第51話 Aクラスの朝
「あった。ほら、ここ。マシュウの名前!」
掲示板へ駆け寄ったネラが、人の肩越しに指を伸ばした。一年Aクラス。並んだ名前の中に、マシュウ・ファルニールとある。
「本当に上がったな」
「通知もらってから、何回言ったと思ってるの」
「こうして貼られると、また嬉しいんだよ」
笑いが止まらなかった。ネラもつられて笑い、隣のエリオが、おめでとう、と肩を叩く。マシュウはもう一度名前を確かめてから、壁際の長椅子で待つフェリクスのもとへ戻った。
「ちゃんとあったぞ」
「君の声は、ここまで聞こえていた」
マシュウが隣へ腰を下ろすと、フェリクスは空いた方へ鞄をずらした。
「……おめでとう。先を越されたのは、腹が立つがな」
「お前も、上へ行きたいって言ってたもんな」
「だから、そこで満足するなよ。追いついたら、今度は私が先へ行く」
「そう簡単には抜かせねえよ」
言い返すと、フェリクスの口元が少し上がった。
「ねえ、昼はいつもの席でいいよね?」
ネラが二人の前へ立った。
「もちろん。四人で食おうぜ」
「新しいクラスで誘われても?」
「そいつも一緒に来ればいいだろ。椅子を増やしてさ」
「人数は先に知らせろ。席を取るのも大変なんだ」
フェリクスが言うと、エリオが笑いながら頷いた。
「僕も早めに行くよ。今日はマシュウの話、聞きたいし」
廊下を行く生徒が増え始めた。ネラがいつもの教室の方へ向きかけ、こちらを振り返る。並んで歩き出そうとしていたマシュウも、階段の前で足を止めた。
「……そっか。今日は、一緒の教室じゃないんだね」
ネラは鞄の紐を握り直した。さっきまであんなに明るかった声が、少しだけ小さくなっていた。
授業の合間に振り向けば、ネラがいた。間違った答えを書けば、フェリクスが横から口を出した。今日からは二人とも、自分の席から呼んでも届かない。
「放課後も、中庭で会おう。足の練習、続きやろうぜ」
マシュウが言うと、ネラは顔を上げた。
「うん。今度は私から、あんたに一発当てるから」
「おう。待ってる」
拳を合わせて階段を上ると、背後から声が追ってきた。
「Aでも負けんなよ!」
振り返り、三人へ大きく手を振った。階段を上った先にAの札を見つけ、扉を開けた。
「護衛の帰りに荷を運べば、そっちでも稼げるだろ。だから――」
中で話していた黒髪の少年が、こちらを見て言葉を切った。
窓際の笑い声も止まり、何人かがこちらを見て囁いた。マシュウは教室を見渡した。
「おはよう。空いてる席は、好きに座っていいのか?」
「僕の隣が空いてるよ、マシュウくん」
ヴァレクが立ち上がった。頬から襟元へ火傷の跡が続いている。その顔に笑みを浮かべ、大股で机の間を抜けてくる。
「お前、通路に立ってるだろ」
「君が座ったら、隣に座ろうと思って」
「先に決めとけよ」
横を通り、窓に近い机へ鞄を置いた。ヴァレクが向かおうとした隣の席には、すでに地図が広がっていた。
「悪い。ここ、俺の席」
栗色の髪の少年が、地図の隅を押さえた。ヴァレクと目が合うと背筋が伸びたが、置いてある鞄は動かさなかった。
「そう。じゃあ、後ろにしようかな」
椅子を引く音が背後へ回り、少年が小さく息を吐いた。マシュウが地図へ目を向けると、紙の端に描かれた魔物の絵が見えた。背中を硬い甲殻に覆われた猪だ。
「鎧猪か。その絵、お前が描いたのか?」
「ああ。父さんと狩りに行ったときの。知ってるのか?」
「突っ込ませると厄介だよな。横へ逃げても、牙で掬い上げてくる」
「そう、それ! 木の後ろまで回らなきゃ追ってくるんだ」
弓を引く者の硬い指が、絵の牙を叩いた。マシュウが、こいつの肉は煮込まないと硬い、と言うと、彼は声を上げて笑った。
「リュカ・フェルド。よかったら、あとでほかの絵も見てくれ」
「マシュウだ。こっちは川か?」
「そう。地図に載ってるのはここまでで、その先を見に行きたいんだよ」
身を乗り出していた黒髪の少年が、そこで隣の机を寄せた。
「まずは道のあるところで稼ごうよ。帰り道まで自分で作るんじゃ、金が貯まらない」
「オスカーは、すぐ金の話だな」
「商隊を持つのが夢なんだ。貯めるところから始めないと」
黒い巻き毛の少年が、マシュウへ笑いかけた。
「オスカー・リート。君とも一度、組んでみたかったんだ」
「僕も一緒でいい?」
背後からヴァレクが口を挟んだ途端、オスカーの指が帳面を強く挟んだ。
「……まだ、誰と行くかまでは」
オスカーが帳面をしまおうとすると、机の向こうから短杖が伸びてきた。
「私を誘った話、忘れてないでしょうね」
