↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/77

第40話 招かれざる仲間

「見舞いに来た顔じゃないな」


 フェリクスに言われ、マシュウは寝台の横で足を止めた。


 目覚めてから六日が過ぎていた。ようやく廊下を歩く許可が下りたが、左腕はまだ吊られている。椅子へ腰を下ろすだけでも、脇腹が引きつった。


 フェリクスは背に枕を重ねていた。固定された右脚が、布団の下で盛り上がっている。左腕の包帯は、マシュウのものより厚かった。


「顔、ひでえぞ」


「君に言われたくない」


 言い返したあと、フェリクスは少し息を整えた。それを見て、マシュウは笑いかけた口を閉じた。


 痛むのだ。話すだけでも。


「……悪かった」


「何がだ」


「俺も寝ちまって、来るのが遅くなった」


「起きて最初に聞かされたのが、君も運ばれてきたという話だぞ。私の見舞いをしている場合か」


 叱る声が、懐かしかった。


 マシュウは膝へ目を落とした。試合のあと、聞きたいと思っていた小言が、ようやく聞けた。


「勝ったんだな」


「ああ」


「……そうか」


 フェリクスは窓へ顔を向けた。包帯から出た右手の指が、敷布をわずかに擦った。


「次にあいつを見たとき、私は平気な顔ができると思うか」


 マシュウは答えられなかった。


「眠ると、時々あの試合に戻る。足を引こうとしても、動かない。目が覚めても、まだ――」


 右脚へ落ちた視線を、フェリクスはすぐに上げた。


「今の話は、忘れろ」


「嫌だ」


 フェリクスの眉が寄った。


「忘れねえよ。お前があいつに会いたくないなら、会わなくていい」


「……君が決めることじゃない」


「ああ。お前が決めろ」


 少しして、フェリクスの肩が下がった。


 枕元には、教本が開いて置かれていた。右手を伸ばそうとして顔をしかめたので、マシュウが代わりに取った。


「閉じるか」


「その栞を挟んでくれ。頁がわからなくなる」


 開かれた頁には、足を開いて杖を構えた絵があった。マシュウが紙片を挟む間、フェリクスは黙って見ていた。


「歩けるようになったら、練習に付き合え」


「今から約束するのか」


「先に決めておく。……そうでもしないと、逃げそうだ」


 最後は、聞き逃しそうな声だった。マシュウは教本を、右手の届くところへ戻した。


「待ってる」


「今日は、疲れた」


「また来る」


「次は、授業のノートを持ってこい。寝ている間に置いていかれる」


「俺のは駄目だぞ」


「知っている。ネラかエリオに頼め」


 扉を閉めてから、マシュウは廊下の壁へ背を預けた。息を吐くと、少しだけ笑えた。


 向かいを歩いてきた生徒が、こちらに気づいて足を止めた。


 その目が、吊られた腕から右の拳へ移る。隣の生徒の袖を引き、二人とも廊下の反対側へ寄った。


「あれが……」


「声を落とせ。聞かれるぞ」


 マシュウと目が合うと、二人は慌てて顔を伏せた。呼び止めるつもりもないのに、一人は鞄を胸へ抱え直した。


 教室で借りた筆を返すときも、これから、こんな顔をされるのだろうか。


 マシュウは、壁から手を離した。


     *


 ヴァレクが面会を求めていると聞いたのは、その午後だった。


「断ってもいい。会うなら私が立ち会う」


 ダリウスの横で、ネラがこちらを見ていた。


「何を言うつもりなのか、聞きたい」


「私も行く」


 ネラはすぐに言った。


「廊下で待ってても、気になって仕方ないもん」


 別室の扉を開けると、薬の臭いがした。


 ヴァレクは寝台の上にいた。首も腕も白く巻かれ、頬の一部には赤黒い皮膚が覗いている。整っていた顔が、包帯の端で途切れていた。


 マシュウの足が止まった。


 炎の中で聞いた声が、耳の奥に戻ってきた。


「やあ、マシュウくん。やっと来た」


 ヴァレクが笑った。


 掠れた声が、妙に楽しげだった。


「……何の用だ」


「僕も、マシュウくんのそばにいさせてよ」


 聞き間違えたかと思った。隣のネラも黙っている。


「何だって?」


「君と一緒にいたいんだ。授業が別でも、放課後なら――」


「断る」


「早いなあ。まだ最後まで言ってないのに」


「最後まで聞いたって同じだ」


 ヴァレクが唇を尖らせた。あれだけのことをして、なぜそんな顔ができる。


「話がそれなら、帰る」


「待って。ねえ、待ってって」


 寝台が軋んだ。振り向くと、ヴァレクが肘をつき、こちらへ身を乗り出そうとしていた。


 途端、口から短い息が漏れた。腕が震え、肩が枕へ落ちる。


「動くなと言っただろう」


 ダリウスがそばへ寄った。


「だって、帰っちゃうから」


「君の傷が開く」


「わかってるよ。……痛っ」


