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電界駆動ブレード- compression  作者: 不治痛
序章 Digital Surrender - 降る世界と委ねる者たち
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第1話 九能 悠の時間―春夏秋冬/02 現実の重さ

 ニキシー管時計のUIが表示され、カウントダウンが始まる。


 時間がもったいないので現実で用事がある時は下校に合わせてすますことにしている。

 人に見られるのはちょっと憚られるんだが、悪い習慣ってやつになってる。


 別にログアウトなんて本来、どこで行っても変わらないはずなのだが、なぜか人は他人に見られない場所でログアウトしたがる――。

 なんでだろうな。


 まるで現実でトイレに行くみたいなもんだ。

 言うなれば、俺が今やっていることは立ち小便に近い行為だ。


 端末のUIに表示されたカウントダウンがゼロになる。

 次の瞬間——。


 光が途切れた瞬間、何(・)か(・)が(・)切(・)り(・)替(・)わ(・)る(・)感覚。

 空気が重い。皮膚が直接、世界と接触する。

 仮想世界では感じなかった生(・)々(・)し(・)さ(・)が、神経を通じてゆっくりと体に戻ってくる。


 インター・ヴァーチュアでは意識しなかったそれらが、急にのしかかる。

 一瞬、自分の体が自分のものではないような違和感。


 ログアウトの瞬間、端末のUIに表示されたニキシー管時計の数字が一瞬だけ揺らぎ、ぼやけるように滲んだ。


 仮想世界の時間と現実の時間が交錯する。

 そして、宙に浮くような錯覚を覚えた瞬間―― 光が途切れる。

 一瞬の無音のあと、現実が戻ってくる。


 照明が自動点灯して、部屋は静寂に包まれる。

 仮想世界では感じなかった倦怠感が体を重くする。


 無意識にデスクの上のニキシー管時計を見る。

 とは言っても、今時本物のニキシー管時計なんて、アンティークの中のアンティークだ。

 アナログ時計を置くのが嫌で買ったLEDのイミテーション。

 要するに、ニキシー管風の時計だ。


 揺らぐ光。

 数字がゆっくりと淡く明滅しながらカウントを刻む。

 偽者でも、この雰囲気は落ち着く。


(でも…… ここは現実だ)


 接続されていた生理食塩水のインターフェースを外し、首を左右に軽く振ると、骨がわずかに軋んだ。


(さて、ルーティーンだ)


 便所に行ってから、まずは水分補給。

 キッチンのウォーターサーバーから水を一気に飲む。


「うぇ……」


 味なんてしない。

 インター・ヴァーチュアで飲むコーヒーのほうがよっぽどリアルだ。

 味と満足はインター・ヴァーチュアで手に入れられる。

 ただ、栄養が無いだけだ。


 冷蔵庫から銀色の四角いアルミパックの塊を取り出す。

 そのレトルトの栄養食を開封し、3秒後にはアルミパックの口から湯気が立ち昇る。


「開ければ3秒、あったかテイスト 焼肉風味」


 味と匂いから全くかけ離れた、小さいころ食べたことのある缶詰スパムそっくりの四角い塊をスプーンですくっては機械的に咀嚼する。


 はっきり言って、これはただの燃料補給だ。


 食事を終えると、次はフィットネスの時間だ。

 インター・ヴァーチュアを利用するなら、ログアウト時に現実時間で週に三日、定期的に最低一時間の軽いトレーニングが法律で定められている。


 衰弱死でもされたら問題だから、現実の体を維持させるための法律だ。

 やらなきゃ利用制限というペナルティがつく。


 だけど、本当にここまでやる意味があるのか?


