第21話 背中は任せた
右拳を払った剣が、すぐに喉へ返ってきた。
マシュウは首を外し、男の胸へ肩をぶつけた。踏ん張る脚を足払いで崩し、そのまま裏口へ押し出す。男が戸枠へ肘を打ちつけ、外の土を踏んだ。
背後から、フェリクスが女性へ声をかけている。
「肩につかまってください。表へ出ます」
マシュウは振り返らずに前へ出た。
ここまでは、臼の脇から離れられなかった。剣を避けて横へ動けば、女性までの道が開いてしまう。追撃を諦めて戻ったのは、一度や二度ではない。
今は、その場所にフェリクスがいる。
男が焼けた掌で柄を握り直した。剣先をわずかに下げ、左手を刃へ沿わせる。
「雷衣」
鋼に紫の光が走った。細い雷が刃の周囲へ絡み、乾いた音を立てる。
男の踏み込みに合わせ、マシュウは右へ動いた。剣が戸枠を削り、跳ねた雷が耳元で弾ける。斬り返しを避けて屈むと、真上を通った刃から、焦げた木の匂いが落ちてきた。
マシュウは低い姿勢から、男の前脚を蹴った。膝が折れかけたところへ左の拳を突き込む。男は脇を締めて受け、柄頭を額へ振り下ろしてきた。
頭をずらした拍子に、拳が頬をかすめた。
近づけば剣が使えなくなる相手ではない。マシュウは踏みとどまり、引き戻される肘の下へ右手を差し込んだ。腕を押し上げ、空いた胴へ膝を入れる。
男が息を吐き、靴を滑らせた。
男は体ごとマシュウを小屋へ押し戻そうとした。マシュウはその力に合わせて半歩引き、踵が浮いたところをもう一度蹴る。今度は男の方が、戸口から大きく離れた。
腕を押さえた手は放さず、顔へ拳を出す。避けた先の脇腹へもう一発打ち込むと、男が剣を横へ振り回そうとした。マシュウはようやく腕を放し、刃の届かないところまで下がった。
左腕の傷が開いていた。指先まで流れてきた血を握り込み、マシュウは男を見た。
剣を引いた男の目が、小屋の中へ向く。
「そっちは、もう無理だぞ」
マシュウが前へ出ると、男は応じて剣を突き出した。届かない距離だったが、刃をまとっていた雷が、先端へ集まっていく。
「鳴牙!」
紫の光が剣を離れた。
マシュウは斜めに飛び込み、男へ迫った。だが、光は自分の横を抜け、小屋の裏口へ走っていた。
「土盾!」
短い叫びとともに、戸口へ土がせり上がった。雷が表面を割り、土の欠片が小屋へ散る。
「行け、マシュウ!」
フェリクスの声が背中を押した。
マシュウは戻らず、伸びた剣の外側へ踏み込んだ。左拳で男の上腕を打ち、引き戻そうとする動きを止める。開いた脇腹へ、炎を絞った右拳を叩きつけた。
「赫牙!」
革鎧の継ぎ目で火が弾けた。男が身体を折り、息を詰まらせる。剣を持った腕でマシュウを押しのけ、よろめきながら後ろへ下がった。
小屋の外壁へ肩が触れたところで、男は横へ走った。裏口を捨て、川側の戸口へ回ろうとしている。
「風燕!」
建物の角から、細い風が飛んできた。
男は剣を立てた。風の刃はその下をかすめ、踏み出した太腿を裂いた。足が止まる。角に立っていたネラが、短く息を吸って杖を握り直した。
「こっちにも、来させない!」
マシュウは男へ追いついた。
逃げ道を失った男が、剣を両手で握った。唇が動き、再び刃へ雷が走る。切っ先をマシュウの顔へ据え、足を引きずりながらも腰を落とした。
マシュウは拳を顔の横へ上げた。男の目が、血の滴る左手と右手を行き来する。
右拳に火を灯すと、剣先がそちらへわずかに寄った。
マシュウは、その場で右脚を振った。
「焔月!」
弧を描いた炎が、剣を持つ両腕の外側へ回った。男は肘を引いて脇腹を守る。靴が前腕を打ち、跳ねた火が胸元を赤く照らした。
