第5話 九能 悠の時間―電光石火に銀の靴/01 テキヤの依頼
【Present Day】
午前四時を少し回った頃。
港へ下りる昇降プラットフォームの手すりにもたれ、ブラックの缶コーヒーに口をつけながら、俺は過去の仕事のことを思い出していた。
本業ではなく、バイトの方だ。
あの仕事がきっかけで、俺に後輩ができた。
女の子でメカニックだ。
――だが、後輩とはいえ、本人はちっともこっちを先輩とは思っていなさそうだ。
むしろ、かなり見下されているような気がしないでもない。
一応、年上なんだけどな。
今日もこのあと、顔を合わせることになる。
口の中に広がる苦味が、今の俺の心境そのものだ。
もう一口、啜る。その動作の合間に、記憶の方が先に動き出した。
【Flashback】
――足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
HODOのテキヤ事務所。奥の和室に通されると、そこだけ時間の流れが違うみたいだった。
畳の匂い。床の間には、いかめしい顔の老人の掛け軸――。
角と蓑に長い葉っぱ。
水墨画の墨の濃淡が、妙な迫力でこっちを見てくる。
隅には達筆で『神農炎帝』とある。
リーダーとアジエは座布団に胡座。俺とライノは雰囲気に呑まれて、なんとなく端で正座していた。
「ウヒョー、これが『ニンキョウ・ウェイ・オブ・ライフ』ってやつ?」
ライノが目を輝かせて囁いた。こいつ、所作はできるくせに和室を初めて見たみたいにキョロキョロしてる。
「任侠道な……。 つうかさ、こんなコテコテの畳張りとか久しぶりに見たぞ」
「ええー、悠って日本に住んでるんでしょ? 日本の家ってタタミ、カケジク、ボンサイじゃないの?」
「畳なんて今時、珍しいよ。 お前は日本に何を期待してんだ」
「ええーなにそれ、ツマンネー」
「ウッセーぞ、お前ら」
アジエに一喝されて、俺たちは背筋を伸ばした。
何やらヤクザ映画の下っ端の気分だ。
しばらくして、上座に真っ赤なアロハシャツ姿の婆さんが現れた。
ミツエ婆さん――HODOの商売人の顔役だ。
「柳、アジエ、わざわざ悪いね。 よっこらしょ」
右足で立膝をついてどかっと座る。
「歳で足がキツくてね。 まったくこんなところだけ中途半端にリアルで困ったもんだ」
「ああ、そうだな。 俺もそこは同感だわ……」
少し冷めたお茶を啜りながら、リーダーがつまらなそうに答える。
空気が淀んだ。
「それで、ミツエさん。 私たちに頼みたいことがあるってなんです?」
空気を読んだのか、アジエが切り込んだ。
「ちょいと、アレ持ってきな」
障子がスッと開く。サングラスにハンテン、甚兵衛姿の男が無言で高級そうな服を置き、一礼して去っていく。
パステルカラーの女物のブレザーだった。
アジエがそれを見て、眉間に皺を寄せた。
端末を取り出してスキャンする。
「ちょっと、ミツエさん――これっておかしくないか」
「やっぱりあんたは目が肥えてるねぇ」
「偽物なのは間違いない。 でも――タグボックス以外を全部完全に再現してる。 物としては本物そのものだわ」
俺は一瞬、意味が呑み込めなかった。
この世界はデータで出来ていて、タグボックスというシリアルコードで本物を証明している。
タグボックスなしでの複製は不可能だ――。
この世界の人間なら誰でも知ってる基本だ。
それを破るってことは、つまり――。
「ありえねぇよ」
アジエがそう言い切った声には、困惑と―― 微かな警戒が混じっていた。
「でよ、婆さん。 俺たちに何をしろって? これを流したやつにヤキ入れて手を引かせろってか?」
リーダーは仏頂面で茶を啜る。
「それとも、そのブツを追って残らず始末しろとかか?」
リーダーの様子がおかしかった。
普段はトラブルに好んで首を突っ込んでいくような人だ。「補給がなければ干上がる」と言うのもリーダー自身だ。
それが今日は―― 初めからシラけている。明らかに乗り気じゃない。
アジエはこめかみをピクピクさせて怒りを抑えていた。
理由はわかる。現在俺たちは無一文だ。
今ある物資が尽きれば、当分は運送屋や日雇労働だ――。
「そうさね。 今回は救出ってやつかね……」
「おいおい、婆さんよ。 俺たちが空挺レンジャーにでも見えるのかよ」
「おい! バシ! 黙れっつーの!」
アジエが切れた。リーダーは舌打ちしてソッポを向く。
