第6話 チセ―Analyze This/04 赤銅色の巨人
【Present Day】
「Ha! ばっかじゃねーの?」
記憶の中の喧騒とオーバーラップするように、アジエのそんな吐き捨てるセリフが飛んできた。
カフェオレを飲み干していたアジエは、お冷のコップに口をつけると水と一緒に口に入った氷をボリボリと噛み砕いた。
「だいたい、デジタルネイティブスってなんだよ、ダセーわ。 それに、リアルで陽電子頭脳が実現できてねーのに、それ飛び越えて量子が脳を形成するってか?」
モゴモゴと氷を齧りながらそう言って、一拍おくとアジエはゴクリと嚥下した。
「飛躍しすぎだね。 チセさ、インター・ヴァーチュアでビッグバンなんてあったっけ?」
「覚えがないね」
わたしはなんとなく後めたさを感じつつそっけなくそう答えた。
「だろぉ……。 理論としては成立するけどさ。 DQLが本当に発生するためには…… まず、世界をぶっ飛ばすレベルのエネルギーが仮想空間で発生するだろ? その次に、量子レベルで自己組織化する単細胞構造のデータ生命が自然発生しなきゃならない」
アジエは指を折りながらそう言った。
「そんでもって、さらにそいつが単細胞から複雑な多細胞構造になって、カンブリア爆発並みに多様化をして、最終的に自己認識を持つ知性体に進化するには、膨大な演算時間が必要…… 何万年いるんだってのよ? どう考えても、時間が全然足りないっつーの」
挙げた両手を頭の後で組んで、テーブルソファの背に体を預ける。
「あたしも理論的にはアリだとは思うよ。 でも、現実にはそんなデータ生命体が存在するなら、それこそ世界中がパニックだろ?」
「たしかに」
「ごめん、実はすでにここにいるんだ」とは、当然言えない。
「それにさぁ、データ生命体なんて仮に存在しても、そもそも人間を理解できるとは思えねぇけどなぁ」
残念、もう人間の生活を楽しんじゃってる。
「さすがだね、ジンガノ博士」
わたしがすまして呼ぶと、盛大に顔をしかめた。
「やめろって! その呼び方は禁句!」
「いいじゃない。 他に誰もいないし。 それに、専門分野でしょ? ヴァイロンのヨタ話より、ぜんぜん面白かったよ」
アジエは「むぅ」っとむくれ顔をした。
むかしの着せ替え人形がわりにされたことへのちょっとしたお返しだ。
実際、アジエは正真正銘の量子力学分野の博士号もちだ。
その分野ではかなりの有名人らしい。
いくつかの特許を持っていて、凄まじい額のパテント料が転がり込んできている。
アジエは実は正真正銘のセレブなのだ。
それをわたしが知ったのは、アジエの家にしばらく居候した時だ。
今思えばこうして人間を楽しめるようになったのはあの日、アルマナックに出会えたからだろう。
密売人に捕まったわたしを救い出してくれたのが、アルマナックだった。
【Flashback】
「ぐへぁぁぁああああ!」
頭の上を八人目の黒服の男が凄まじい勢いで飛んでいった。
わたしはまだ椅子に縛られたまま、床の上に転がっていた。
大きな衝撃のあと、密売人たちは大混乱だった。
頭目と呼ばれる太った男が檄を飛ばし、大きな衝撃がくるたび、サングラスに黒服という、やっぱりあの映画の中に登場した、いかにも子分という男たちが報告を入れにくる。
おかげで、床に転がったわたしは完全に忘れられていた。
この隙にとジタバタともがいてみたが、固く結ばれた縄は解けそうになく成り行きを見守るしかなかった。
三度目の衝撃が襲ったあとは頭目はワナワナと怒りに震え、側近の女の顔は青ざめていた。
辺りが完全に静まり返ったあと、しばらくすると遠くからバンバンという大きな音と、悲鳴のような叫びが近づいてきた。
そして少し遅れて、何か金属が擦れるようなガシャガシャとした音も――
その後だ、部屋の扉を突き破って一人目の男がわたしの上を飛んでいった。
扉の破片と男が壁にぶつかり転がる。
わたしは扉を背に倒れているので何が起こってるのか全くわからない。
その後も強烈な金属音が鳴るたびに、男たちの悲鳴が上がった。
それと、何か柔らかいものがつぶれるような音がして、同時に人が宙を飛んで壁に激突していった。
……そして八人目の男がぐったりと床に転がった。