男は歯を食いしばり、剣を振り下ろした。
蹴り足を下ろしたマシュウは、すぐに頭を沈めた。刃が左肩の布を裂き、地面へ突き刺さる。雷が土の上で弾けたときには、その腕の内側へ入っていた。
左手で男の右肘を外へ押す。足裏で地面を捉え、沈めた腰から右拳を突き上げた。
「天穿!」
炎をまとった拳が、胸当ての下端へ食い込んだ。
男の身体が伸び上がる。両手が柄から離れ、引き抜きかけた剣が落ちた。マシュウは拳を引き、崩れてくる身体の横へ回る。肩を押さえて地面へ倒すと、男は一度だけ身をよじり、口を開いたまま動けなくなった。
マシュウは剣を蹴り遠ざけた。
紫の光は、もう消えていた。男の手を押さえ、胸が上下しているのを確かめる。取り押さえた腕には、まだ力が残っていたが、引き抜こうとする動きはなかった。
「……終わったぞ」
声にすると、喉がひどく乾いていた。
ネラが近づき、落ちた剣を杖でさらに遠くへ押した。男の腰から短刀を外し、それも離れたところへ置く。
「女性は?」
「フェリクスと衛兵さんがついてる。今、外へ出たよ」
マシュウは頷き、ようやく息を深く吐いた。
*
衛兵へ男を引き渡して小屋の角を曲がると、女性が戸口の脇に座っていた。
フェリクスが片膝をつき、背中を支えている。女性は自分で包帯を押さえていたが、こちらを見ると、手を浮かせかけた。
「そこは、そのままで」
マシュウが言うと、女性は頷いて手を戻した。唇は血の気を失っている。それでも、視線はマシュウを追い、次にネラとフェリクスへ向いた。
「三人とも……怪我を」
「あとで手当てしてもらう。あんたも一緒にな」
答えたところで、小屋の向こうからダリウスの声がした。
「マシュウ! ネラ、フェリクス!」
マシュウは腕を上げた。駆け寄ってきたダリウスの袖は肘のところで裂けており、握った剣には水滴がついていた。その後ろには、担架を運ぶ二人の衛兵が続いている。
教員は三人を見渡し、女性の前へ膝をついた。
「上の術者は捕らえた。御者も無事だ。こちらは?」
「三人とも止めました。二人は川側、剣の男は裏にいます」
フェリクスが答える。ダリウスは衛兵へ目を向け、頷きが返るのを見てから、短く息を吐いた。
「よく守った。全員で帰るぞ」
ネラの杖先が、地面へ落ちた。手放したわけではなかったが、急に重くなったように持ち上げ直している。マシュウはその隣へ立ち、二人で女性が担架へ移されるのを待った。
衛兵に頼まれて肩を支えたフェリクスが、女性を横たえる。彼女は掛けられた外套の端を握り、三人を見た。
「助けてくれて、ありがとう」
マシュウは何か答えようとしたが、先にネラが頷いた。
フェリクスも、土に汚れた手を膝へ置いたまま頭を下げる。
担架が運び出されると、マシュウは自分の左腕を見た。戦っている間には気にならなかった傷が、今になって熱を持っている。
「それ、先に巻こう」
ネラが鞄を探り、残っていた包帯を出した。フェリクスが受け取って端をほどき、こちらへ手を差し出す。
「腕を出せ。動かすなよ」
「ああ。頼む」
マシュウは肘を預けた。二人の手にも傷があった。少し手間取りながら包帯が巻かれていくのを、急かさずに待つ。
「次の実習も、三人で組もうぜ」
マシュウが言うと、ネラが顔を上げた。
「そのつもりだったけど。次は、お昼ご飯くらい食べたいね」
「そういえば、まだだったな」
「君たち、先にこれを終わらせてくれ」
フェリクスが包帯の端を持ち上げる。ネラが布を押さえ直し、ようやく結び終えると、マシュウは礼を言って立ち上がった。歩き出す二人に並ぶ。
帰りの坂では、誰も先へ行かなかった。




