第6話 チセ―Analyze This/07 絶版かよ
【Flashback】
結局、あの後もアジエは何も聞いてこなかった。
むしろ、わたしが孤児であることや故郷を失ったという事実に対して同情してくれてさえいるようだった。
アジエ=ジンガノ。
この人は、優しい。
……少なくとも、今のわたしにとっては、そう感じられた。
その一方で、わたしには人間として生きるための情報の補強が必要だとも感じていた。
今日と同じように、いつ過去を聞かれるか定かではない。
(ユーラシア地域とブラックアウト後の人口移動に関する情報を、後で追加検索しておこう)
「よし、風呂に入ろう」
甘いココアを啜りながら、そんなことを考えていた時。
アジエの突然のひとことが静寂を破った。
「……お風呂?」
「そう、風呂。 今日は疲れたし、うちは風呂が自慢でさ。 一緒に入るべ」
唐突な提案に思考が追いつかず、わたしは呆けた顔で口を開けたまま固まっていた。
だが、アジエは気にも留めず続ける。
「しばらく一緒に住むんだから、リラックスして腹割って話そうぜ」
そう言って、アジエはカップを置き、キッチンからこちらへ歩いてくる。
気づけば、わたしも反射的にカップをテーブルに戻していた。
「よし! 行くぞ!」
「うわぁっ……!」
ニカっと笑ったアジエに手を引かれ、わたしは勢いよく廊下へと連れ出された。
「ちょ、ちょっと……」
そのまま、例の螺旋階段をずるずると引きずられて降りていく。
階段の動作センサーが反応し、ひとつひとつ照明が灯っていく。
階下にたどり着くと、両開きのスライド式の扉が現れた。
上階のガラスドアとは異なり、こちらは木枠で縦に細い格子が並び、中には白く不透明なガラスが嵌め込まれている。
その扉の前には、棒に吊るされた赤い布が三枚――。
それぞれには白いプリントで、丸っこい記号と文字が描かれていた。
(……この記号、どこかで…… @かな? いや、これは……)
「ふふん、暖簾に引き戸。 これぞジャパンの温泉テイストってやつよ。 いい雰囲気だろ?」
「は、はぁ……」
ジャパンという単語から、ようやく布の文字が「ゆ」だと気づく。
日本式のバスルームの演出らしいが、本当にこれが現実に存在するものなのかは疑問だった。
「ほれほれ、開けてみな」
「……お邪魔します……」
ガラガラと引き戸を開け、布をそっと手で払いながら中に入る。
そこには、期待通りの広い空間が広がっていた。
床には木の質感を模した敷物――。
細かい枝を編んだような柔らかいタイルが貼られていて、裸足でも心地よい。
壁沿いには三段の棚に脱衣カゴが整然と並び、向かい側の壁には一枚鏡と三つ並んだ洗面台。
それぞれにドライヤーが付き、小さな椅子まで用意されている。
「そっちの壁、開けると、タオルが入ってるから使っていいよ」
そう言いながら、アジエは何のためらいもなく服を脱ぎはじめた。
脱いだ服は次々にカゴへ。
あっという間に、彼女の身体が露わになっていく――。
わたしは、言葉を失ったまま立ち尽くした。
確かに、わたしは風呂という文化を理解し、好きになった。
だが、これまで利用した宿のバスルームはどれも個室であり、ひとりで使うものというのが常識だった。
風呂とはパーソナルスペース―― それが、わたしのインプットだ。
さらに、裸という概念には、どうしてもあの動画の光景が紐づいてしまう。
気がつけば、アジエはタオル地のヘアキャップで髪をまとめ、肩にボディタオルをかけて手を腰に当てて立っていた。
(……サイズが…… でかい……)
胸…… 臀部……。
どこを取っても、見事な造形。
比べるべくもなく、わたしよりもはるかにボリュームがある。
大きいだけではない。
腰は見事にくびれ、腹部と腿は引き締まり、全体が機能的に整っていた。
たぶん、アジエはノースアフリカ系の系統に近い人種パターンだ。
褐色の肌は裸身になるとよりいっそう印象的で、切れ長の目元との相性も抜群に思えた。
……なぜかわからないけれど、胸のあたりが、またドキドキしてくる。
わたしは、自分の容姿を決めるために、多様な人種構成と身体構造をデータで調べた。
その結果、「手を加えすぎないほうが自然である」と判断し、選んだ人種データの造形に、それ以上の手は加えなかった。
それでも、今――こうして、アジエの裸を目の前にして――
美しいという感覚が、言葉ではなく、実感として押し寄せてくる。
人間の基準で言えば、アジエの身体は抜群のプロポーションというやつだろう。
わたしの記憶にある言葉を検索し、ようやく引き出せた。
――そうだ。
たしか、こう言うのだ。
「バンッ! キュッ! ボン!」
なるほど…… 人間は音に形を例えることがあるが、これは的を射ている。
その場ですくむように固まってるこちらを見て、アジエはふっと笑った。
「なによ。 シャイなの? あんた」
「……全部、脱ぐんですか?」
「そりゃそうでしょ。 風呂に入るのに服着たままなんて、逆に新しいわよ?」
わたしは一歩、後ずさった。
自分もこれから裸になるということを意識したら、途端に視線のやり場がわからなくなり、アジエから目を逸らした。
じっと、カゴを見つめる。
他人と同時に、同じ空間で服を脱いで、入浴する。
状況から推測してそれはわかるが、なぜかわたしは、それに少し抵抗を感じた。
また胸がドクドクと音を立てる。
これは異常反応か?
