第7話 チセ―An Education/01 下着問題
【Flashback】
気づいた時、わたしは個人用ライナーの革張りシートに座っていた。
アジエに「お出かけ用」として服を着せられ、何がどうしてこうなったのか、頭はまだ追いついていない。
スカートは腿の半ばまでしかない黒いレザー。
下着はわたしの常識を軽く越え、胸当て――。
ブラというらしい―― は胸を持ち上げて形まで変えてしまう。
渡されたシャツはへそが出るほど短く、胸の谷間が明確に浮かぶ。
(……これ、ほんとにわたしの身体……?)
そもそもの発端は、お風呂から出た直後の下着問題だった。
◇
「……おっ、おまえ…… 何してる……」
風呂前に穿いていた下着をそのまま穿き直した瞬間、アジエの声が震えた。
「何って…… 下履き」
睨まれて固まるわたし。
「替えは?」
「……これしかないよ…… リセットしたよ…… 臭くないもん……」
「そこじゃねぇ! なんでブランド偽造する奴が、ブラとパンティ、一つしか持ってねーんだよ!」
そのままアジエは下着姿のまま、ためらいゼロで柳橋に通信をつなぎ、わたしは下履きを半分上げたまま固まっていた。
空間に浮かぶ柳橋は、キャプテンシートに座り本を読んでいた。
アジエの下着姿にも、まったく動じない。
「なんだ、お前…… 誘ってるのか?」
「チゲーわ、バーカ。 預かりのチセの件! メカ触らせる前にこっちで調整あるから三日はかかるっての!」
「三日? ……まあいいけどよ。 んで悠はどうすんだよ?」
「ハンガーのドックの端っこに小型作業用CFがあんだろ。 しばらく、あれで宅配でもやらせとけ!」
柳橋はめんどくさそうに片手を振った。
「はいはい。 好きにしてくれ」
しかし、その視線がふっと動いた。
アジエの背後でパンツを上げかけのまま、固まっているわたしと、目が合ってしまったのだ。
「あー…… ガキのわりに発育いいじゃねぇか」
「うひゃぁぁぁぁ!」
胸を抱えてうずくまるわたし。
「見てんじゃねーよ! このアホが!」
アジエはそう怒鳴ると、通話を切った。
通信が切れる直前、柳橋の「いや、俺のせいじゃねーだろ」という声が聞こえた。
そのあと、半泣きのまま、アジエに着替えさせられ、近くのラーメン屋に連れていかれたものの……。
終始、アジエの怖い沈黙に耐えるだけで味なんてまるでわからなかった。
◇
翌朝。
巨大リビングに現れたアジエを見た瞬間、わたしは息をのんだ。
渦巻き模様のグリーンのワンピース。
体のラインが完璧に出ているのに品がある。
髪はまとめられ、太いヘアバンドと同色のグリーンのサングラス。
まるで映画から抜け出してきたような存在感だった。
(……だれ? 本当に昨日のアジエ?)
圧倒されているところへ、アジエが指を鳴らした。
「ホラ、あんたもそこにある服に着替える!」
ソファの上には、下着から服まで一式が揃っていた。
「あたしのお古だけどサイズちょいどいいと思う。 今日のところは、それがあんたのヨソ行きね」
サングラスをずらして笑うと、あの風呂場でのイタズラっぽい目つきに戻る。
「さぁチセ。 ――楽しい、楽しい、お出かけだよ」
わたしはせめてもの抵抗に、マキシムにもらったジャケットだけは腕に抱えて家を出た。
◇
――そして今、わたしはまたアジエに引っ張られ、このリムジンの中に座っている。
窓の外では、HODOの層構造がゆっくりと縮んでいく。
リムジンは大きく旋回しながら高度を上げ、街全体が俯瞰の風景へ変わっていった。
「ねぇ…… どこに行くの?」
落ち着かない服装のせいで腕の置き場に困りながら尋ねると、アジエは口紅をしまい、にやりと笑った。
「パシフィックゲート第5区画。 商業エリアの中心。 どうせ行くなら一番派手なとこでしょ?」
アジエが窓の外を指さす。
わたしもその肩越しに外を見る。
巨大な構造体の群れが、雲の上へ伸びあがるように重なっていた。
HODOの広さとは別種の、圧倒する高さがそこにはあった。
連絡通路、空中庭園、浮遊プラットフォーム。モノレールとライナーが蜘蛛の巣のように立体交差し、そのすべてが光の線で縫われている。
「……これが全部、第5区画?」
「そ。 元はメサイア社の移動要塞。 今じゃ都市そのもの。 もう船だった頃の面影なんてほとんど残ってないけどね」
元要塞の都市――。
これがかつては軍艦だったというのか……。
エクス=ルクスが砂粒みたいに感じられるスケールだ。
リムジンはその迷路の奥へゆっくりと降下していく。
「で、今日行くのが―― あそこ」
アジエが顎で示した先、雲の切れ間から塔が現れた。
はじめはただの高層棟に見えた。
けれど高度が下がるにつれ、それが建物の概念からはみ出していることがわかってくる。
重々しい基壇、門を守るように据えられた翼獣。
中心の大扉の前には、人の形をした無表情な守人が整列している。
だが視線を上へ向けた瞬間―― わたしの認識は大きく揺れた。
塔はねじれていた。金属とガラスの蛇が空へ向かって昇っていくように。
表面を走る光の筋は、文字とも回路図ともつかず、まるで眩暈のような装飾を作り出している。
最上部には光の輪が浮かび、時を刻むように脈動していた。
さらに左右には、異形の構造物が絡み合う。
建築というより、風景そのものが折り畳まれたような密度だった。
「――銀蘭堂ミッドブロック。 正式名称ね」
アジエの声が、わたしの耳にゆっくり染みていく。
「銀蘭堂……?」
「パシフィックゲート随一の名門。 ラグジュアリーの殿堂。 値札にゼロが並びすぎて笑う場所」
「……買い物するところ、なの?」
「まぁ、買い物もできる異常建造物って言った方が早いかもね。 チセなら、絶対楽しめると思うよ」
楽しめる――?
その言葉の意味をまだ飲み込めてはいなかったが、胸の奥が少しだけ高鳴った。
リムジンは銀蘭堂ミッドブロックの正面に静かに降り立つ。
側面のドアがゆっくりと上へ持ち上がり、風が流れ込んだ。
「チセ、行くよ」
アジエが迷いなく歩き出す。
わたしは裾をつまんだまま、数秒だけ躊躇い――。
そして覚悟を決めて降りた。
「レディ・ジンガノ、ミス・チセ。 いってらっしゃいませ」
ジーブスの落ち着いた声が背中を押す。
リムジンは再び浮上し、静かに空へ溶けていった。
緑色の大扉の前に立つと、同じ色の帽子とコートを身にまとった守人が、わたしたちのためだけに扉を開ける。
その瞬間、わたしは言葉を失った。
光、音、匂い。
圧倒的な過剰だけが支配する空間――。
(……これが、銀蘭堂)
ようやく、その名前の意味が少しだけ掴めた気がした。
だがこれは、まだ入り口にすぎなかった。