 汗がじわりと滲む。仮想空間での物理シミュレーションではない、本物の肉体の重さを意識する。


 スクイズボトルの水を喉に流し込んだ瞬間、脳裏にニュース映像が焼きつくように蘇る。


     【Flashback】


 特報 感染拡大が制御不能に――。


(パンデミックスが始まった日――)


 母親の顔が浮かぶ。


「明日から学校は閉鎖になるわよ」


 最初は数週間の休校のはずだった。

 それが数ヶ月になり、もう現実の学校は戻らないと決まった日。


 仮想学習システムへの移行。


 初めての仮想空間の教室。

 最初の接続時、システムが外見情報をスキャンする。

 無機質なUIの声がした。


「インター・ヴァーチュアでは、現実の外見と性別がそのまま反映されます。 改竄は不可能です」


「結局、みんなそのままか……」


 クラスメイトがぼそっと呟く。


「当たり前だろ?」


 俺は言い返した。


「そのままっていうけど、むしろ、現実より綺麗に映ってるよな」


     【Present Day】


 そうやって、俺たちは現実からインター・ヴァーチュアへと逃げ込んでいったのだ。

 パンデミックスは仮想現実への躊躇へのトドメだった。

 むしろ人類は背中を押されることを待っていたんじゃないかと思う。


 パンデミックスは去っても、人は現実には戻らなかった。


 その頃の人間は、主義も、欲も、エゴも、全部持ち込んだ。

 そういったものは膨張して、いつかは破裂する。


 新しい世界ではしゃいでいた人類はどっぷりと依存しきった時にしっぺ返しをくらった。


 腕立て伏せの途中、息が詰まる。

 アレを思い出すと、胸の奥で言いようのない閉塞感が広がる。


     【Flashback】


 ブラックアウト―― 電力が失われ、都市が沈黙した夜。


 ネットワークが沈黙し、情報が霧散し、インター・ヴァーチュアの扉が閉ざされた。

 絶望した人々の騒ぎ、混乱。


 地区の避難所、小学校の真っ暗な体育館。

 青白い懐中電灯の光に照らされる両親を見ていた。


 公務員の母さんは、避難所の対応に追われ、日に日に疲れ果てていた。


「政府は…… きっと、なんとかする」


 父さんはずっと俯いていた。


「……もう、政府なんて機能していないよ」


 三ヶ月近い避難生活の後、やっと細々と電力が復旧し、家に戻れた。


 テレビをつけてもアニメなんてやってない。

 ニュース番組ばかりが流れていた。


「本日をもって、政府は仮想現実の統治を民間に委託する……」


 ニュース速報。


 目に飛び込んだのは、そんな内容だったと思う。

 子供でも嫌だなと感じるニュースを見ながら、父さんと母さんが言葉を交わしていた。


「……これから、どうなるんだ?」


「官公庁の閉域化、いよいよ本格的になるわね。私の職場も、あと数ヶ月もすればイントラに移行するって話よ」


「そうか…… なら、俺もインター・ヴァーチュアの仕事に移るしかないな」


 父親は苦笑した。


 両親の間で決定されていく未来。

 俺は、それをただ聞いていることしかできなかった。


     【Present Day】


 ぐっしょり汗を吸ったウェアを洗濯機に放り込み、シャワーを浴びる。

 鏡を見る。水滴が静かに落ちる。


 パンデミックスの影響で通うようになった仮想空間の学校には最初、違和感があった。

 少し慣れた頃にブラックアウトが起きた。


 結局、暗黒時代の影響は現実世界の時間で二年続き、その間ほとんど学校には通っていなかった。

 インター・ヴァーチュアで再び学校に通うようになった時にはもう、五年生になっていた。


 小学校六年生の頃は、まだインター・ヴァーチュアの時間で毎日仮想空間の教室に通っていた。

 でも、中学に上がったタイミングで突然、制度が変わった。


「暗黒時代の影響からの脱却を認め、インター・ヴァーチュア内の就学特別措置が廃止されます。 これからは週休六日制に移行され、学校は現実時間での週1回の通学に統一となります」


