第68話 それぞれの三週間
「四人とも、今日から実技に出ていい」
ダリウスの言葉に、マシュウは顔を上げた。
朝の実技場には、まだほかの生徒はいなかった。腕を動かし、走り、魔力を通してみる。四人を順に確かめ終えたダリウスが、昨日預かった治療の記録を閉じた。
「授業で遅れたところは、私と各教科の担当で調整する。友達に借りたノートも使え」
「先生、知ってたのか」
「三人とも、何度も聞きに来たからな」
マシュウは鞄へ目を落とした。昨夜、もらった紙を順に綴じたばかりだった。
ダリウスが四人を見渡した。
「ボルグから話は聞いた。あの町で、よく戦った」
レティシアが杖を握り直した。リュカは何か言いかけ、口を閉じる。ヴァレクだけがいつもの顔で、マシュウの横顔を覗き込んでいた。
「今日は、教室へ戻ってこい」
頷いて歩き出したとき、マシュウは実技場の中央を見た。踏み固められた土には、昨日も誰かが戦った跡が残っている。
足に力を込めると、靴底が土をしっかり捉えた。
*
「あ。帰ってきた」
教室へ入ると、イリスが机から顔を上げた。
声は思ったより大きかった。近くで話していた生徒たちが振り向き、奥にいた一人が椅子から腰を浮かせる。
「昨日、門に馬車が来てたって聞いたけど、本当に……」
イリスはそこで言葉を切った。四人の顔を確かめてから、ふっと肩を下ろす。
「お帰り。ずいぶん長かったじゃない」
「ただいま。そっちは何してたんだ?」
「仕事。三回も護衛に行ったわ」
机に置いていた布を開くと、青灰色の土の塊があった。マシュウが覗き込む前に、イリスは紙を一枚敷いて、その上へ載せ直す。
「窯で焼くと色が変わるの。前にリュカが道を教えてくれたところより、もう少し奥」
「取れたのか、あそこまで」
リュカが身を乗り出した。
「依頼が終わったあとにね。ちゃんと買ったわよ」
「荷車に一袋積もうとして、御者に止められたけどね」
オスカーが横から言うと、イリスが顔をしかめた。
「半分は持って帰れたでしょ」
「ほかの荷を積む場所まで土で埋める気だっただろう」
マシュウは吹き出した。オスカーも笑い、机の横へ立てかけていた小盾を持ち上げる。縁には、見覚えのない深い傷がついていた。
「帰り道で牙を受けた。盾だけで止めようとしたのが、少しまずかった」
「猪か?」
「そう。荷車の方へ回り込ませたくなくてね」
「踏ん張る方を見られると、そっちへ押してくる奴もいる。足場は?」
「泥だった。だから次から、盾を出す場所も選ぶ」
オスカーは傷の上へ指を滑らせた。悔しそうだったが、すぐに盾を戻し、マシュウへ笑いかける。
「そっちは飛竜だって? ギルドで名前が出てたよ。討伐隊に参加していたって」
近くの生徒が、こちらへ耳を向けた。
「見たことはあったが、あんなでかいのは初めてだった」
「どれくらい?」
「翼を広げたら、この教室じゃ足りねえな」
イリスが、壁から反対側の窓へ目を動かした。その顔から冗談を言いかけた気配が消えた。
「……よく帰ってきたわね」
「ああ。四人だけじゃ、無理だった」
マシュウが答えると、リュカも頷いた。
ヴァレクが何か言おうとしたところで、奥から椅子の音がした。
「今日、組めるか」
アーヴィンだった。机から離れ、マシュウの前へ来る。
「実技か?」
「ああ。お前が戻ったら、試したいことがあった」
マシュウはその目を見て、口元を上げた。
「いいぜ。先生からも、もう動いていいって言われてる」
「なら、決まりだ」
「僕も待ってたんだけどね」
ヴァレクが肩を寄せてきたので、マシュウは鞄を持ち上げて間へ挟んだ。
「今、先に約束しただろ」
「じゃあ、その次」
「勝手に予約を増やすな」
始業の鐘が鳴った。ヴァレクは笑ったまま自分の席へ向かい、イリスは慌てて土を包み直した。
