮平は闘神の殲滅明王だと……。
俺はこれまで深い旋回や舞うような動きを見てきた。
だが今日のエイプの動きは根本的に違った。
制限だらけの機体が人のように動いていた。
その「腕の違い」の正体が理解できることを期待していた。
だが返ってきたのはライダーなら誰でも知る話で拍子抜けだ。
リーダーはため息を吐き、頭を掻きながら去っていく。
よく見ると左足を引きずっていた。
「やっぱり脚はイテェし、目がかすみやがる――」
あの言葉が頭をよぎった。
乗ることと操ることは違う。
それを突きつけられる。
限界行動とはいえ、やれることが少ないエイプでここまで消耗するとは。
普段は見せない異常が今は露骨だ。
強制排出の影響ってこういうことなのか……。
そんなことを考えるうちに、リーダーは闇に消え、エイプと俺だけが残った。
リーダーは火を落としていない。
胸部装甲の奥でアイドル振動が続く。
「アイドルしてるってことは、乗れってことだよな……」
俺は胸が騒いだ。
あれを見せられて黙っていられない。
エイプは飛べないが、跳べるし、世界へ干渉できる。
俺は「飛べない」と思いこんでいた。
処理範囲は狭く継続性も低いが、空間の観測・移動自体は可能だ。
それを忘れていたから、ただの重い機械として扱っていた。
「……トルクをかけるって、やつもか……」
自分とリーダーの乗り方は全く違う。
小回りを意識して前傾で曲がろうとしていたが、リーダーは逆だった。
体を起こし固定し、シート後方に腰を落とす。
一本の鉄棒が機体を貫くような安定を軸に、ベクトルを制御していた。
溜めたトルクがブレない加速を生む。
「俺って、そんなに、手と足、使ってなかったか……?」
そういえば武器操作以外、意識していなかった。
四肢だけで動かすなんて、思えば考えたこともない。
「CFは身体拡張プログラム…… ロボットじゃねーんだ……」
真似して呟いてみるが、わからない。
「考えるな、感じろ…… か」
尻を払って立ち上がる。
暗く冷たい空気の中、アイドルを続けるエイプを見上げた。
手探りだが、今日はヒントが多い。
かなり無理してくれたが、俺のためか?
いや…… ただの気まぐれだろう。
腰に脚をかけて飛び乗り、シートに滑り込む。
「とりあえずマネしてみるか」
考えるより、まずはやる。
リーダーが見せてくれたものは、俺にとって貴重なものだ。




