第8話 彼と彼女ー男の事情/06 クレイジー・エイプ
【Present Day】
(あの出来事はきっと、記録を見返さなくても、俺の中に残り続ける)
悠はそう思っていた。
なぜなら、今でも鮮明に蘇るからだ。
「でも、なんつーか…… あれはあれで、気持ちよかったよ」
自分のCFに対する二つ目の原点とも言える思いを、悠は遠い目で言った。
エイプに乗っていた二週間は、繰り返しだった。
乗っている間は頭を空にしてひたすら走らせた。
降りている間は「どう力をかければ、どこに突っ張ればいいか」を、体の動かし方で延々考えていた。
授業中ですら体が勝手に反応して、机を豪快にひっくり返して注目を集めたこともあった。
悠はその理不尽な視線と苦笑いを思い出し、肩をすくめた。
そんな思い出に浸る悠を見て、ライノは呆れ顔だった。
「はいはい。 気持ちよ〜くヌイた思い出は結構なんですけどねぇ…… で、あの時お前、何があったんだよ」
「……いやー? 別に何も?」
悠は腕を組んでとぼける。
だがライノは騙されない。
「すっとぼけんな。 あの後、お前の乗り方、ガラッと変わっただろ」
γが復活した後、悠の動きは別物になっていた。
ライノもケイトも、もう悠に勝てる気がしない。
それほどの差が生まれていた。
「γぶっ壊す前まではさ…… あのダサいスーパーマン飛びで敵の弾避けるのが得意技だったけどよ」
「はァ!? なんだよライノ! ダサいってなんだ!」
「あらぁ? 悠君、スープフライがダサくないって言っちゃうわけ〜?」
ライノの揶揄に、悠は「うっ」と詰まる。
スーパーマン飛び。
両腕を前に突き出して水平に飛ぶ、CF黎明期に空軍出身者が持ち込んだ航空戦闘機ノリの癖で、戦車乗りやヘリパイロット出身者がそれを揶揄してこう呼んだ。
今では初心者ムーブの代名詞だ。
「しょうがねぇだろ! 誰も教えてくれなかったんだから!」
顔を紅潮させて抗議。
青くなったり赤くなったり、ほんと飽きないやつだ―― とライノは口元を緩める。
「だいたいお前とケイトだって趣味悪いぞ。 教えてくれったっていいだろうが」
「甘えんな、坊や。 人様の趣味に口出すほど無粋じゃねーの」
少し冷めた目つきで言われ、悠はまた黙る。
その反応がいっそ小気味よかったが、ライノの胸にはわずかな後ろめたさもあった。
――本当は、あの時だって言いたかった。
スープフライで突っ込んでいく姿は、見てられないほど恥ずかしかった。
あの堪え性のないケイトすら黙っていたのは、
「絶対に悠の乗り方に口を出すな」
とリーダーに釘を刺されていたからだ。
それに、ダサい戦法でも結果を出していたのも事実だ。
敵の弾幕に真正面から突っ込み、理不尽に生き残るその変態戦法で。
――だが、エイプに乗って悠は変わった。
その技術が何なのかは、ライノもリーダーの説明で理解している。
理解しているが、納得できるわけでもない。
最後にリーダーが言った言葉を、ライノは今も思い出す。
「才気で生きてるやつには、何言ってもムダだ」
その言葉が胸に刺さり、同時に嫉妬が滲む。
あの時――。
小さな機体で、世界のルールを踏み越えるみたいに跳ね回ったエイプ。
悠の顔を見ながら、ライノはあの出来事の始まりを思い出す。
悠を見捨ててハンガーに降りると、ケイトとホークはすでに姿を消していて、残ってた荷物は全部、ゼロ・ホライズンへの長距離輸送のものしかなかった。
思えば、その帰り道からライノは兆候に遭遇していたのだ。
隣に座る、脳天気な親友は方々で変な都市伝説として言いふらされていることを知らないのだろう。
心中でため息をつきながら、ライノはあの時の記憶を脳裏から引っ張り出していた。
【Flashback】
ネクサス・リンクのチューブを、エリミネーターで自動航行していた。
