第27話 十六の席
木剣の突きが、マシュウの脇を抜けた。
痛む左腕では受けず、足を踏み替えて相手の横へ入る。振り向こうとする胴へ右拳を当て、触れる瞬間だけ炎を灯した。
少年が膝をつく。マシュウが構えを戻すと、相手は木剣を置いた。
「降参だ」
「第六組勝者、マシュウ・ファルニール。本戦出場!」
息を吐き、差し出した手で少年を起こした。柵の向こうでは、フェリクスが濡れ布を持ったまま頷いていた。
戻って布を受け取ると、隣の試合場からネラの声が響いた。
「群牙!」
白線を背にする少年へ、二筋の風が分かれて飛んだ。一本を剣で払った横へ、もう一本が回り込む。
そちらの威力は弱い。少年は片足を引いて踏みとどまり、ネラへ向き直った。
けれど、彼女は風の行方を見ていなかった。もう踏み込み、杖で剣を外へ押さえている。空いた掌から吹いた風が、胴当てを正面から押した。
少年の靴が白線を越えた。
「場外。勝者、ネラ!」
ネラは杖を上げかけ、先に相手へ頭を下げた。それからこちらへ駆けてくる。
「見てた?」
「最後はな。足、絡まなかったな」
「もう、自分の足なんて踏まないって」
笑ってみせた顔から、急に力が抜けた。柵へ両手をつき、長く息を吐く。
「……よかった。本当に行けた」
フェリクスが水袋を渡した。ネラは礼を言って受け取り、飲む前に、掲示板へ移される自分の名前を見届けた。
*
エリオの組は、決着が遅れていた。
試合場へ着くと、ちょうど杖の打ち合いが始まった。エリオが横へ逃れ、相手の突きをかわす。足を揃えずに踏み直し、返した杖が少年の袖をかすめた。
「あと少し!」
ネラの声に、エリオは振り向かなかった。
もう一度踏み込む。今度は胸元へ届いたが、押し込む前に杖を払われた。打ち返された先端が肩へ当たり、よろけながら距離を取る。
そのとき、終了の鐘が鳴った。
「五分経過。判定に移る」
エリオは杖を下ろせずにいた。
審判へ何か言いかけ、口を閉じる。最後に突いたときの姿勢へ戻り、杖を数寸だけ前へ出した。それから、ようやく腕を下ろした。
三人の審判が順に告げた名は、全員、対戦相手のものだった。
勝者が本戦へ呼ばれていく。その背中へ一礼してから、エリオはこちらへ歩いてきた。
「……負けちゃった」
マシュウは水袋を差し出した。エリオは受け取ったものの、栓へ指をかけたまま、しばらく動かなかった。
「最初の試合に勝ったとき、次も行けるって思ったんだ。相手の杖も見えたし、前より動けたから」
「最後の突き、届いてたぞ」
「うん。でも、当てたあと、どうすればいいかわからなくなった」
エリオは肩をさすった。さっき打たれた場所だった。
「また相手して。あそこで止まらないようにしたい」
「ああ」
頷くと、エリオはやっと水を飲んだ。
フェリクスが隣へ腰を下ろした。ネラも反対側へ座る。三人とも次の言葉を探していたが、先に口を開いたのはエリオだった。
「みんな、本戦に出るんだよね」
「ああ。さっき決まった」
「そっか。おめでとう」
笑おうとして、うまくいかなかったらしい。エリオは袖で目元を拭った。
「ごめん。今は、ちょっと悔しい」
マシュウは隣に座ったまま、彼が水袋を閉じるのを待った。
*
予選が終わる頃には、掲示板に十六人の名前が並んでいた。
レティシアとロルフは、すでに荷物をまとめている。二人の名にも、本戦出場の印がついていた。
ロルフがこちらに気づき、掲示板へ顎を向けた。
「今度は、同じ場所まで来たな」
「ああ。お前の試合も見るからな」
ロルフは短く頷き、木剣を袋へ収めた。
