第4話 チセ―Land of Oblivion/03 密航者
【Present Day】
今の姿になった時に何故、涙を流していたのか……。
今でもよくわからない。
あの時はそれが涙というものであるかさえ知らなかった。
むしろ直後は何かのバグや、エラーが起きたのかと怖くなったぐらいだ。
「おはよう、チセちゃん。 はかどっとるかね?」
そう声をかけられ、わたしはハンガーの上層通路へ視線を向けた。
「おはよう先生。 馮さんも、今日は早いね?」
首からメガネを紐で下げた白衣を着た背の低い老人と、その後ろを歩くピンク色の看護服を着たショートカットの長身の女性。
このジクサーの船医の滝沢先生と、看護師のフォンさんだ。
滝沢先生はメガネを鼻の上に乗せると、顔の皺と同じくらいシワシワの白衣のポケットに手を突っ込み、上からわたしの顔を覗き込んだ。
「うーん、いかん、いかんなぁ? チセちゃん顔色が悪いぞ。 ちゃんとリアルで食べとるか?」
わたしは苦笑いする。
嫌な記憶を思い出していたのが顔に出ていたらしい。
「後で顔出しなさい。 バイタルをちょっと誤魔化しちゃるよ」
手を振りながら先生はヒョコヒョコと歩いていった。
フォンさんはわたしに軽く会釈すると、そのまま先生について通路の先の廊下に消えていった。
にぎやかな滝沢先生とは対照的にフォンさんはほとんど口を開かない。
ライナーは規模によるが、最低でも一人の船医は乗せる必要がある。
インター・ヴァーチュアでの肉体的損傷への対応やメンタルケアを行う医師が、安全地帯であるテリトリーやコミュニティを離れるライナーに必要なのは当然だろう。
とはいえほぼ非合法運用のギルドのライナーで医者を乗せるかといえばそうでもない。
そういう意味ではうちの柳橋は性格は無茶苦茶だが何故かそういう決まり事は律儀に守る。
滝沢先生はコミュニティでは頼りにされているが、正式な医師なのかは正直怪しい。
ジクサーで勝手に開業しているようなもので、港にいる間は医務室を開放してHODOの住民の診察をしている。
このジクサーは、たぶんHODOで最も人の出入りが激しいライナーだろう。
ハンガーが患者の待合室がわりになることもある。
そういえば、フォンさんがいつもハンガーに運んでくるあのベンチはどこにいったのだろう?
船医か。
初めてわたしを救ってくれた人間も、船医だった。
結局、船医だけでなくあのオーシャンライナーの全員が、わたしを助けてくれたのだ。
【Flashback】
「待ってください! 艦長、落ち着いて」
そう言いながら、真っ白なユニフォームを着たその人間は左手でわたしを背に庇い、右手で黒いユニフォームと帽子を被った眼光鋭い顎髭の人間を制していた。
周りに同じような姿の人間たちがわたしたちを取り囲んでいた。
人間の姿になったわたしはあのあともコンテナの貨物スペースに隠れていたが、思わぬ副作用を抱えることになった。
空腹という感覚を覚えるようになったのだ。
これが今までの循環不足ではなく、飢えという感覚なのだと人間のライブラリを検索して初めて理解した。
これまではデータの循環が不足した場合は意図的に一部の機能や感覚をサスペンドすればよかった。
それとは違う、この耐えられない感覚は初めてだ。
サスペンドや停止のような、力が抜ける制限とはまるで違う感覚――。
体の中心に巨大な穴が空き、そこに引きずり込まれるような感覚――。
空腹を認識したわたしはたった十二サイクルも耐えられず、飢えを満たすために食料を求めた。
そして、そのデータが食堂という場所にあることを検索しコンテナから出た。
当然、あっという間に発見されたわたしは必死に逃げ回ったが結局、甲板で追い詰められた。
ただ、わたしを取り囲んだ人間たちはわたしを見て驚きの表情は浮かべても異質なものとは認識していないようだった。
「ぁああぁ! ぁああ!」
まだ声帯をコントロールできないわたしは口からノイズのような音を発し、人間たちを威嚇することしかできなかった。
やがて、この場に二人の人間がやってきた。
そして今、その二人はわたしを巡り対峙しているようだった。
「ドクター・マキシム、自分が何をしているのかわかっているのかね」
「ええ、十分わかっています。 艦長こそよく見てください、まだ子供です。しかも女の子ですよ」
わたしは頭から白い毛布をかけられていた。
マキシムと呼ばれた人間が駆けつけるなりわたしに被せたものだ。
「それにどういう理由かは知らないが、裸も同然ともなれば船医としては見逃せません。 検査のためいったん、保護させていただきたい」
「むぅ」と顎髭の人間は被った帽子のつばをつまみ顔を隠すように強く引っ張った。
「理屈はわかる…… わかるが、あの直後に見つかった密航者だ。 ドクター、あれの後にだぞ」
唸るような声で、艦長と呼ばれた人間は言った。
「その通りです。 私たちは皆、後味の悪い仕事をした。 艦長、私にアレを調べるように指示して上陸させたのはあなたです」
マキシムという人間のその言葉にざわついていた場がシーンと鎮まりかえった。
わたしは毛布の隙間から辺りを見回した。
その場にいる人間たちは一様に俯いていた。
「だからあえて、言わせていただく。 アレを見た私だからはっきり言い切れます、彼女は人間だ」
白いユニフォームを着たマキシムは艦長をまっすぐに見据えてそう言った。
その間もわたしを守るように手を伸ばしている。
艦長は肩をすくめ、「ふぅ」とため息をついた。
「なるほど、医者として君はこの娘を人間の密航者だと判断するということか」
「そうです」
艦長の帽子の下の鋭い目に射抜かれてわたしは思わず、マキシムという人間から伸ばされた手を、両手で掴んだ。
その感触はなぜか担当者を思い出させた。
ちらっとマキシムがわたしの方を振り返った。
そして、そっと片目をつぶって見せた。
それが何を意味するのかわからずわたしは首を傾げた。
「わかった。ドクター・マキシム、要請を受け入れる。 次の寄港地までこの娘の処遇は君に一任しよう」
そう言うと艦長はわたしたちに背を向け、大きく二回、手を叩いて叫んだ。
「諸君、聞いての通りだ。 持ち場に戻れ!」
その場に集まっていた人間たちは散り散りに解散した。
そのうちの何人かはマキシムと呼ばれる人間とわたしの肩をポンポンと叩いたり、親指を立てて去っていった。
それが何かの合図らしかったがわたしには理解できず、マキシムの手をさらに強く握った。
すると最後に、艦長と呼ばれる帽子の顎髭の男がわたしの前に歩み寄った。
「ドクター…… 次の寄港地で必ずこの娘を降ろせ」
艦長と呼ばれる人間は小さな、それでいて強い力を感じる声でそう言った。
「イエス・サー。 ジョンソン艦長、感謝します」
「私にできるのはそこまでだ、本社の連中が来る前に手を打て」
それだけ囁くように言うと、ジョンソン艦長はそっとわたしの頭に手を置いた。
「すまない……」