青と赤の光が流れる巨大トンネルの中を、CFからライナーまで大小の機体が列を成している。
HODO周辺の宅配はケイトに取られ、悠には一番の「ババ」を押し付けた。
俺は可もなく不可もなく、リアカーみたいなトレーラーを引いて遠距離輸送中。
見てくれはダサいが、楽な仕事だ。
ネクサスを使えば、ゼロ・ホライズンとの往復が十二日で済む。
ただ座って目的地に運ばれるだけ。
腹が減ったらSAで飯を食う。
『ハロー。 CQ、CQ―― こちら、ホーリー・ローラー。 誰か聞いてるか?』
オープンチャンネルだ。
輸送ライナーや、リアカー引かせたCFなんてみんな暇だし、こうやってラジオ代わりに無線のやり取り聞いたり、おしゃべりしたりで気を紛らわせるわけだ。
俺は基本的に聞き専なんだけどね。
『実はよぉ、今、アジアン・ウェイあたりを流してるんだがよ、さっきHODOから出る時に、ぶったまげるもん見ちまったぜ』
やけにハイテンションの、甲高い声だ。
『なんとエイプが空中でブレイクダンスしてやがった! へーい、断っとくが俺はシラフだぜ!』
んっ…… エイプだと……。
『おー、 ホーリー・ローラー! なんしょったんなら? 久しぶりじゃが! こちらダスカンファミリーのマンバ・レイじゃ』
凄まじく訛りのきいたやつが乗ってきたな。
『そんエイプっちゅうんは、HODOの3層から1層んとこの屋根ん上、ブッ飛んどるアホのこっちゃろうが?』
『ギャハハハッ! いよぉ! マンバ・レイ! オヤジさんは元気か! おおぉ、そうだ、そのアホだ、一昨日ぐらいからよ、噂になってんだがよ、本物を拝めたってわけよ。 港までライナー取り行ったらよ、俺の頭の上をルチャドーラしやがった』
『おっとすまねぇお二人さん、邪魔してすまねぇ、こちらシャッフル・ナックルだ。 そいつなら俺も見たぜ。 すげぇ勢いで壁にパワースライドかましてよぉ! 張り付いちまうと思ったらよ!』
ナックルはそこまで言うと『BOON!』 と大きく叫び、何かに手を叩きつける音が入った。
『なんと、あのゴリラっぽい機体が壁にサマーソルト決めた上に、トイメンにカンフーキックしやがった。 びびったぜ!』
『ちょっと待った! そのフリークガイのことなら俺っちに語らせろ――』
――――
何これ……。
あのあと、オープンチャンネルはちょっとしたお祭りと化した。
とっかえひっかえ、やばいムーブをかますエイプを見たという自慢話で一気に溢れかえったのだ。
クレイジー・エイプだの、ファンキーモンキー、はてはマエストロ・エル・ボランテなどと呼びだすやつまで現れた。
俺は「いやいや……まてまて、そんなバカな話があるかって――」と話に耳を傾ける間、自分にそう言い聞かせていた。
きっと伝説のギルド、尾噛み蛇の背で遊ぶ者のやばいヤツが遊んでいるに違いない。
売り出し中のプロレーサーがパフォーマンスしてるんだとか、いろんな予想が出ていた。
きっとそうだろう!
そうに違いない!
いや絶対、そうあってほしい!
だが、その時、ボーパルバニーを名乗る女が口を開いた。
『昨日そいつ、HODO5層でスラロームしてたの見たわ。 普通じゃない速度で失敗しまくって、狂ったみたいに練習して、最後に成功させたの』
さらに、追撃。
『で、降りてきたの、めっちゃ可愛い男の子でさ? なんていうか、初恋の人そっくり? しかも、笑顔が爽やかの暴力すぎて逆にバグ――。 あれは落ちる。 はい恋〜って感じ』
……両手で顔を覆った。
そんな変態的ストイックさと無自覚な爽やかスマイルをやるやつ、俺は一人しか知らない。
しかもどっかの、ギャルを落として帰るとか、何やってんだ悠。
とはいえ、壁を駆け回るエイプ話は尾鰭がつきすぎて信用ならなかった。
聞いているだけで脳が痒くなり、俺は途中のSAで降りることにした。
少し遠回りでも、精神衛生が優先だ。