「すいません、ミツエさん。 このアホはほっといて、とにかく詳しい話を聞かせてもらえますか」
リーダーの態度をニコニコと流す婆さんも、たいがい曲者だ。
彼女は端末を操作し、映像を浮かび上がらせた。
――そこに映っていたのは、野暮ったいアーミーグリーンのコートを着た女の子だった。
透き通るような白い肌。緑の瞳。フワリとした銀色の髪。
同じぐらいの年頃だろうか。
迂闊にも、目が離せなくなっていた。
「この子、確か……」
「おや、おまえさん知ってるのかい?」
「ちょっと前ですけど噂になってた子じゃないっすかね?」
ライノが画像の顔を覗き込む。
「どこからか流れ着いたホームレスの超美人が、2層の公共ターミナルでいきなりエロい動画見だしたって話題になってましたけど……その子っぽいんですよね」
ああ、それ俺も聞いたことあるわ。
「呆れた。 そんなことでも有名なのかい、どこまで世間知らずなんだか……」
ミツエ婆さんはため息をついた。
「この娘がその服を捌いてた張本人さ。 たぶん、作ったのもこの娘だろうね」
頭が痛いと、こめかみを揉みながら婆さんは続けた。
「ここ最近、変なブツが流れてるのに気づいてね、追ってみたらこの娘だったわけだ。 たいして追わないでもわかるぐらいには派手に遊んだみたいでね、先に鄭のところに引っ張られちまったんだよ」
そこまで言うと、婆さんはリーダーとアジエに真っ直ぐ顔を向けた。
「じつはね、この娘とは少し前に因縁があってね……助けてやってくれないかい?」
鄭―― この前、やはりミツエ婆さんの依頼で話をつけに行ったとき、リーダーが喧嘩を売った密売人の頭目だ。
どうやらこの子は、やばい商品を流してブラックマーケットを怒らせてしまったらしい。
どんな因縁があるのかは知らないが、婆さんは本気でこの子を心配しているようだ。
「おことわりだ」
リーダーが話をぶった斬った。
「ああ? なんでそうなんだよ!」
「どこぞのメスガキが調子こいて痛い目にあってるだけだろ。 自業自得だ、付き合ってられっか」
リーダーがこれほど頑なにバイトを拒むのを見るのは初めてだ。
彼はその服に、汚物でも見るような視線を向けた。
「その女の作ったってブツ。 なんか気に入らねぇんだよ」
「ハァ、なんだそりゃ? ただの服だろ」
「……そいつは、なんか生きてるみたいで気持ち悪ぃんだよ。 関わりたくねぇ」
「あー、オメェここにきて勘かよ……フザケンナ」
勘か。
なんとなく、腹に落ちた。
この人はこういうところがある。まだ短い付き合いだが、その直感を外したことがない。
だからアジエも、言葉を淀ませた。
場が静寂に包まれる。
「柳、お前さんが感じるもんは正しいよ」
沈黙を破ったのはミツエ婆さんだった。
「このブツはね、あたしも世の中の理ってやつに唾吐くような代物だって感じるよ」
それまでそっぽを向いていたリーダーが、ようやく婆さんの顔を見た。
「亭主の代のことだ。 現実で商売していたころは、たまにこういったよくない品物ってやつを見た。 そういうことに縁が無さそうなインター・ヴァーチュアで、また見るとは思わなかったけどね」
リーダーは無言で婆さんを見続ける。
「あんたが言うように気持ち悪いんでね、ブツは全部回収したよ」
「で、ソレ、どうするんだ?」
「こっちの神様に委ねるのがいいだろう。 1層の一宮神社で祓って焼いちまう。 あたしが責任を持って始末するから、鄭にもそう伝えておくれ」
何やらオカルトめいた話になってきた。
HODOでも一番上の1層には、神社や寺、教会、モスクなんかが仲良く並んでいる。人種も国もごちゃ混ぜになったこの世界で、誰が何を信じるかには口を挟まない―― それが暗黙のルールだ。
「ブツは婆さんが始末する――そうなると、あとは蒔いたやつが問題ってことか」
「その通り。 あたしはこの件を葬るが、鄭のやつはどうかね。 作り方を吐かせるか、作らせるかのどちらかだろうよ」
「ほっときゃこの薄気味悪いもんがまた出回るって言いたいのか?」
「そうだよ、だから張本人はここに連れてきておくれ」
リーダーは頭をぼりぼりとかきむしり、ミツエ婆さんに向き直って苦笑いをした。
「汚ねぇぞ、ババア。 俺の負けだ。 報酬は弾めよ」
隣でアジエが小さく「Yes」とガッツポーズをとった。
俺はまだ、映像の中の銀色の髪のことを考えていた。




