第69話 四つ目の星
ギルドの扉を押すと、煮込みの匂いと、いくつもの話し声が流れてきた。
マシュウは外套の留め具を緩めた。隣ではリュカが、新しい弓を人にぶつけないよう肩へ寄せている。レティシアも旅用の服に杖を携え、ヴァレクの腰には長剣があった。
受付へ呼び出しの封筒を出すと、すぐに奥の階段へ通された。
「どうぞ。お待ちです」
開かれた扉の向こうで、大柄な男が顔を上げた。短い髪には白いものが混じり、袖をまくった腕は、机の上の酒瓶より太い。男は四人を見ると、書類を脇へ押しやった。
「揃ったな。ガレス・ヴォーンだ。このギルドを預かっている」
差し出された手を握ると、分厚い掌が返ってきた。力比べをするような握り方ではなかったが、親指の付け根まで硬い。
「マシュウ・ファルニールだ」
「ああ。顔と名前を、ようやく合わせられた」
ガレスは残る三人とも手を交わし、椅子を勧めた。リュカが弓を壁へ立てかけると、机の引き出しから四枚の紙を取り出す。
「まず、ガルドナではよくやってくれた。お前たちが入らなければ、帰ってこなかった奴がいる。町からも礼を預かっている」
マシュウは、崩れた鉱道で手を伸ばしてきた男の顔を思い出した。最後に見たときには、もう自分で飯を食っていた。
「町の方は?」
「下の昇降籠が一台、動き始めたそうだ」
「早えな。クルト、もう直したのか」
「寝ないでやりそうな男だな。ボルグも同じことを心配していた」
ガレスは口元を緩めた。それから四枚の紙を、それぞれの前へ滑らせる。
自分の名前の下に並ぶ星を見て、マシュウは指を止めた。
三つではなかった。
「四つ星への昇級クエストを受けてもらう」
レティシアが顔を上げた。リュカは自分の紙を確かめ、隣のマシュウのものへ目を走らせる。ヴァレクだけが、ゆっくりと笑みを深めた。
「マシュウ、レティシア、ヴァレクは四つ星。リュカは三つ星への審査だ。四人で、同じ依頼に当たってもらう」
「マスターの指名で、ですか」
レティシアの声には、抑えきれない弾みがあった。
「俺が呼んだんだ。当然だろう」
ガレスは椅子へ背を預けた。
「精霊を顕現させ、あの飛竜と渡り合った二人を、いつまでも三つ星として扱えん。マシュウ、お前が翼を叩き折ったところも、報告で読んだ。あの姿に変わる前の戦いもな」
紙の端を押さえていた指に、力が入った。
マシュウは胸元のプレートを引き出した。三つの星には、旅の間についた細かな傷が残っている。その隣にもう一つ増えるところを想像すると、自然と口元が緩んだ。
「受ける。何を倒せばいい?」
「気が早いな。まだ報酬も見ていないだろう」
「それは今から見る」
下まで目を走らせて、思わず紙を持ち上げた。これまでの依頼とは、書かれた額が違う。
横から覗いたヴァレクが笑った。
「増えた分で、何を買うの?」
「まず靴だな。旅で使う方、底が減ってる」
「君、そういうところは変わらないね」
「お前は減らねえのかよ」
「僕は、減る前に替えるから」
リュカが噴き出しかけ、慌てて口を押さえた。だが、自分の前の紙へ目を戻すと、笑いが引っ込んだ。
「俺も、この依頼でいいんですか」
ガレスがそちらを見る。
「何か不満があるか」
「そうじゃなくて。俺は、飛竜に大きな傷をつけたわけじゃないから」
紙に並ぶ三つの星を、リュカは指でなぞった。
「鉱道の支えが落ちるとき、どこへ逃がせば下敷きにならずに済むか、誰が見つけた」
リュカの指が止まった。
「それは……俺です」
「そう書いてある。お前の土魔法で助かった人数もな」
ガレスは別の書類を二本の指で叩いた。
「弓も道も使える奴が、ちゃんと周りを見ていた。俺はそこを買った。次の仕事でも、見せてもらうぞ」
リュカが背筋を伸ばした。短く返事をしたあと、唇を結ぶ。照れているのかと思ったが、紙を持つ手が、少しだけ震えていた。
マシュウはその肘を軽く小突いた。
「新しい弓、間に合ってよかったな」
「……ああ。ほんとにな」
*
ガレスが、机へ赤茶色の石を置いた。
拳より少し大きい。片側だけが、不自然なほど平らだった。割れ目を探して指を滑らせたマシュウへ、もう一つの欠片が差し出される。
重ねると、ぴたりと合った。
「赤柱峡谷。街道の脇から採った石だ」
「これ、斬ってあるのか?」
「そこに巣を作った魔物にな」
続けて広げられた絵図に、リュカが身を乗り出した。
細い胴に、折り畳まれた四本の前脚。先端の黒い刃は、地面に立つ人間よりも長く描かれている。
「黒刃蟷螂……」
マシュウが口にすると、ガレスが頷いた。
「知っているか」
「ああ。鎌ばかり見てると、横っ腹から食われる。顔を寄せてくるのも速い」
絵の頭部を指で押さえた。黒い角の下には、小さく見える顎があった。人と並べたこの絵なら、小さくても頭が丸ごと収まる。
「こいつを倒し、街道を開ける。討伐の証しは頭の角だ。現地には見届け役も同行させる」
「街道の人は、避難できているの?」
レティシアが尋ねた。
「封鎖済みだ。今は南へ迂回させている。ただ、遠回りだと家畜も荷馬ももたん。十日後に市が立つ。それまでに片づけたい」
ガレスは地図へ手を広げた。谷の中には、細長い岩の柱がいくつも描かれている。
