↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/75

第33話 長剣と拳

「あの子、目は覚ました?」


 ヴァレクは剣を肩へ載せ、首を傾けた。


 マシュウは答えず、決められた位置で足を止める。白線の内側には、均されたばかりの湿った土が広がっていた。


「起きたら伝えてよ。また遊ぼうって」


 その口を殴り潰したいと思った。


 フェリクスはまだ寝台にいる。呼びかけても返事がなく、借りた地図帳の礼さえ、改めて言えていない。それなのに、この男は次も同じことをするつもりで笑っている。


「二度と近づけさせるか」

「君が決めることじゃないだろう?」


 ヴァレクが剣を下ろした。


 マシュウは左手を開いた。指を握り込みすぎていた。巻かれた布の感触を確かめ、息を吐いて拳を戻す。


 相手の顔だけを見ていてはいけない。剣を持つ手と、前へ出した足も見る。


 審判の向こうで、ダリウスが救護係を呼び寄せていた。その顔にも、笑みはなかった。


「第二準決勝。始め!」


「虚歩《ホロウ・ステップ》」


 ヴァレクの靴が、音もなく土を離れた。


 遠いと思った剣が、もう左腕へ来ている。マシュウは肘を引き、右へ身体を逃がした。剣の先が布を掠め、ほどけた糸が舞う。


 すぐに逆向きの剣が来た。


 マシュウは腰を落とした。頭の上を剣が通る間に一歩入る。だが、拳を出すより早く、柄頭が額へ向けられた。


 顔をずらす。硬い角が眉の上を擦った。


 痛みに目を細めながら退くと、剣先が喉へ伸びてきた。横へ跳び、ようやく間合いを外す。


「避けるんだ。そこは受けてくれなきゃ」


 ヴァレクの視線が左腕へ落ちる。


 マシュウは眉を拭った。指に少し血がついた。顔を上げる間にも、相手は距離を詰めてくる。


 長い剣なのに、振ったあとの隙が短い。身体が軽く動き、刃だけがすぐに戻る。フェリクスの前で見せていた歩幅を基準にすれば、入り際に打たれる。


「火炎矢《ファイア・ボルト》!」


 左手から炎を飛ばした。


 ヴァレクが首を傾けてかわす。その足元へ二本目を撃つと、軽い跳躍で横へ逃げた。


 マシュウは着地を追った。踏み出す足を外へ置き、正面からの剣を肩の横へ通す。その内側へ右拳を出した。


 ヴァレクは剣を引き、鍔で拳を受けた。


 指の付け根に痛みが走る。


 マシュウは拳を引くと同時に、左足で相手の前脚を蹴った。靴が脛を捉え、ヴァレクの膝が揺れる。


 下がった顔へ、左拳を伸ばした。


 頬を打つ感触があった。


 ヴァレクが横を向いた。その口元から血が飛ぶ。


 マシュウは右を重ねようとした。だが、長剣が低く返り、脇腹へ迫る。左肘を閉じて身体を捻ると、剣の平が胴当ての端を叩いた。


「ぐっ……!」


 息が詰まった。半歩退いたところへ剣先が来る。火炎矢を顔へ放ち、その間に横へ動いた。


 二人の間へ、薄い煙が残った。


 ヴァレクが唇へ触れた。


 指についた血を見て、表情が止まる。もう一度、今度は舌で傷を確かめた。その目がマシュウへ戻ったとき、眉が低く寄っていた。


「……へえ」


 それだけ言い、血を土へ吐いた。


 客席から声が上がる。マシュウの名を呼ぶ声が混じったが、彼はそちらを見なかった。脇腹が脈を打つように痛み、左拳も握り直しにくい。


 届く。だが、一発では止まらない。


 ヴァレクは剣を正面へ戻した。次の踏み込みは、先ほどより低かった。


 マシュウは肩への斬撃をかわし、伸びた手首へ右手を当てた。横へ押して軌道をずらす。左拳を出せる場所が空いた。


 その瞬間、ヴァレクの空いた手が開いた。


「引掌《グラビティ・グラスプ》」


 胸元を引かれた。


 服を掴まれたわけでもないのに、身体が前へ流れる。支えるはずの足が追いつかない。突き上げられた膝が、腹へ入った。


 息が抜け、身体が折れた。


 戻そうとした左手首を、ヴァレクに掴まれた。


「こっちだったね」


 剣の平が、巻かれた布へ落ちた。


「重刃《グラビティ・エッジ》」


 マシュウは肩ごと腕を引いた。直撃は外れた。それでも、掠めた一撃に左半身を下へ持っていかれた。


「が、あっ……!」


 膝が土へ落ちた。肘から指先まで、焼けるような痛みが走る。


 ヴァレクが声を上げて笑った。


「あはっ! 今の、我慢しなくていいんだよ!」


 掴んだ手首を持ち上げる。立とうとしたマシュウの足を払い、わざともう一度膝を落とさせた。


 左腕へ体重がかかり、声が漏れた。


「そう、それ。さっきみたいに睨んでよ。痛いと難しい?」


「離せよッ!」


 ネラの声が飛んだ。柵を叩く音が続く。


 マシュウの視界で、フェリクスの折れた腕と、自分の腕が重なった。笑い声まで同じだった。


