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第6話 試験にない問い

 筆記試験の開始を告げられてから、マシュウは最初の問題を三度読んだ。現在の国境に関する問いだったが、並んでいる国名の半分に覚えがない。ようやく知っている名を見つけたと思えば、その国が昔と同じ場所にあるのかさえ、自信を持てなかった。


 昨夜はエリオと安宿の二人部屋を借り、彼の持っていた本を灯りの下で見せてもらった。地図を開いた時点で嫌な予感はしていたものの、まさか最初から筆が止まるとは思わなかった。


 次の頁には、数十年前に結ばれた条約の目的を答えよとある。マシュウは額を押さえ、後ろの頁まで目を通した。計算なら何とかなりそうだった。食料を何人へ何日分配るかという問題を先に埋め、魔物に遭遇した際の対処へ進んだ。


 こちらは迷わず書けた。相手の頭数だけを見て突っ込まず、地形と風向き、退路を確かめる。負傷者がいるなら、動かせる状態かどうかを確認する。書いているうちに余白が足りなくなり、マシュウは文字を小さくした。


 けれど、魔法理論に使われる用語や、近年の歴史へ戻ると、再び手が止まった。実際に火を飛ばせても、教本に書かれた名称を覚えているわけではない。終了の声がかかったとき、答案にはまだ白い欄が多く残っていた。


 廊下へ出ると、先に待っていたエリオが顔を覗き込んだ。


「どうだった?」

「飯の計算はできた」

「……ほかは?」

「飯の計算は、全部できた」


 エリオは何か言いかけ、結局、黙ってマシュウの肩を叩いた。慰められたのが余計に堪えて、マシュウは壁へ背を預けた。


 知らないものは知らない。家柄のせいにしたところで、さっきの空欄が埋まるわけでもなかった。試験が終わったら、まず地図と歴史の本を手に入れようと決め、次の会場が書かれた紙を開いた。


「実技は、もう少しましなはずだ」

「僕はそっちのほうが心配だよ」


 エリオは借り物だという短い杖を持ち直した。マシュウはその指に力が入りすぎているのを見て、肩を軽く揺すった。


「まだ始まってないんだから、今から固まるなよ」

「それ、筆記の前に君にも言えばよかったね」


 今度はマシュウが言葉に詰まり、二人で少しだけ笑った。


     *


 実技場は、背の高い石壁に囲まれていた。広い地面が白線で幾つもの区画に分けられ、一方では魔法を的へ当て、もう一方では教員を相手に模擬戦を行っている。区画の間には防護用の石板が並んでいた。


 マシュウは魔法の試験を先に受けた。指示された的へファイア・ボルトを三発放ち、最後の一発が少し中心を外れたものの、すべて的の中へ収まった。教員は焦げ跡を確かめて用紙へ記入し、対人試験の待機場所を示した。


 そちらには列が残っていた。しばらく待つ間に、教員へ家名を告げて先に通される受験生もいて、マシュウは腕を組んだ。


「順番くらい、自分の足で並べねえのかよ」


 隣に立っていた少年が口元を押さえたが、すぐにうつむいた。肩が震えているのを見て、マシュウもそれ以上は言わなかった。


 ようやく呼ばれて白線の内側へ入ると、木剣を持った教員が用紙から顔を上げた。日に焼けた頬に古傷のある男で、マシュウの両手を見てから、脇に並ぶ練習用の武器へ顎を向けた。


「使うものを選べ」

「このままでいい。普段から拳でやってる」

「……そうか。無理をして武器を変える必要はない。魔法の併用は認めるが、止めの合図には必ず従うこと。白線から出た場合も中断する」


 マシュウは頷き、足を開いた。男の木剣は無造作に下がっているように見えたが、先端は、こちらが踏み込めばすぐに喉へ届く位置にあった。少なくとも、肩書だけで剣を持たせてもらった相手ではなさそうだった。