 インター・ヴァーチュアの時間で毎日学校に行っていたら、ある日突然に学校は現実の時間に合わせると言われた。


 最初の頃は週休六日とか喜んだけど、あっという間にどうでも良くなった。


 そして、学校は本当に形骸化していった。


 周囲のクラスメイトの顔がどんどん変わっていく。

 多国籍化が進み、同じ学校に通っていても、互いを知らないのが当たり前になった。


 同級生と顔を合わせるのは週に一度。

 それも、名簿上の関係にすぎない。


 学校の友達って概念は、俺には無くなっていた。


 ルーティンのノルマを終えると、自分の部屋に戻った。

 今日は両親とは顔を合わせなかったな。


 そういえば、どのくらい現実では顔を見ていないだろう……。


「まあ、いいか……」


 気になるならメールかコールでもすればいい。


 時計を見ると、まだログインするには早い。

 ルーティンをやる時は、ログインまで一定時間を空けるのも決まりだ。


『人は現実を捨て去ることは不可能であり、そのためデジタルのデトックスは現代人の必須なイニシエーションである』


 とかなんとか……。


 大昔はコーラで骨が溶ける、ゲームで脳がバカになるなんて話があったが、今は仮想現実では毒が溜まるらしい。


 どちらにせよ、ログインまではあと三十分の時間がある。


(どうするか……)


 ぼんやりと天井を見上げたあと、俺は机の端末に手を伸ばした。

 指先が自然と、ファイルリストの中にあるコード・フレームワークのデータへと向かう。


 キーボードとマウス。

 いまだに現実世界では、これが当たり前だ。


 インター・ヴァーチュアでも、何故か面倒な操作だったり、手入れや手間が必要になる。

 けれど、それは無駄じゃない。


 一手間をかけることで、制御の自由度が広がる。

 それに個人差が出る。


 自分の意思で操作し、調整し、結果を導き出す――。

 そこには、選択の余地と上達するためのモチベーションがある。


 上手いやつはほんの少しの設定の違いで驚くほどの差を生む。

 それを知っているからこそ、俺はこの「手間」を楽しんでいた。


 だが、こっちはどうだ?


 この現実では、すべてが「必要だから」ではなく、「変えられないから」残っているだけだ。

 タッチパネルの操作は効率的になったと言われているが、結局「選ぶだけ」の動作に最適化されただけで、それ以上の余地はない。

 俺たちはただ、決められたルートをなぞることしか許されていない。


 俺の指は無意識にキーを叩く。


 端末の画面に、自分のコード・フレームワークのシルエットが映し出される。

 見慣れたはずのフォルムが、今夜の大仕事に向けて、別の意味を持つように感じる。

 中古で手に入れた、ミドルライトの機体だ。

 トップパワーはイマイチだが軽量で瞬発力は高い。


 ――操縦データをチェックしながら、胸の奥が妙にざわつく。


「こいつでどこまでやれるか…… 試すしかねぇよな」


 シートに座り、ハンドルを握る……。

 脳内にはすでにどうコントロールするかのイメージが渦巻いていた。


 インター・ヴァーチュアでの大仕事。

 リーダーが持ってきた宝の地図ってやつだ。

 正直眉唾モノだ、当たりがサルベージできればめっけものというところだ。

 でも、潜りこむ場所自体はかなりヤバい。


「目標地点への潜入、回収、撤退」


 やることは決まっているが、俺にとってはそんなものは二の次だ。

 ――重要なのは、コード・フレームワークでどう攻めるかだ。


 データを遡り、先日のログを開く。

 限界加速域での動作ログ、応答遅延、出力調整の余地……。

 数値が物語っている。

 今の俺がやれてるのは多分、中の下というところだ。


(ダメだ、ぜんぜんダメ)


 もう一度、制御のイメージを組み立てる。

 アクセル、スロットル、出力の配分。

 重心移動、フィードバック応答。

 四肢の思考制御と装備のコンボ。

 限界まで攻め込むためのシミュレーションを繰り返す。


 手の中の操作が、仮想の操縦桿に変わる感覚がする。

 指先のわずかな感触、応答速度の調整。この感覚を繰り返せば、実際に乗り込んだ時、身体が迷わずに反応する――そのはずだ。


 頭の中では、すでにその景色が広がっている。

 闇の中を疾走するコード・フレームワーク、加速の衝撃、旋回のG。

 データの海を切り裂く光の軌跡。


(ここじゃない……)


 デスクの片隅に、ニキシー管時計の数字が静かに光っている。


(……まだ、二十三分もある)


 コントロールを組み直す。


(……あっちの方が、現実だ)

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