 右手を地面へつきかけ、止める。


 ヴァレクが再び剣を上げた。口が開き、また何か言おうとしている。


 その口へ、右の掌を向けた。


「火炎矢!」


 近距離の炎にヴァレクが顔を逸らした。掴む手が緩む。マシュウは左腕を引き抜き、蹴りを腹へ突き込んだ。


 ヴァレクが一歩下がる。


 マシュウはその間に立った。左手を胸の前へ戻そうとして、指が開いたまま震えていることに気づく。


 息を吸うと、腹も痛んだ。


「よくも、顔へ……」


 ヴァレクが焦げた前髪を払った。片側の眉が短く焼け、笑っていた目が吊り上がっている。


 返事を待たず、剣が来た。


 マシュウは斜めに下がった。次の剣を避け、反撃へ移ろうとしたところで、左腕が上がらない。肘を曲げるだけで指先まで痛んだ。


 ヴァレクの目が、その腕を追った。


 剣先が右へ振られる。顔を守るために右腕を上げると、途中で向きを変えた柄頭が左の肩口へ迫った。マシュウは身体ごと逃げ、反撃を諦める。


 追ってくる靴が、すぐ目の前へ入った。


「ほら、庇わないと!」


 剣の平が頬を掠めた。歯を食いしばった拍子に、口の中の傷がまた開く。


 マシュウは下がりながら右手を開いた。


「火炎壁《フレイム・ウォール》!」


 二人の間に炎が立った。長くは保たせない。追ってくる足を一度止めさせ、その隙に自分も横へ回る。


 炎の端から、長剣が伸びた。


 剣身を払おうとして、マシュウは右手を引いた。その向こうでヴァレクの左手が開きかけていた。


 さっきと同じだ。剣を逸らして入ったところを、引き寄せられた。


 マシュウはわざと足を止めた。ヴァレクが左手を閉じ、剣を引く。マシュウの顔と手元を見比べてから、舌打ちした。


 やはり、待っている。


 炎が消えるまでに、マシュウは呼吸を二つ整えた。左腕を抱え込みたくなるのを堪え、痛みの少ない高さへ戻す。完全に下ろせば、そこから殴られる。


 マシュウは口の端を拭い、構えた。


 この顔を、もっと歪ませたい。


 胸の奥からせり上がるものを、吐く息と一緒に押さえた。今飛び込めば、また同じ手に捕まる。膝をつかされている間、あいつはまだ余所を見る余裕があった。


 その余裕を奪う。


 右拳に炎を灯すと、ヴァレクも剣を握り直した。


「その手も使えなくなったら、どうする?」


 答える代わりに、マシュウは前へ出た。


 剣が上から落ちる。外へ逃げず、前足を引いて身体をずらす。刃が鼻先を通り過ぎたところへ、踏み込み直した。


 ヴァレクは剣を戻さず、空いた左手を向けた。


 また、引かれる。


 今度は足を止めなかった。


 マシュウは引かれる方向へ自分から踏み込んだ。上がってくる膝を左の掌で外へ押す。傷めた腕が痛んだが、相手の腹が正面へ来た。


「赫牙《イグニス・ファング》!」


 右拳が胴当てへめり込んだ。


 触れたところで、炎が弾けた。


 ヴァレクの口が開いた。声が出ないまま、身体が後ろへ折れる。掴もうとした左手が宙を掻き、靴が土を滑った。


 マシュウは追った。炎を消した右拳を戻し、顎へ左を伸ばす。


 ヴァレクが剣を立てた。拳を止め、低く蹴る。前脚を払われたヴァレクの膝が落ちかけたが、長剣が横へ薙がれた。


 マシュウは頭を下げた。剣が髪を掠め、その風が首筋を冷やす。まだ追えると思ったが、次の剣先が胸を向いた。


 踏み込んだ足を引き、息を整える。


 ヴァレクは咳き込んでいた。


 片手で腹を押さえ、肩を上下させている。胴当ての縁が黒く焦げ、その下の布から細い煙が上がっていた。


「当たった……!」


 ネラが柵を握り直した。すぐには喜べず、マシュウの左腕と、立ったままのヴァレクを交互に見る。


 あいつが痛がっている。それを見ても、胸のつかえは取れなかった。フェリクスはあんなものでは済まされなかった。まだ笑えるのか、まだ人を殴って遊べるのかと、ネラは息を詰めて見つめた。柵に掛けた指が、少しも緩まなかった。


 マシュウも笑わなかった。


 拳には、確かな手応えがあった。それでも剣を返してきた。あれだけ入れても、まだ立っている。


 ヴァレクがゆっくり顔を上げた。


「お前……」


 唇の血を拭う手が、途中で止まった。客席から上がるマシュウへの声を聞き、そちらを睨む。


 すぐに目を戻したが、もう口元は笑っていなかった。


 マシュウは左手を閉じた。小指が少し遅れた。強く握れば肘まで痛むが、拳は作れる。


 右手の布は、まだずれていない。


「もう一度、笑ってみろよ」


 ヴァレクの頬が引きつった。


 長剣が持ち上がる。マシュウはその切っ先を見ながら、自分から一歩、間合いを詰めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。