第7話 チセ―An Education/03 いちばんわたし
【Present Day】
「観念したまえ、モデルちゃん」
アジエは実に嬉しそうな顔をする。
その言葉にわたしは追憶から引き戻される。
あの日、アルデンに引き合わされたことでわたしは副業を手に入れた。
あれ以来、アルデンにお願いされるたびに銀蘭堂のカタログや広告のモデルの真似事をしている。
……真似事とはいったが、正直、アルマナックでの収入よりも実入りが良いというのが現実だ。
アルデンにもアジエにも、本格的に始めないかとよく言われる。
迷わない事もない――。
がっ、こっちにも都合がある。
真似事以上のことをせずに、一企業都市国家のローカルなデパートでの活動に限定したい理由があるのだ。
かつて派手にやってひどい目にあった身としては、アルバイト以上のことをして下手に詮索されたくない。
だって、わたしは人間ではないのだから。
それでも、メカニックをやるのと同じように、しっくりくるこの仕事を、わたしは楽しんでいた。
楽しいから、リスクがあるのに辞められない……。
ロジックに反するその行動が心地よかったりもする。
さて、そうはいっても下着かぁ。
かなり前からアルデンはわたしにランジェリーモデルをさせたがっていた。
断っておくが、アルデンにイヤラシイ思惑など微塵もない。
困ったことにハイモードのスタイリングディレクターとして、本当にただ見たいだけなのだ……。
「アルデンの推しだと、やっぱりアレだよね?」
「……そう、たぶんヴィヴィアン・シークレット」
「うわぁ〜。 超エロいわ。 楽しみー」
「アジエは、あれいっぱい持ってるじゃん」
「おあいにく。 アルデンと一緒で、あたしもあんたが着るのを見たいのよ」
アジエは口元を押さえてまたあの「キシシッ」という笑い方をする。
わたしは「むぅーっ」と腕を組んで視線をそらしてぷいっと横を向いた。
ヴィヴィアン・シークレット。
レース、チュール、サテン、メッシュ。透け感も光沢も大胆だ。
誰が言ったか、必殺、必勝――。
着て落とせない相手などいない――。
要するに、すごく大胆な下着だ。
べつにヴィヴィアン・シークレットが嫌いってわけじゃない。
むしろ今のわたしからすれば、新作の情報とかは気になるほうだ。
実際、内緒だがピンクのカワイイのは一つ持っている……。
興味本位で買って、一回だけつけてみた。
鏡の前でポーズを決めて、アルバイトで覚えた営業スマイルを浮かべた自分を見たとき――。
「――ああ、こういうことか」って、はじめて勝負下着の意味がわかった。
そう考えた途端、わたしは求められる可能性を意識した。
……直後、何故か具体的に誰かの顔が浮かびそうになり、慌ててその処理を強制終了した。
以来、あれはクローゼットの一番奥に封印して二度と身につけていない。
ということで、デザイン的に気にはなっても、怖くてヴィヴィアン・シークレットは避け続けてる。
好みに、表情に…… 気持ち。
そういうものの本質は、まだよくわかっていないし、時には持て余している。
データの蓄積による学習だけでは説明のつかないものを、日々獲得しているという実感だけはある。
あのランウェイに無理やり立たされた時を思い出す。
あれから一年で、わたしも随分と変わったものだ。
【Flashback】
アジエの説明によれば、銀蘭堂ミッドブロックは三つの層から成る。
大衆向けの広大な商業エリア、その頭上を貫くフロントタワー、そして選ばれた者だけが踏み入れる特権階層。
地上百三十六階のフロントタワーだけは別格で、ハイブランドの本店、超高級ホテルのヴィラ・グランド・スカイウォーク、各社のオフィス、展望フロアが一体となった銀蘭堂そのものらしい。
いま、わたしたちはその八十五階――。
ロイヤルサロン奥のVIPルームにいた。
「ねぇアジエ、この部屋って…… なに?」
広いリビングほどの部屋。中央のテーブルには高価そうなティーセット。
アジエは気軽に言う。
「んー、ランウェイ付きの試着室だな」
脇に伸びる通路と、その先の小さなステージ。
なるほど、ランウェイとはこれのことらしい。
「今日は全部、あたしが持つから」
「高いのはわかるよ…… さすがに悪いって」
「ケチなこと言うなっての。 これはあたしの押しつけなの。 いいから受け取れ」
それでも気が引けて黙り込むわたしに、アジエは呆れたようにため息をついた。
「チセさ。 あんた、自分がどんな武器を持ってるかわかってねぇだろ」
胸、お腹、顔…… 次々と指さされ、思わず身を固くする。
「外見がすべてじゃない。 でもね、持ってるものを知らないのは、もっと危ねぇの。 今日はまず自分にびっくりする日。 わかった?」
わたしは返事できず、ただ首をかしげた。
「服代出す代わりにさ。 あたしは原石からしか摂れない栄養いただくから」
