第6話 チセ―Analyze This/06 どこから来た?
【Present Day】
アジエの家に初めて足を踏み入れた時は驚きしかなかった。
あの時と同じようにわたしは、アジエの背中を追いながら、ドックヤードを歩いている。
思えば、あの背中について屋敷に向かってから、人間の時間にして、もう一年が経っている。
そんなにもサイクルを重ねていたのかと、自分でも少し驚く。
けれど、それだけの時間が経っていても、わたしは今でもこうして、アジエの後ろを歩いている。
何も変わっていないようで、だけど、きっと――。
まあ、少しは変わったのだと思う。
あの頃のわたしは、ただ怯えていた。
怖い思いをして、そのあと、ちょっとしたチートで手っ取り早く稼いで、少し贅沢をした。
それで、世界を知った気になっていた。
でも、今のように人間の社会の中で暮らすということを教えてくれたのは、アジエだ。
わたしがヘタな嘘で過去を隠しても、アジエは詮索しなかった。
強く咎めることもせず、黙って構ってくれていた。
そう、構ってくれているというのが、たぶん一番しっくりくる言い方だ。
アジエの思う「女の子らしさ」からすれば、あの時のわたしは到底許容できる存在ではなかったのかもしれない。
でも彼女は、それを咎めても、決して押しつけることはしなかった。
一通りの身だしなみや振る舞いを教えてくれたあとは、わたし流の好みも認めてくれた。
「お前のフェイバリットなら、それでいい」
そう言って、笑ってくれた。
今では、ケイトやエスペランザ、それにフォンさんとも一緒に、服やアクセサリーの話をすることもある。
他人の趣味が気になるようになったのも、きっと成長の証なのだろう。
今では苦いコーヒーも飲めるようになったし……。
きっとちょっとは成長しているに違いない。
【Flashback】
個人の家と呼ぶにはあまりにも広大な空間に圧倒されていたわたしに、アジエはお茶にしようと言って、コーヒーと呼ばれるものをついでくれた。
これを飲むと、落ち着くとのことだった。
でも、湯気と苦味と熱が、どうして「安心」に繋がるのか、わからなかった。
アジエは無造作にマグを差し出し、「飲めるか?」とだけ言った。
わたしはうなずき、ひと口含んで、カップに吐き戻した。
「……苦い」
「あんた―― コーヒー知らないの?」
きっと情けない顔してて無言のわたしに、アジエはフッと笑みを浮かべると「待ってな」と言って、キッチンに戻ると別の飲み物を持ってきてくれた。
コーヒーと同じように暗褐色だが、こちらは香ばしいと言うより甘い匂いがした。
「はい、ココア。 これなら飲めんだろ?」
おそるおそる口をつける。
甘い味が広がり、わたしは思わずニンマリとした。
アジエはそのあと、わたしの視線を見透かすように言った。
「で、あんた―― どこから来た?」
その言葉にわたしの胸の臓器がまた一拍、高く動いたのを感じた。
【Flashback】
「で、あんた―― どこから来た?」
その言葉はわたしを動揺させるのに充分な言葉だった。
この体になってから、人間の臓器という構造の理不尽な反応に戸惑うことばかりだ。
その一方で、この反応がこれまで頼ってきた演算予測とは違う――
一種の直感的バロメーターなのだということにも気づいていた。
何かを―― 何かを話さねばと、そのバロメーターはわたしに囁いていた。
意を決して、わたしは言葉を紡ぐ。
「……いた場所を壊されて、仕方なく……」
「どこ?」
「……もう、なくなっちゃったから」
嘘じゃない。
でも、そのまま真実を言えば正体が露呈する。
わたしは曖昧に濁しながら、心の中で警告灯が点りっぱなしだった。
アジエはマグを置き、じっとわたしの顔を見た。
その視線に耐えきれず、思わず目をそらす。
――まずい。
心拍数が上がり、呼吸が浅くなるのを自覚したとき。
「まーた、V5が都合の悪いコミュニティ潰したのかよ」
思いがけない言葉に、思わず顔を上げた。
アジエの顔は怒りとも悲しみともつかない。
でも、わたしを責めてはいなかった。
「最近は減ったけどさ…… HODOには、そうやって逃げてきた子、多いんだよ」
そう言うと、わたしの顔を何かを確認するようにマジマジと覗き込む。
「あんた、外見はユーロ寄りだけど…… アジアも入ってんだろ?」
適当に選んだ外見設定が頭をよぎる。
「父方に日本人が…… 母はロシア系、だったと思う」
「ふーん。 ……で、親は?」
その言葉に、胸が重くなる。
「……いない。 兵隊に助けられて、それからずっと一人」
嘘じゃない。でも、いつの話かだけは言えない。
「で、今いくつ?」
「約十二万九千――…… 十五歳!」
慌ててサイクルから換算し直し、声が裏返った。
アジエは少しだけ笑って、「そっか」と短く返した。
「じゃあ、一人になったのはいつ頃?」
また、詰まる。
必死で整合性の取れる言葉を探して、出てきたのは曖昧な一文だった。
「……よく覚えてないけど…… ずっと、かも。 ブラックアウトの頃から……?」
言った瞬間、しまった、と思った。
けれどアジエは「もういいよ」と、あっさり話を切った。
それ以上追及する気はないらしい。
ただ静かにコーヒーを啜るだけの時間が続く。
わたしもココアをひと口飲んだ。
甘い味が喉を通り、緊張が少しだけほどけていく。
(……もっと、人間の世界の情報、覚えないと)
でも―― この人は、今のわたしを否定しなかった。
それだけで、十分だった。
【Present Day】
クシャクシャになった髪を指で整えながら、ニコニコと笑うアジエの顔を見た。
アルマナックにはわたしは、ブラックアウトの時に孤児になったということで通している。
今ではアジエはそれに合わせてくれてる。
思えば、あの時から下手くそな嘘をつき続けているのに、この人は何も言わない。
「なんだよ、怒った? ごめん、ごめん」
わたしは無言で微笑んで、首を横に振った。
この人はどこまでわたしの嘘を知って、こんなにも優しくしてくれるんだろう。
それに受け入れてくれるだけじゃない。
わたしが人間の世界で生きていくのに、アジエはいろんなことを教えてもくれる。
……教えている?
うーん、どちらかといえば、巻き込んでくるというか――。
そういえば、わたしがアルマナックに助けられてから獲得した知識や嗜好の多くは、アジエに強引に振り回された結果のような気もする。
例えば、そう―― お風呂とお洒落とか――。