 ヴァレクは顔をしかめた。頬の包帯へ触れかけ、手を止める。白い布の下から覗く傷へ、マシュウの目が落ちた。


「そこ、残るんだって」


 視線に気づいたヴァレクが言った。


「治療しても、前と同じにはならないらしいよ」


 ネラが息を呑んだ。


 マシュウは右手を握った。


「そんな顔するんだね」


 ヴァレクが顔を覗き込んできた。


「試合のときは、ずっと楽しそうだったのに」


「……何が言いたい」


「あの君が、頭から離れないんだ」


 ふざけた調子が、少しだけ消えた。


「グラウムが消えたとき、本当に何もできなかった。もう駄目だと思ったよ。僕が逃げるのを、君は笑って見てた」


 ヴァレクの指が、敷布へ食い込んだ。


 マシュウは、震えるその手を見た。


「だったら、俺の顔なんか見たくもないだろ」


「そう思うでしょ? 僕も、最初はそうだったんだ」


 ヴァレクが布を離した。


「でも、思い出すたびに、君の顔を探してる。次は何をするんだろうって。僕が必死で逃げてるのに、あんなふうに笑えるんだよ?」


 声が弾んだ。


「すごかったなあ。僕、自分よりひどい奴って、あまり見たことがなかったから」


 マシュウの胃が、冷たく縮んだ。


「一緒にするな」


「うん。一緒じゃないね。僕なんか、君の足元にも及ばなかった」


「褒めてるんじゃねえよ」


「知ってる。僕が褒めてるんだ」


 笑おうとして傷が痛んだのか、ヴァレクは眉を寄せた。


「炎の髪に、龍の目……サラマンダーとの霊融《アニマ》なのかな。あんな姿になる精霊なんて、ほかに思いつかなくて」


「正体は知らない。姿も見たことがない」


「えっ。会ったこともないの?」


 ヴァレクの目が丸くなった。頷くと、やがて小さく笑った。


「じゃあ、君も知らないことばかりなんだ。ますます気になるな」


「勝手に気にしてろ」


「そうする。そばでね」


「だから、断っただろうが」


 ネラが、マシュウの横へ並んだ。


「フェリクスに何をしたか、忘れたわけ?」


 ヴァレクの視線がネラへ移った。


「忘れてないよ」


「だったら、どうして一緒にいられるなんて思うの」


 ヴァレクが口を開く前に、ネラは続けた。


「あいつ、まだ歩けないんだよ。あんたが来たら、どんな顔すると思ってるの」


 マシュウも、寝台へ一歩近づいた。


「フェリクスには近づくな」


 ヴァレクは二人を見比べた。さっきまで持ち上がっていた口の端が、少し下がった。


「……あの子のところには行かない。君たちの友達にも、もう手を出さないよ」


「それで許されたわけじゃないからな」


「うん。君が断っても、あの子には近づかないよ」


 マシュウは踵を返した。


「話は終わりだ」


「マシュウくん」


 呼ばれても、足を止めなかった。


「断られても、僕が勝手にそばにいるからね」


 今度は止まった。


 振り向くと、ヴァレクは枕に頭を預けていた。頬は青白い。それでも、こちらへ向けた目だけは妙に明るかった。


「聞いてたか、今の話」


「聞いてたよ。あの子には近づかないし、友達にも何もしない。僕が会いたいのは、君だもの」


「来るな」


「またそういうこと言う。ねえ、食堂ではいつもどこに座ってるの?」


「教えるか!」


 怒鳴った途端、脇腹が痛んだ。思わず身体を折ると、ネラが腕を支えた。


「ああ、ほら。無理するから」


「誰のせいだと思ってんだ」


 ダリウスが二人の間へ入った。


「面会は終わりだ。二人とも、これ以上話すな」


「先生、次は僕が行ってもいい?」


「まず、一人で起き上がれるようになってからだ」


「だってさ、マシュウくん。歩けるようになったら行くよ」


「そういう許可じゃない」


 ダリウスの声を背に、マシュウは部屋を出た。


     *


 扉が閉まってから、マシュウはネラを見た。


「……何なんだ、あいつ」


「こっちが聞きたいよ」


 ネラはまだ怒っていた。支えてくれる腕にも、力が入っている。


「食堂、一緒になんかしないからね」


「俺だって嫌だ」


 マシュウは扉を睨んだ。


 殴りたい。だが、また殴ったら、それさえ喜びそうなのが腹立たしかった。


 中からダリウスの声がした。


「もう起き上がろうとするな。何を探している」


「紙と筆。会いに行けないなら、手紙を書こうと思って」


 ネラと目が合った。


「……返事、書かなくていいからね」


「書くかよ」


 マシュウは支えられたまま歩き出した。


 曲がり角の手前で、病室からまた声が届いた。


「マシュウくん、明日も待ってるから!」


「行かねえ!」


 言い返した自分の声に、ネラがもう一度、呆れたように息を吐いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。