「岩を斬って道を塞ぎ、逃げた獲物を追い込む。開けた場所へ誘うにしても、向こうも同じことを考えていると思え」
レティシアが切断された石を持ち上げた。白い指が平らな面を辿る。その目は、さっきまで星を見つめていたときより鋭かった。
「四本、一度に来るとは限らないわね」
「一つ止めたところへ、残りが来るだろうな」
マシュウが答えると、彼女は石を机へ戻した。
「受けます。水を斬られたあとの動きまで、試したいことがあるの」
「岩も落ちてくるなら、僕向きだね」
ヴァレクが絵図の鎌へ爪を当てた。そのまま、刃の根元までゆっくり滑らせる。
「四本とも押さえたら、どんな逃げ方をするんだろう」
「逃がすなよ。街道へ戻られたら困る」
「わかってるよ、マシュウくん。君が殴る分は残しておく」
「誰が分け前の話をした」
ガレスが低く笑った。リュカは地図を覗き込み、岩柱の間を指で辿っている。
「この上の道、弓を持って登れますか」
「入口までは調べてある。その先は、お前の目で確かめてくれ」
「地図も写していっていいですか。足りないところは、俺が描き足します」
「それも仕事のうちだ。書き加えた分は、帰ってきたら見せろ」
リュカが頷いた。今度はもう、返事に迷いがなかった。
出発は四日後、次の休日が明けた朝に決まった。道具を揃え、地図を写す時間もある。マシュウは日付を確かめ、ネラと出かける約束にも間に合うと、依頼書を畳んだ。
扉を出る前に、ガレスが声をかけた。
「四人とも、角を持ってここへ戻ってこい。新しいプレートは、そのとき渡す」
マシュウは振り向いた。
「磨いといてくれよ」
「生意気なガキだ」
そう言った男は、笑っていた。
*
「四つ星!?」
翌朝、イリスの声に、教室のあちこちで顔が上がった。
マシュウの机へ広げられた依頼書を、彼女はもう一度覗き込んだ。星を数え、末尾の署名を見て、それからマシュウの顔を見る。
「これ、マスター本人の……。昨日、呼ばれたって、それだったの?」
「ああ。リュカは三つ星になる。受かればな」
「待って。あたしたち、同じ日に二学期が始まったわよね?」
「そりゃそうだろ」
「そんなことはわかってるわよ!」
イリスが机に両手をついた。近くの生徒が椅子を寄せ、向こうでは、誰かが「もう昇級の指名かよ」と呟いた。
オスカーも紙を読んでいたが、途中で小さく息を吐いた。
「ガルドナの討伐隊に入ったとは聞いてたけど……。ここまで評価される働きだったんだね」
彼の指先が、腰につけた自分のプレートに触れた。
レティシアは鞄を置きながら、隣の生徒へ依頼書を見せた。受け取った少女が目を丸くすると、彼女も、ほんの少し顎を上げる。隠すつもりのない嬉しさが、その横顔にあった。
「ボルグと同じ星になるんだな」
アーヴィンが机の前へ来た。
「取れたらな」
「取ってこいよ。次に勝ったとき、四つ星を倒したって言える」
「言わせねえよ」
二人の間で、イリスが顔を上げた。
「あたしだって、三回も護衛を終わらせたのに」
悔しそうな声だった。言ってから、彼女は唇を噛み、机を離れる。
「……でも、飛竜だものね。ああ、もう。おめでとう。合格するまでは、もう言わないから」
「十分だよ。ありがとな」
マシュウが笑うと、イリスは肩をすくめ、オスカーを振り返った。
「今日の放課後、ギルドに行くわよ」
「次の依頼を選びに?」
「そう。あたしたちも、自分たちで決める。あんた、隊商の仕事を探してたでしょ」
「いいね。僕も、見ているだけは嫌だ」
オスカーが頷いた。二人が話しながら自分たちの席へ戻るのを、マシュウはしばらく見送った。
ふと隣を見ると、リュカが机の下で何かを書いていた。
「もう地図か?」
「手紙。爺ちゃんに」
「まだ受かってないぞ」
「挑戦できるってことだけでも、先に知らせたいんだよ」
リュカは少し照れたように笑い、三つ星、と書いた文字を隠さず、その続きを書き始めた。
*
放課後の実技場で、マシュウはレティシアと向かい合った。
足元には浅い水溜まりがある。昼休みに相談したとおり、彼女が杖で引き寄せておいた水だった。少し離れた場所で、リュカが新しい弓に矢をつがえる。ヴァレクは剣を肩へ預け、土で固めた的を眺めていた。
「いつもより低く撃つわ。合わせられる?」
「ああ。俺が飛び込んだら、そのまま後ろを頼む」
返事をすると、レティシアの杖が上がった。
「蒼鞭!」
足元を水が走った。マシュウが踏み越えた直後、二筋に割れた流れが左右へ跳ね上がる。靴の側面が濡れたが、速度は落とさない。振り返れば、鞭はもう、自分の背後を守る位置にあった。
いい。こいつなら、次の一撃まで入れる。
拳へ火を灯した、そのときだった。
「マシュウくん、右」
ヴァレクの声とともに、側面の的が地面を滑ってきた。咄嗟に腰を落とすと、その上をリュカの矢が抜け、奥の的へ突き立つ。
「今のは、聞いてねえぞ!」
「魔物も、先には言わないだろう?」
楽しそうな声に、マシュウは歯を見せた。
「だったら、お前も動けよ!」
赤い火が拳を包んだ。四本の鎌を描いた絵が、頭に浮かぶ。水が横へ退くのを見て、マシュウは正面の的へ踏み込んだ。
「赫牙!」
土の塊が、拳の向こうで砕け散った。