「始め」


 合図と同時に左手から小さな火弾を放ち、その後ろを追って距離を詰めた。教員は半歩動いて火をかわし、踏み込んできたマシュウの肩口へ木剣を振り下ろす。マシュウは膝を沈めて身体を横へ滑らせ、剣が通った腕の内側へ入った。


 がら空きに見えた脇腹へ右拳を走らせたが、教員の肘が落ちてくるほうが早かった。拳を引き戻すと同時に左腕を上げ、返ってきた柄頭を前腕で受けた。骨へ響く衝撃を足から逃がし、近すぎる間合いを嫌って下がる教員へ、さらに一歩踏み込んだ。


 朝の採土場で、何度も確かめた距離だった。昔の腕の長さに頼らず、肩を突き出さないところまで足で運ぶ。教員の口元から笑みが消え、木剣の握りが変わった。


 今度は横から剣が来た。マシュウは上体を反らすだけで避けず、前足を引いて身体ごと間合いを外した。剣先が胸の前を抜けると、相手の踏み込んだ足が止まるより早く地を蹴り、左の拳で顔を狙った。


 教員が顎を引いたところへ、右を続けようとした瞬間、隣の区画から怒鳴り声が響いた。


「魔力を切れ! それ以上、流すな!」


 マシュウの目が横へ動いた。離れた射撃区画で、受験生の掲げる杖の先に炎が膨らんでいた。細長く伸びかけた火が、形を崩して幾つにも裂ける。担当の教員が杖を押さえたとき、すでに一つが大きく逸れ、防護板の上を越えていた。


 炎の飛ぶ先に、記録用紙を運ぶ少女がいた。両手の紙束に視界を塞がれ、何が起きたのかもわかっていない。その背後には石壁が迫り、逃げられる方向は限られていた。


「試験中断! 全員――」


 最後まで聞くより早く、マシュウは地面を蹴った。白線を踏み越え、待機していた受験生の脇を抜ける。炎を殴って消すことはできない。少女までの距離と火の速さを見比べ、正面からでは間に合わないと判断して、斜めから肩へ腕を伸ばした。


「頭、下げろ!」


 振り向きかけた身体を抱え込み、足を払うようにして一緒に地面へ倒れた。頭を打たせないよう後頭部へ掌を回し、自分の肩から滑り込む。背中のすぐ上を熱が走り、石壁へぶつかった炎が広がった。空中へ散った紙の端が赤く燃え、焦げた欠片が二人の周りへ降ってきた。


 少女の上着に火が移っていないことを確かめてから、マシュウは身体を起こした。右肩が痛み、息を吸うと背中がひりついたが、目の前の少女は両手で顔を覆いながらも、しっかり呼吸していた。


「怪我は? 手、動かせるか」

「あ……はい。動き、ます」


 震える指を開いたのを見て、ようやく息を吐けた。駆け寄った教員へ少女を渡し、立ち上がろうと膝へ手をつくと、さっきの対戦相手が肩を押さえた。


「動くな。背中を見せろ」

「俺は平気だ。それより、ほかに当たった奴は」

「別の者が確認している。君はこっちだ」


 押さえる手に余計な乱暴さはなかった。マシュウが従って座ると、教員は焼けた服を傷へ擦らないよう持ち上げ、近づいてきた係員へ治療の準備を頼んだ。


 隣の区画では、防護板を動かして残った火を消していた。試験の続行が止まり、受験生たちが建物側へ誘導されていく。その向こうで、記録係がマシュウの用紙を持ち上げ、教員へ確認した。


「この受験生の対人評価は、どうしますか。まだ時間が残っていますが」


 マシュウはそこで初めて、自分がどこから走ってきたのかを思い出した。白線の内側には、途中で止まった足跡が二人分残っていた。


「記録は未完了のまま残しておけ。先に傷の処置をする」


 教員の返答を聞き、マシュウは口を閉じた。筆記の空欄が頭をよぎったが、少し先では、助けた少女が差し出された水を両手で受け取っていた。杯を傾ける動きを見届けてから、痛む肩をゆっくり下ろした。

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