第6話 チセ―Analyze This/05 ガラスの屋敷
【Present Day】
ミルクティーを啜り終えてカップを置いたわたしは、あの時のことを思い返していた。
人間のことを表面的にわかるつもりになって、痛い目を見た。
そして、アルマナックに救われたのだ。
あの後わたしは結局、HODOでミツエおばちゃんの前に連れてこられるまでずっと椅子に縛られたまま引き回された。
柳橋は、わたしを完全にただの荷物として扱った。
スミーがドンと椅子ごと、ミツエおばちゃんの前にわたしを置いたときもこう言ったのだ。
「適当にあたりをつけて持ってきたが、これで間違いないか?」
(適当?)
「柳、あんた何やってんだ?」
とミツエおばちゃんが拘束を解いてくれたときもリーダーはため息一つで、わたしにはまるで興味なしという感じだった。
冷たいものが背筋を駆け抜け、心臓が大きく一つ鳴ったのも覚えている。
この男は、本当に適当にわたしを選んだだけだ。
わたしが本物かどうかさえ興味がないということ?
(そんなことで、わたしは助かったってこと!?)
非論理的であまりにも無秩序。
当時のわたしにはまるで理解できる行動じゃない。
スミーが、あの赤いドレスの女をこれじゃないかと言ったらリーダーは間違いなくそっちを連れてきただろう。
アルマナックに加わって一年。
わたしは柳橋亮平という人間の本質を理解することをあきらめている。
暴力しか手段にしない。
アナーキーすぎてサンプリングモデルとして、とても採用できない。
でも付き合いが長ければ少しはわかる——。
興味がない人間は存在していないも同然で、呵責なく何でもやる。そのくせ一度興味を持てば執着する。
危険で暴力的だから恐れられる。
その一方で仲間には徹底的に関わるので、慕われてもいる。
人間の情報で知った—— 反社会性パーソナリティ障害。
社会病質者という形質に近いのだろう。
「アジエは今日のリーダーの持ってきた大仕事どう思ってるの?」
普段からリーダーはおかしなネタを持ってきてはみんなを振り回してる。
アルマナックのみんなもそれを楽しんではいるのだが……。
でも、今回の大仕事はその中でもとびきりの怪しいネタなのだ。
「いいわけねーじゃん。 最近の宝探しはドンパチばかりで弾代だけ飛んでアガリはゼロ。 それなのに何が大仕事だ―― オズのラボなんてホラ話確かめにメサイアの警戒線のど真ん中に行く気だぞ」
メニューの端末を手に取りながら、呆れたように言った。
実際、経理も丸投げされているアジエからしてみれば、損失ばかりの最近の仕事は怒り心頭なのだ。
「付き合ってらんね。 今日、何も出なかったらマジでしばらくは小遣い稼ぎだ」
わたしはクスっと笑った。
「ナニ、笑ってんだよぉ」
「別に?」
わたしは笑みを浮かべながら、窓の外を眺めた。
アジエは相変わらずブツブツとリーダーへの文句を並べている。
窓際に置かれたニキシー管時計が小さく輝いていた。
オレンジ色に滲む数字は、ゆったりとしたリズムで時を刻み、インター・ヴァーチュアの中での曖昧な時間の流れを示している。
この一年で、わたしの状況はずいぶん変わった。
ただ存在したい、生き残りたいというシンプルな欲求から、いまは人間の世界のやりすぎに巻き込まれている。
でも、悪くないかもしれない。
面倒だし、予測不能だし、ロジックも通じないけれど―― それでも、温かくて心地よいものがここにはある。
ニキシー管時計の数字が揺らめき、ふわりと次の数字に切り替わった。
この曖昧で柔らかな時間のように人間の世界はわたしを掴んで離さない。
だから、わたしはもう少しだけ、この人間たちとやりすぎてみようと思っている。
エクス=ルクスにいたころ、時間は均質な演算のように過ぎていった。
今は、気分や温度でその流れが変わる。
体感は変わっても、時間そのものの流れはやはり、厳然と均質に流れる。
人間の世界って、本当に不思議だ。
ライナーのドアを押し開けると、ドックのひやりとした空気が流れ込んできた。
ベルがカランと鳴り、壁のニキシー管時計が「04:15:03」を示している。
食事とおしゃべりで一時間が過ぎていたらしい。
人として過ごすようになって、時間の流れが違って感じることがある。
楽しい時は速く、退屈な時は遅い――。
そんな当たり前の感覚さえ、かつては知らなかった。