マシュウも席に座り、三人が写してくれたノートを開いた。
*
午後の実技で、アーヴィンは真っ先にマシュウの前へ立った。
槍は先端に厚く革を巻いた練習用だった。けれど、握った手の下で青白い火花が弾けると、マシュウの気持ちも切り替わった。
あの雷は、覚えている。
昇星戦で柄を掴んだとき、指の先から肩まで痺れた。今も、触れていいものではない。
「始め!」
ダリウスの合図とともに、槍先が走った。
マシュウは左へ身体をずらした。すぐ頬の横を穂先が抜ける。踏み込もうとすると、引かれた柄が胸元へ跳ね返ってきた。
速い。
肘を畳んで受け流した瞬間、青い光が柄を伝った。手を引くと、指のすぐ先で雷が弾ける。
「逃がすか。雷槍!」
突き出された穂先から、細い雷が伸びた。
マシュウは踵を返した。脇を抜けた光が地面を叩き、乾いた音と土の焦げる匂いが立つ。
思わず笑みが浮かんだ。
「前は、そこまで届かなかっただろ」
「近づかれる前に当てるつもりでな」
アーヴィンは答えながら、もう次の突きを放っていた。
下がる足を追って穂先が伸びる。その先に雷が灯るのを見て、マシュウは左手を開いた。
「火炎矢!」
炎の矢が槍先へ飛んだ。
アーヴィンが柄を振り、炎を横へ弾く。熱風が頬を撫でた。マシュウはその風へ踏み込み、引き戻される柄より早く懐へ入った。
目の前で、アーヴィンの口がわずかに開いた。
だが、退かなかった。
短く持ち替えた槍が、下から跳ね上がった。石突が顎へ迫る。マシュウは頭を横へ逃がし、その返しに右の拳を重ねた。
「赫牙!」
拳へ集まった炎が、短く噴き上がった。
アーヴィンは咄嗟に柄を横へ戻した。拳がぶつかり、両腕が押し込まれる。靴底が土を削り、止まろうとした身体がさらに後ろへ滑った。
白線を越えたところで、マシュウは拳を引いた。
「そこまで!」
炎が消えた。アーヴィンは槍を地面につき、乱れた息を一度吐いた。握っていた指を開き、また閉じる。
「……重くなったな。昇星戦のときより、ずっと」
「お前の返しも危なかった。前と同じつもりで入ってたら、顎に食らってたぞ」
「食らってくれればよかったんだが」
悔しそうに言われ、マシュウは笑った。
アーヴィンも口元を上げたが、すぐに白線の内側へ目を戻した。自分の靴が削った跡を見て、槍を持つ手の位置を少し変える。
「もう一度、同じところまで付き合え。今の返しを直したい」
「いいぜ」
「次の組が終わってからだ。場所を空けろ」
ダリウスに言われ、二人で脇へ退いた。
待っていたイリスがマシュウの右手を見た。
「さっきの火、もっと大きくなると思った」
「広げたら、槍ごと焼いちまうだろ」
「……あんた、それでも押し切れるのが腹立つわ」
口を尖らせながらも、彼女の手は短杖を握り直していた。呼ばれるとすぐに実技場へ出ていく。
隣から、ヴァレクが楽しそうに笑った。
「次の相手がすぐ決まるね、マシュウくん」
「お前も人のを見てばっかりいないで、行ってこい」
「もちろん。君もちゃんと見ててよ」
木剣を肩から下ろし、ヴァレクが歩き出した。火傷の跡を残した横顔には、退屈の色がなかった。
隣の区画で、水の弾ける音がした。
「蒼鞭!」
レティシアの杖から伸びた水を、オスカーが小盾で払った。砕けたはずの水が二筋に分かれ、片方は盾の裏へ、もう片方は足元へ走る。
オスカーが足を引いた。その間に手首へ水が巻きつき、剣先が地面へ引き下ろされた。
「……参った。切れたと思ったのに」
「次は、散った水も見ていて」
レティシアが杖を下ろした。水が砂へ染み込むと、オスカーは手首を振ってから頷いた。
マシュウは二人へ目を向けたまま、右手を握った。次に水と組むとき、今のように散ったあとも攻めを続けられる。あとで、レティシアにも話してみよう。
*
放課後、マシュウは約束どおり中庭へ向かった。