その意味を尋ねようとした瞬間、VIPルームの扉が勢いよく開いた。
「は〜い、おまたせぇ! ちょっと手間どっちゃったわ〜!」
アルデンが先頭に現れ、その背後から人の波が流れ込んでくる。
さっきまでの静けさはどこへやら、部屋は一瞬で満員になった。
「アジエの注文が『一通りよろしく』って言うんだもん。 丸投げなら丸ごと持ってくるしかないでしょ!」
アルデンの合図で、四人のスタイリストがわたしを囲んだ。
サーモンピンクのジャケットのショートヘア。
水色のフリルブラウスの黒髪ロング。
赤いダウンジャケットに破れジーンズの無造作ショート。
黒いタイトワンピのブルネット――胸元が大胆に開いている。
全員の視線が一斉にわたしへ吸い寄せられる。
「うちの腕利き。 各フロアのトップよ。 どう、いけるわね?」
四人はゆっくり同じ表情でニマァと笑った。
その気迫に、背中から頭のてっぺんまでゾワッと震えが走った。
気がつけば、四人のスタイリストに囲まれ、わたしは鏡の前に座らされていた。
「じゃ、やるわよチセちゃん。 素材は最高なんだから」
代表格のレイナが笑うと、他の三人も同時に手を動かし始めた。
髪が引かれ、肌に筆が触れ、布が肩を滑る。体が勝手に『作品』へと形作られていくようだった。
着替えは嵐のように進んだ。
ツイードのセットアップでは上品なわたしが――。
白いブラウスとロングスカートでは静かなわたしが――。
黒いレースのドレスでは魔性のわたしが――。
タンクトップとデニムでは強いわたしが――。
鏡の中のわたしは、着るたびに別人になっていく。
でも不思議と怖くはなかった。
むしろ、知らない自分に出会うたび、胸の奥がほんの少し温かくなった。
「次いくよー!」という声とともに、また世界が塗り替わる。
最後に手渡されたのは、鮮やかな黄色のワンピースだった。
伸縮する生地が体に沿い、隠すという概念がどこかへ消える。
「チセちゃん。 これがあなたよ。 前を向くだけでいいから」
レイナがそう言った瞬間、照明が上がり、わたしはランウェイへ押し出された。
光の中で歩くたび、胸元のネックレスが揺れ、リブの生地が波打つ。
視界の先にはアジエとアルデンがいた。
二人は息を呑んだように、ただわたしを見ている。
(……これが、わたし?)
鏡で見たどの姿とも違う。
強くて、華やかで、でもどこか寂しげな――。
それでも確かにわたしだった。
アジエが小さく笑った。
「……完璧。 まさかここまで化けるとはね」
アルデンも低く囁くように言った。
「逸材だわ。 ほんとうに」
その声を聞いた瞬間、ようやく理解した。
これは服を着せられたんじゃない。
わたしの可能性を、ひとつずつ見つけられたんだ。
わたしはゼブラ柄のシャツとレザースカートに戻り、息をつくように椅子へ腰を下ろした。
嵐のような時間が終わり、アジエとアルデンに褒めちぎられた熱気だけがまだ体に残っている。
スタイリストの四人は、レイナの「楽しかったわ」の声を合図に解散していった。
サーモンピンクのジャケットの子は黒髪ロングに首根っこを掴まれて引きずられ、赤いダウンジャケットの子は軽い敬礼を置き土産に去っていった。
気がつけば、広い試着室にはわたし一人。
――服で、こんなにわたしが変わるんだ。
興奮の名残りがすっと引いていき、アジエの言葉が再生された。
「自分がどれだけの武器持ってるかわかってねぇだろ」
ランウェイで見せたさまざまなわたしが頭をよぎる。
胸を張るわたし、甘く微笑むわたし、強気に睨むわたし――。
全部、確かにわたしだった。
……けれど、どれもどこか借り物のような気もした。
思わずうつむいたとき、視界の端でひらりと布が揺れた。
ラックの端に、黒地にオレンジラインのジャケット。
AVI―REX。
マキシムにもらった、あの一着。
華やかでも可愛くもない。でも、袖を通すと胸のざわつきが静まる。
今のわたしを落ち着かせてくれる、唯一の服。
わたしは気づいた。
今日見たどの自分よりも、あのジャケットを着たわたしがいちばんわたしなんだ、と。
「……やっぱり、落ち着くのは、あれなんだよなぁ」
小さくつぶやいたところで、扉が開きアジエが戻ってきた。
「お会計完了〜。 って、なに沈んでんの?」
「着疲れ、かな…… ちょっと気になる服があって」
わたしがラックの端を見ると、アジエもそちらに目をやった。
「ああ、あんたのジャケットね。 男物だけど、ずいぶん大事そうに着てるよね」
「……うん。 好きなんだと思う」
「AVI―REXだったら入ってるから、行ってみる? レディースもあるよ」
「いいの? こんなに買ってもらったのに」
「だからセコイこと言うなっつーの。 お前のフェイバリットなら、それでいい」
アジエは微笑んだ。