恐怖ではない。
むしろこの状況に危機はない。
むしろ安定している。
つまり―― 内部要因。
この反応は、羞恥あるいは混乱というものだろうか。
他人と風呂に入るという行為。
これが人間社会で一般的なことであれば、迂闊な行動は疑念を招く。
(と、とにかく整合性を取らないと)
わたしは目をつむって覚悟を決め、自分の衣類に手をかけた。
上着とスカートを脱いでカゴに放り込み、下着だけになった。
目を開く。
アジエが近くでわたしの胸の辺りを見つめて「うーん」と唸っていた。
「ひぃっ!」
思わず両手で抱えるように胸を抑え飛び退いた。
「あー、驚かしちゃった。 勘違いしないでよ、あたしストレートだし…… あれ、あんた…… そっち系?」
ストレート? そっち系?
……意味はよくわからないが、ブンブンと横に首を振っていた。
「まあ、今どき、どっちだっていいけどね。 いやさ、それより、あんたがつけてるそれ、気になってさ」
そう言ってわたしの胸当てと下履きをちょいちょいと交互に指差した。
……これは故郷に住んでいた時から身に付けてたものなんだけど……。
そんなに珍しいのだろうか。
むしろさっきアジエが無造作に自分のカゴに突っ込んだ下着の方がよほど、デザイン的にも複雑で派手に見えたが。
「悪いんだけどさ、ちょっと、見せてもらっていい?」
一瞬躊躇したが、怪しまれるのも嫌なので従うことにした。
わたしは胸あての前側にある留め具をカチリと外してアジエに手渡した。
「おー。 フロントホックかよ、渋いじゃん。 どれどれ……」
わたしの胸あてを広げてまじまじ見つめられていると、顔が熱くなってきた。
「なんだこれ? 表面の銀色の光沢…… 金属っぽいけど確かに布だよな…… それに触ると表面に模様が出る…… 流体金属…… 水銀風のデジタルテクスチャか? イケてんじゃんよ」
留金の部分や、胸当ての下の枠部分、背中側のベルトの部分を親指と中指でつまむように感触を確かめてみる。
「うーん…… ゴムのような弾力…… なるほど、フロントホックでもこれなら痛くねーよな。 そのくせフレームとかはしっかりしてるじゃん」
「あの…… そろそろ返して……」
「ごめん、ごめん。 これさ、すげぇクールじゃん、ブランドどこよ?」
困った…… ブランドと言われても。
故郷で作った自作なんだけど。
「えっと、エクス=ルクス……」
思わず故郷の名前を言っていた。
「へー。 聞いたことねぇな。 インディーズか? 後で探してみっかな」
「もうたぶん、売ってないよ……」
「OH,SHIT。 絶版かよー」
アジエは本当に悔しそうに額に手を当ててそう言った。
その様子がおかしくて、わたしは吹き出してしまった。
恥ずかしいという気持ちよりも、何か開放的な気分がわたしの中に広がっていった。
【Present Day】
メモリの中のその出来事から、わたしの感じたことは正しかったと再確認した。
そう――
リーダーのように理不尽ではないが、アジエの言動はけっこう突飛で予想がつかない。
そして強引に自分の行動に巻き込んでくる。
それはとても素敵な善意からだと、今のわたしは知っている。
そして、この人の予測不能はわたしにとってとっても心地が良いことなのだ。
四時二十分を回ったドックヤード。
ダイナーからジクサーへの帰路――。
アジエのネルシャツの背中はいつもと変わらない。
わたしはその背中を追うようについて行く。
アジエの場合は技術とファッションに興味が偏っている気はするが、おかげさまでこの一年――
人間的なリアクションや知識に関してはかなり鍛えられたと思う。
それにお楽しみと喜びという要素はアジエにとって最も重要なことらしい。
最近はわたし自身も、かなり感染されたとも言える。
アジエ宅の、あのお風呂には今でも定期的に入りにいっている。
大衆浴場もいいけど、広いお風呂にゆったりと――
なんてHODOではあそこしか思い当たらない。
それに、思えばアジエがわたしに女の子とは何か? お洒落とは何か?
今でも耳にタコができるくらい、そのセリフを聞かされる。
思えばそれは、あのお風呂と、わたしのブラとパンツからがきっかけになって、あの時から続いているものだ。