その少し前、マシュウは別の試合場で、氷の上を滑る少女を見た。
相手が追いかける足元へ、新たな氷を敷く。踏みとどまったところへ横から回り、杖を突きつけて勝っていた。
Bクラス、セリカ・ヴェイル。
もう一人、槍の穂先に雷を走らせる少年も目に残った。近づこうとする相手を柄で押し戻し、魔法を構える間も与えずに降参させていた。
Aクラス、アーヴィン・ザイデル。
どちらも試合後には息を整え、自分の手や武器を確かめていた。マシュウも左腕を曲げてみた。まだ痛むが、動かせる。
「本戦は明朝からだ。呼ばれた者は、順にくじを引け」
教員の前へ、勝ち残った生徒が並んだ。
マシュウが引いた札には、一と書かれていた。組み合わせの最初の欄へ名前が移され、その向かいへセリカの名が入った。
すぐ後ろで、少女が紙を見直していた。
「あなたが相手ね。拳で戦うところ、少し見たわ」
「俺も、氷を使うところを見た」
「じゃあ、明日はもう少し違うことをしないと」
セリカは札を折り畳み、道具袋へしまった。
隣の組み合わせでは、ネラが紙と掲示板を交互に見ていた。向かいにあるのはアーヴィンの名だ。
「いきなりAかあ」
漏らした声を聞いたのか、槍を持つ少年が顔を向けた。
「風を二つに分けていたな」
「見てたんだ」
「ああ。片方を防いで終わりにはしない」
ネラが唇を尖らせ、杖を肩へ担ぎ直した。
「先に言わなくてもいいのに」
組み合わせの線を辿ると、マシュウの欄とネラの欄は途中で合わさっていた。
「二人とも勝ったら、次は俺たちだな」
「だったら明日、最初から見ててよ。さっきみたいに最後だけじゃなくて」
「ああ。先に勝って待ってる」
マシュウが笑いかけたところで、次の名が読み上げられた。
「フェリクス・ローデン。対戦相手、ヴァレク・グランヴェル」
近くの生徒が、息を呑んだ。
「……あいつと当たったのか」
呟いた少年の手首には、包帯が巻かれていた。友人らしい生徒に袖を引かれ、口を閉じる。
フェリクスの視線が、列の後ろへ向いた。
長剣を腰に下げた少年が歩いてきた。誰かを押し退けたわけでもないのに、前にいた生徒たちが道を空ける。
「知ってるのか?」
マシュウが尋ねると、フェリクスは小さく頷いた。
「公爵家の次男だ。Aクラスでも、剣の腕で知られている」
「それだけじゃないよ」
ネラの声が硬くなった。
「仕事で道具を運んでるとき、平民の子が殴られてるのを見た。邪魔だったって。それだけで」
「教師は?」
「注意はしてた。でも、またやってる」
フェリクスが声を落とした。
「同じAの生徒が止めに入って、そいつまで倒されたと聞いた」
包帯の少年は、こちらへ背を向けてしまった。
ヴァレクは掲示板を見上げ、フェリクスの前で足を止めた。
「ローデン家か。君の最後の試合は見たよ」
穏やかな声だった。
「いいところで足を止めたね」
「……明日は、よろしく頼む」
「うん。今日みたいに頑張ってくれよ。すぐに終わると、つまらないから」
笑って去る背中を、マシュウは見送った。フェリクスが握る札は、端が少し折れていた。
「フェリクス」
「相手は決まった。今から変わりはしない」
フェリクスは紙を広げ直し、名前を確かめた。
「長剣を使う相手を、もう一度見ておきたい。付き合ってくれるか」
「ああ。借りてくる」
後ろからエリオが近づいてきた。
「僕も行く。腕、まだ痛いんでしょう。道具は運ぶよ」
フェリクスが礼を言い、杖を渡した。ネラも並んで歩き出す。
マシュウは掲示板に残った三人の対戦相手を見てから、仲間を追った。