「時間ってさ、アジエも遅かったり早かったり感じる時ある?」
「はぁ? 当たり前だろ。 人間なんてそんなの、二十四時間年中無休だろ」
アジエはレザーグローブをはめながら笑った。
「ダリーことは長く感じるし、ホットな夜は一瞬だぜ」
「学者っぽくないよ」
「だからそれ、やめろっての」
彼女はわたしの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「……髪がボサボサになるから」
「ほら、生きてる限り楽しめって教えただろ?」
笑いながら、また頭を撫でる。
その温かさに、さっきまでの疑問はどこかへ消えていた。
――アジエは、わたしに人間的であることを受け入れさせてくれる。
そして、人間の集団の中で、ほんとの意味で生活できるようにしてくれたのもアジエだった。
【Flashback】
話が終わると、アジエ以外のアルマナックのメンバーは、さっさと引き上げてしまった。
「ほら、行くよ。 ついてきな」
ミツエおばちゃんから荷物を受け取り、一人残ったアジエの後についてテキヤの事務所を出た。
アジエは少し猫背で、両手を尻ポケットに突っ込み、「……なんで、あたしが……」などとぶつぶつ言っている。
ミツエおばちゃんの事務所はHODOの第2層。
HODOはメサイア・パシフィックゲートの第3区画に生まれた、自然発生的な七層の階層都市だ。
中央の広い通路は「仲見世通り」と呼ばれ、両脇に商店や飲食店が続き、往来が絶えない。
わたしは主に第2・第3層で生活してきたが、今はムービングウォークで上層へ向かっている。
喧騒を抜け、仲見世通りの終点である1層へ。
ムービングウォークを上がり切ると、最上層の中央部あたりの場所の不思議な建物がいくつも見えてくる。
それが人間の宗教と呼ばれるロジックの施設だということは知っている。
その宗教というものも、サンタクララで知ったが、わたしからすると、未定義の関数を呼び出そうとしているような行為に見えた。
違いは構文程度に見える。
だが、宗教の価値とは、実行結果ではなく、呼びかける手続きそのものにあるらしい。
――正直、出力しない演算の価値は、わたしには理解できない。
「なにボーッとしてんだ? ほら、こっち!」
宗教施設から目を離し、アジエの背中を追う。
居住区画とは違う方向、球形船首側へ。
進むほど視界がひらけ、右手にメサイア・パシフィックゲートの船首の壁、左手は下層を見下ろす空間。
やけに整った舗装路の先が、やたらと明るい。
(スケスケだ……)
四角いボックスを積み上げたようなガラスの建物が見える。
中から強い光が漏れ、思わず足を止める。
「ここって、何なの?」
「あたしの家だよ、文句あっか?」
「このへん全部、うちの敷地。 だいたい三千坪。 1層はほとんどあたしの持ち物。 ―― いわゆる地主、Gotcha?」
「この道から外れるな。 セキュリティが動いてて、危ねぇからな」
三千坪―― わたしの頭はセキュリティというワード以外、エラー音でいっぱいだった。
木の質感の巨大な両開きドアが内側から開く。
「ほら、入りなよ」
玄関のハンガーラックにキャップをかけたアジエが名を呼ぶ。
「ジーブス」
『はい、レディ・ジンガノ。 御用は?』
上から降るように中低音の声が降ってきた。
驚いたわたしをみて、アジエがニヤリとする。
「どうだ、うちの環境制御AI。 なかなかのイケボだべ」
なるほど、建物のコードと直結した管理プログラム…… だがイケボとはなんだろう?
思わず、かばんの紐を握り直す。
「ジーブス、お客だよ。 しばらく泊まるから登録。 えーと、名前なんだっけ?」
「……チセ」
『ミス・チセ、ようこそ。 当屋敷の無制限アクセスを許可します。 何なりと』
色々と制限が解除される感覚が走る。
わたしは小さく、イケボのジーブスに礼を言った。
廊下はだだっ広く天井が高い。
先の吹き抜けにはガラスフェンスの螺旋階段。
部屋へ入ると、一面ガラスの向こうに段々状のHODOが広がる。
床と壁は濃い木調で、中央の円形ラグとラウンドソファ、テーブルのガード内では玉石の中に銀色の筒が赤く燃えている――。
テーブルに暖炉が組み込まれているかのようだ。
わたしはその空間のスケールに圧倒され、思わず立ち尽くした。