ネラは既に待っていた。エリオを相手に昨日の動きを試し、マシュウが来ると、今度はそちらへ杖を向ける。
「見て。ここから、こう」
「待て、それじゃ相手まで止まっちまうだろ。普通にやってみろよ」
マシュウは足を開き、片手を前へ出した。ネラが杖を動かすのを見て、その肩へ軽く手を伸ばす。
風が袖を押した。
ネラはもう横へ抜けていた。マシュウが向き直ると、こちらを見たまま二歩下がる。以前のように、自分の放った風を追ってはいなかった。
「今のだな」
「うん」
「もう一回。次は俺も、そっちへ動くぞ」
ネラが頷いた。エリオも横から足元を見ている。
日が傾くまでに何度も繰り返した。うまく抜けられるとネラは笑い、捕まると悔しそうに同じ場所へ戻る。マシュウも途中から声を出して笑った。気づけば、上着の背中が汗で湿っていた。
練習を終えると、ネラが水を差し出した。
「ありがとう。今日は、これでちゃんとわかった」
「何が?」
「あんたが帰ってきたってこと」
昨日も言っただろうと思ったが、ネラが満足そうだったので、マシュウは杯を受け取った。
「またやろうぜ」
「うん。次は一回くらい、ちゃんと逃げ切るから」
*
その日の夕方、リュカが新しい弓を持って寮へ戻ってきた。
イリスとオスカーに教わった店で、壊れた弓を見てもらったのだという。古い方は、引けば裂け目が広がるところまで傷んでいた。
「直せるなら、まだ使いたかったんだけどな」
部屋に来たリュカは、新しい弓を机へ置いた。前のものより少し短く、握りの部分に黒い革が巻かれている。
マシュウは持っていいか確かめてから、手に取った。弦は引かず、上下の反りと握った感触を確かめる。
「木の多いところでも振り回しやすそうだな」
「狭いところで射ることも増えたからさ。引く重さも、俺に合わせてもらった」
「高かったか?」
「森と海辺で稼いだ分が、けっこう飛んだ」
リュカは財布を持ち上げた。中身の少なくなった音に顔をしかめながらも、机の弓へ目を戻すと、口元が緩む。
「でも、今度はこいつで行く。前のやつも、捨てずに持って帰ってきた」
「爺ちゃんに見せるのか?」
「そのうちな。弓が折れる前に帰ってこいって、絶対言われる」
「もう遅いな」
「だろ」
二人で笑ったところで、扉が叩かれた。
「入るよ」
返事より先にヴァレクが顔を出した。後ろにレティシアがいる。彼女が持っていた封筒を見て、マシュウは弓を机へ戻した。
「先生から。あなたたちを捜していたの」
「何だ?」
「ギルドからの呼び出しよ」
封筒には学園宛ての文字と、その下に四人の名前が並んでいた。開かれた紙を受け取り、マシュウは目を走らせる。
指定は、明日の放課後。
ギルドマスターが、直接会って話をしたいと書かれていた。
「受付に報告をするだけじゃないのか」
「先生も、詳しい用件は聞いていないそうよ。ただ、四人とも来るようにって」
リュカが紙へ顔を寄せた。自分の名前を確かめ、その横にあるギルドの印を見る。
「ボルグが呼ぶんじゃなくて、マスター本人?」
「うん。僕も、まだ会ってない」
ヴァレクは楽しそうだった。
マシュウは紙をもう一度読んだ。飛竜討伐に関する報告は受け取った、とある。その先の用件は書かれていない。
胸元のプレートを指で引き出すと、三つの星が夕日に光った。
「行こうぜ。何の話か、聞けばわかる」
「武器も持っていく?」
リュカの問いに、マシュウは頷いた。
「持っていこう。冒険者として呼ばれてるんだ」
レティシアが封筒を畳み、ヴァレクは窓の外へ目を向けた。
「面白い仕事の話だといいね」
マシュウも同じ方を見た。校門の先では、街へ続く道に灯りが入り始めている。
制服を脱いで、もう一度あの道を行く。
今度は、ギルドマスターが待っている。