赤いドレスの側近の女はもう完全に腰を抜かして床にへたり込んでいた。
太った頭目は口をポカンと開け放心状態だ。
わたしはといえば背後に迫るガシャンガシャンという金属の足音に、体は強張り固まっていた。
そしてすぐそばでその足音が止まった。
ウィインという音が耳のすぐそばに近づいてくる。
恐怖に目をつぶった。
次の瞬間、ふわっとした浮遊感。
(……ああ、これは終わった……)
飛んでいった男たちのようになるのかと覚悟した。でも、宙を飛ぶことはなく、椅子ごと床にトンッと置かれた。
おそるおそる目を開けると、横に巨大な赤銅色の腕があった。
この腕と拳が密売人たちを吹き飛ばしたのだろうか……。
視線を上にあげると四角い頭に、上下に二つのカメラが並んだ顔が覗き込んでいた。
機械じかけの巨大な赤銅色の巨人だ。
しばらくするとその巨人は部屋の外に頭を向けた。
「キャプテン! イヤした、このガキじゃねぇですかい?」
野太い合成音だった。
すると、部屋に一人の男が入ってきた。
その格好はHODOの街でよく見かける揃いのマークが背中に入った連中と同じだ。
ただ、その目は特別鋭く、サンタクララのジョンソン艦長を思い起こさせた。
「あー。 たぶんそれだな」
だが仕草や話し方はジョンソン艦長とは似てもにつかぬほど粗野だった。
「や、柳橋ぃ! 貴様か!」
さっきまで放心していた頭目がその男に怒鳴った。
「おおぉ、鄭頭目。 しばらくだったな」
「な、何がしばらくだ! これは何のつもりだ!」
「よしてくれ、仕事に決まってんだろ。 今回もテキヤのババアの使いで来たんだよ」
鄭頭目は「むぅ」と唸った。
「……ミツエの婆さんが、俺に何の用だ?」
「ババアから伝言だ。 『あんたが連れてった娘は、ただの世間知らずだから許してやってくれ。 ブツは、こっちで始末するから安心しろ』 だってよ」
「何だと?」
「俺も詳しくは聞いてねぇぜ。 ただブツはもう流れないことはババアが保証するそうだ。 だから今回はこれで手打ちにしてくれや」
「嫌だと言ったら」
その答えを聞くと、柳橋はヅカヅカと歩いて行き、自分の額を鄭頭目の額に突き合わせた。
わたしは驚いた。
人間ってこんな凶暴な顔ができるものなの?
そしてそのまま鄭頭目のサングラスの先にあるだろう目を刺し貫くような表情で言った。
「そん時はよ、俺があんたとお仲間ごと、この船を沈めてやるよ」
その男の声を聞いた瞬間、わたしの背筋に冷たい感覚が走った。
(沈める……? ライナーごと?)
どうやら、わたしが倉庫と思っていたのはライナーの一室だったらしい。
それにしてもこの柳橋という男はとても冗談を言っている口調ではなかった。
わたしは自分が巻き込まれた状況の危険性を改めて痛感した。
結局は密売人から、この相手を食い殺しそうな男の手に委ねられるだけなんじゃないのか?
(味方なのか――それとも別の脅威なのか。判断できない)
チラリと視線を頭目に移す。
微動だにせず、じっと視線を合わせているようだ。
二人の男は不自然な姿勢のまま視線を交錯させていた。
(このままじゃマズイ、わたしはどうするべき……)
鼓動が速くなる。
DQLの身体にはなかった、人間になって備わった煩わしい機能だ。
わたしの身体は、感情に支配され、警告を発し続けている。
その瞬間――。
先に引いたのは鄭頭目だった。
額を離して、椅子に深く座り直した。
「連れてけ……」
鄭頭目の声は疲れ果てていた。
その痛々しい姿を見てわたしはちょっとだけ、気の毒に感じた。
「スミー、それ持ってけ」
柳橋はわたしの横に立つ赤銅色の巨人にそう言うと部屋から出ていった。
赤銅色の巨人は椅子ごとわたしをつまみあげると、そのままガシャンガシャンと柳橋のあとをついていった。
どうやらひとまず、わたしは危機を脱したようだった……。
いや、違う―― まったく脱していない。
密売人の集団を蹴散らし、そのボスをたじろがせるようなアブナイ目をした男の元へ、椅子ごと運搬されているのだ。
ああっ…… やりすぎた結果のコノザマは絶賛継続中だ。
(さよなら柔らかいベッドにルームサービス。 地道に廉価品で頑張ればよかった)
わたしは、深い後悔の渦に飲み込まれていた。