赤茶色の髪を三つ編みにした少女だった。そばかすのある顔でオスカーを見てから、こちらへ視線を移す。
「イリス・ベルナート。私も火属性なの。あんたの炎、近くで見てみたい」
「いいぞ。俺も、お前のを見たい」
イリスは一度唇を結び、少しだけ笑った。
窓の外から鐘が響いた。前の席にいたレティシアが振り返る。
「朝からずいぶん賑やかね」
「おはよう。今日からよろしくな」
「ええ。放課後の練習も、誘いやすくなったわ」
隣のアーヴィンも顎を上げた。マシュウが頷いて返すと、教室へダリウスが入ってきた。
*
「二学期から、一年Aクラスにもギルドの依頼を受けることを認める」
その言葉に、何人もの生徒が姿勢を変えた。リュカは閉じかけた地図をもう一度開き、イリスが隣で小さく拳を握った。
「二年生以上には、すでに認めている。一年生には学園に慣れ、連携の基礎を身につける期間が必要だ。そのうえで、討伐で命を落とす危険が少ないAクラスから許可する」
教室を見渡してから、ダリウスは続けた。
「最初の訪問は明日だ。制服ではなく、冒険者としての服装と装備で来い。今日はその前に、新しい同級生の戦い方を知ってもらう」
連れていかれた実技場では、六体の土人形が待っていた。人より頭一つ大きく、表面には厚い石が貼りついている。胸の中央に赤い石が一つずつ埋まっていた。
「四人で一組。あの石を割れば動きが止まる。人形の操作は向こうの教員が行う。味方の位置を見ながら、すべて倒せ」
マシュウはオスカーたちへ顔を向けた。
「さっきの話、ここで試すか」
「賛成。私は右から撃つわ」
イリスは三つ編みを襟へ入れ、リュカは矢を抜いた。小盾を留めるオスカーへ、マシュウは声をかけた。
「俺が真ん中を開ける。後ろへ抜けた奴は頼むぞ、オスカー」
「任せて。盾ごと突き飛ばさないでくれよ」
開始の声とともに、人形が砂を蹴った。
正面の一体が太い木棒を振り上げる。マシュウはその懐へ踏み込み、右拳を石の胸へ叩き込んだ。硬い表面が拳の下で陥没し、赤い石ごと背へ抜ける。
破砕音が響く。土の身体から腕を引き、拳についた石の粉を払った。皮膚には傷一つない。
横から二体が迫る。マシュウは一体の木棒を外へ払い、開いた胸へ左手を向けた。
「火炎矢!」
手のひらで膨らんだ火を絞って放つと、赤い火矢が胸を貫いた。後ろの土壁で炎が弾ける。同時に、もう一体がマシュウの脇を抜けていった。
追う必要はなかった。盾と木棒のぶつかる音が、すぐ後ろで鳴った。
「こっちは僕だ!」
オスカーの小盾が銀色に光り、縁が伸びて木棒を挟み込んだ。そのまま身体を捻って相手を引き寄せ、右手の剣を赤い石へ突き立てる。砕けた胸から土が流れても、もう次の相手を見ていた。
左では土の杭が人形の足を止め、傾いた胸へリュカの矢が突き刺さった。
イリスが短杖を向けた先では、すでに人形が崩れていた。マシュウが次の相手へ向き直ると、彼女が声を張った。
「右のは残して。私が倒す!」
マシュウは頷いて左へ踏み出した。すぐ横を細い炎が走り、木棒を構えた人形の胸へ突き刺さる。赤い石が砕ける音を聞きながら、最後の一体へ踏み込んだ。
振り下ろされた木棒が肩の横を過ぎる。身体を返して拳を打ち込み、最後の赤い石を砕いた。
「そこまで!」
ダリウスの声が響いた。マシュウは構えを解き、振り返った三人へ笑いかけた。
「最後の火、よくあそこを通したな」
「あんた、三体も持っていったでしょ。こっちは一体だけよ」
イリスは背後の土壁を見た。火矢の跡から、まだ煙が立っている。
「……その威力で、次まで早いんだから。羨ましい」
短杖を握り直すと、イリスはオスカーへ向き直った。
「次は私が二体もらうわ。もう一回付き合って」
「先に盾を戻させて。これじゃ荷物にも引っかかる」
曲がった縁を見せられ、リュカが笑った。マシュウも笑いながら、袖をまくり直した。
「楽しそうだね、マシュウくん」
振り向くと、別の組で実技を終えたヴァレクがいた。
「明日、僕も一緒に行くからね」
「まだ誰とも約束してねえぞ」
「うん。だから今、僕が約束しに来たんだよ」
返事をする前に、反対側からレティシアが近づいてきた。
「依頼を見てから決めましょう。私は実戦を積める仕事がいいわ」
「俺も討伐がいい。場所と相手を見て、装備を決めようぜ」
「森なら、俺も混ぜてくれ」
リュカが弓を肩へ掛けた。マシュウは頷き、実技場の向こうに見える学園の門へ目を向けた。
あの先へ出れば、街道が続いている。百年前に歩いた道がどうなったのかも、地図の先に何があるのかも、自分の足で確かめに行ける。




