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第4話 学園の門

 荷馬車の修理には丸一日かかった。その間にマシュウは薪を割り、粉袋を運び、空いた時間には採土場で火の加減を確かめた。夕食のかまどへ火を入れる役をもう一度任されたときは、横から覗き込むパン屋の女が、無事に燃え始めた薪を見て大きく頷いた。


「よし。これで店を空けても心配ないね」

「かまどの火で、こんなに緊張したのは初めてだ……」


 女に笑われながら手を洗い、皿を並べる。それだけの一日が過ぎて、翌朝には出発となった。


 荷馬車が広場へ来たとき、マシュウの旅支度は、借りた服と水袋を確かめるだけで済んでしまった。物置の毛布を畳み、使っていた敷物を壁へ立てかけてから、店先で女に頭を下げた。


「世話になった。服は、金ができたら返しに来る」

「服を返すのに、金はいらないだろう」

「いや、買い取るか、新しいのを買って返すって意味で……」

「だったら、着たまま顔を見せにおいで。そのほうが、無駄な買い物をしなくて済むよ」


 返事を考えているうちに、布包みを胸へ押しつけられた。昨日までと同じパンの重さがあり、持ち直した指に、まだ温かい底が触れた。


「今度は昼の分も残しておくんだよ」

「……そこまでわかってたのか」

「空の布を返せば、わかるさ。ほら、行っといで」


 荷台へ乗り込むと、御者が手綱を軽く引いた。車輪が動き始めてから振り返ると、女は店の前に立ったまま、前掛けで手を拭いていた。


「また来るよ!」


 声を張ると、片手が上がった。マシュウはその姿が角に隠れるまで見送り、背中を荷台の縁へ預けた。戻っても誰もいない場所のことばかり考えていたが、これからは、あの店へ行けばいい。膝の上の包みを結び直し、昼まで開けないことにした。


 村を出てしばらくすると、御者が小さな革袋を後ろへ差し出した。


「言っておくが、乗せるのとは別だ。受け取ってくれ」


 袋の口を開くと、銅貨に混じって銀貨が入っていた。魔物から助けた礼だという。マシュウは車輪の修理代もかかっただろうと言いかけたが、御者は振り返り、手を引っ込めた。


「俺も馬も無事だったんだ。それくらい、させてくれよ」

「……ありがとう。助かる」


 革袋を懐へ入れると、ネックレスの飾りに硬い縁が触れた。服の下で指を滑らせたが、熱も光もなかった。聞きたいことはいくらでもあるのに、こいつだけは黙ったままだった。


 昼にパンを分け合い、荷馬車が丘を越えると、道の先に街が見えてきた。石壁の内側へ赤茶色の屋根が詰まり、幾つもの塔の間で旗が風を受けている。門へ続く道には荷車が並び、その脇を大きな鞄を抱えた若者たちが歩いていた。


「リーヴェンだ。学園へ行くなら、あの青い屋根を目印にするといい」


 御者が示した先には、ほかの建物より一段高いところに、長い校舎が見えた。窓が規則正しく並び、両側の棟に囲まれた中央には、大きな時計が取りつけられている。


「……あれ全部、学園なのか?」

「奥にもあるぞ。迷ったら人に聞けよ。門の前で首を回してると、田舎者だってすぐばれる」

「もう遅いだろ、それ」


 御者の笑い声に混じり、門の内側から人の呼び声が届いた。通りへ入ると、焼いた肉の匂いが鼻をくすぐり、荷物を担いだ男が馬の脇をすり抜けた。道具屋の軒先では、客と店主が金具を手に何か言い争っている。


「あそこの店で荷を下ろす。金具は魔族の職人が作ってるんだが、丈夫でな。車軸の部品も扱ってる」

「ここでも、一緒に商売してるんだな」

「いい品なら買うさ。近頃は鉱山の取り合いで鉄が高くて、向こうも大変らしいがね」


 何でもない話として聞きながら、マシュウは道具屋の前を眺めた。客は文句を言いつつも財布を出し、店主は受け取った金を数えてから金具を包んでいる。黒龍が死んだだけで揉め事まで消えたわけではないが、値段で言い争えるのなら、少なくともここでは、剣を抜くより先にすることがあるのだろう。


 荷下ろしを手伝って御者と別れ、教えられた通りに坂を上った。通りを歩く若者の数が増え、制服らしい揃いの上着を着た一団とすれ違う。誰かの失敗を笑っているらしく、一人が顔を赤くして言い返すと、隣の友人が肩を叩いた。


 マシュウが足を止めたのは、話の内容が気になったからではなかった。あの輪の中に、自分と似た背丈の者がいる。黙って隣へ並べば、同じ年頃に見えるのだと気づき、まだ少し丈の長い袖を引いた。


 学園の門は開いていた。柱には入学希望者を案内する札が掛かり、その矢印が脇の建物を示している。マシュウは懐の紙と見比べ、受付のある部屋へ入った。


「入学について、聞きたいんだが」


 机の向こうで書類を揃えていた女性が顔を上げ、用紙を一枚取り出した。名前を書きかける前に、マシュウは一番気になっていたことを尋ねた。


「五年分の学費を、先に持ってなきゃ駄目なのか?」

「五年分を一度に納める必要はありませんよ。ただ、入学時に必要な費用と、その後の学費はあります。こちらをどうぞ」


 渡された紙には幾つもの金額が並んでいた。馬車で受け取った革袋の重さを思い出しながら足してみたが、途中で数えるのをやめた。


「……働きながら通うのは、できるか?」

「できます。ただし授業が優先です。学費の支払いが難しい方には、支援制度についての相談も受け付けています。利用には条件がありますから、希望されるなら申請書もお渡しします」


 マシュウは申請書も受け取り、机の端で目を通した。必要な事情を記入し、審査を受けること。入学試験とは別の手続きであること。読めば読むほど、今日ここへ来ただけで学生になれるわけではないとわかったが、金がないという一言で追い返されなかったことに、まず安堵した。


 記入台へ移り、名前を書き終えたところで、横から何かが転がってきた。インク壺の蓋だった。床へ落ちる前に押さえて顔を上げると、大きな鞄を抱えた茶色い髪の少年が、申し訳なさそうに肩を縮めた。


「ごめん。鞄が当たった」

「下ろせばいいだろ」

「下ろしたら、今度は誰かがつまずきそうでさ」


 確かに、足元へ置けば通路の半分を塞ぎそうな大きさだった。マシュウが壁際を指すと、少年は礼を言って鞄を運び、戻ってから蓋を受け取った。


「君も入学試験? 僕はエリオ」

「マシュウだ。今、手続きを聞いてたところ」

「一人だと、わからないことばっかりだよね。僕なんか、さっき間違えて在校生の窓口に並んでた」


 少年は笑って筆記具を取り出し、空いている隣へ用紙を置いた。自分にも同じ調子で話しかけてくることが新鮮で、マシュウは少し遅れて頷いた。


「わからないことなら、俺も山ほどある」

「じゃあ、まず試験の説明、一緒に聞こうよ。もうすぐ隣の部屋で始まるって」


 廊下の向こうで扉が開き、用紙を持った若者たちが動き始めた。マシュウはまだ白い欄の多い願書を持ち上げ、エリオと並んで歩き出した。これまでなら仕事の依頼を聞く側へ向かっていた足で、今は、何を教えてもらえるのかを聞きに行こうとしていた。

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