第18話 橋の下へ
「橋へ出るな! 撃たれるぞ!」
橋の向こうで声がした。番小屋から出てきた衛兵が、槍を構えている。その脇を駆け抜けようとしたもう一人が、橋の途中で足を止めた。
石の欄干に、矢が突き立っていた。
斜面の弩使いが向きを変えている。衛兵が身を隠すと、今度はこちらへ弩を戻した。橋の手前にいる剣の男は、振り向きもしなかった。
助けは見えているのに、近づけない。
マシュウは拳を上げた。前の男を退かせれば道は開く。だが、その間に背後の短剣使いが来る。女性を支えるネラの横で、フェリクスが杖の先を左右に動かしていた。
「川へ下りよう」
ネラの声に、マシュウは目だけを向けた。
街道の端、丈の高い草に隠れて、石段が岸へ続いていた。下には小さな荷揚げ場があり、そこから細い道が橋の下へ延びている。
「あそこなら、上から矢が通らない。橋の下を抜けられるよ」
「下りた先が行き止まりだったら?」
マシュウが尋ねると、フェリクスが鞄から地図を引き抜いた。折り目を開き、川沿いの線を指で追う。
「下流に水車小屋がある。この岸に道が続いている。小屋の裏から畑へ出られるぞ」
「わかった。そっちへ行こう」
答えた途端、橋の男が歩き出した。逃げる先を見ていたのだ。剣を低く構え、石段の入口へ回り込んでくる。
マシュウは前へ出た。踏み込む足へ剣が走り、地面を蹴って外した靴先から土が散る。すぐに肩の高さへ返ってきた刃を、頭を沈めてかわした。
短い動きだった。こちらの拳が届く前に、剣先が間へ戻っている。
横から小石が飛んだ。
「礫雨!」
男が剣で顔を守り、二つの石が鋼を鳴らした。マシュウはその隙に距離を詰めたが、男は追って打たず、半歩退いて石段への道を塞ぐ。
背後で、ネラが女性を連れて動きだしていた。フェリクスは彼女たちの横に立ち、杖先を低く下ろしている。
「尖塔!」
男の踵の後ろで土が盛り上がり、細い柱になって突き出した。男は横へ跳んだ。足を貫くはずだった先端は、外套の裾だけを裂く。
飛び退いた先へ、マシュウは踏み込んだ。
「砕星!」
腰へ引きつけた右脚を、真っすぐ送り出す。横たえられた剣の腹へ靴底が当たり、足先に絞った炎が弾けた。男の両腕が押し戻され、肩が欄干へぶつかる。
マシュウは蹴り足を下ろし、そのまま石段の入口へ身を滑らせた。
「行ける!」
ネラが女性の腰を抱え、石段へ向かう。フェリクスは後ずさりしながら、なおも男へ杖を向けていた。マシュウがその肩を叩くと、先に数段駆け下り、女性へ下から手を伸ばした。
足を狙った土の柱が、入口の半分を塞いでいる。剣の男は回り込む前に、焼けた手袋を一度、握り直した。
石段は肩を並べて歩くには狭く、下へ行くほど水苔が増えていた。
女性の靴が滑った。ネラが踏ん張ったが、一緒に落ちそうになる。すぐ下にいたフェリクスが肩を差し入れ、二人分の重みを受けた。
「止まれ。ここは一段ずつだ」
「ごめん、私の足が――」
「わかっている。離すな」
声が少し裏返っていた。フェリクスは歯を食いしばり、濡れた石へ膝をついた。ネラが女性の足を置き直すのを待ち、それから、ゆっくり下へ動く。
マシュウは一番上で振り向いた。短剣使いが、土の柱へ手をかけて越えようとしていた。
「火炎壁!」
石段の上端を、炎が横切った。男が顔をかばって引き、外套を払う。その間にマシュウは数段駆け下り、橋脚の陰へ飛び込んだ。
すぐ後ろで矢が石を削った。弩使いも位置を変えている。橋の下へ入るまで、立ち止まれなかった。
湿った石の匂いが鼻へ入った。頭上を覆う橋の裏側は低く、背を丸めなければ額をぶつけそうだった。ネラたちは先に着いており、女性を壁へもたれさせている。
女性が押さえた脇から、指の間を伝って血が落ちた。
マシュウは鞄の口を開いた。実習用に渡された包帯を引き出そうとして、切られた左腕が痛む。濡れた指で結び目を引くより早く、フェリクスが自分の包帯を差し出した。
「こっちを使え。まだ開けていない」
ネラが受け取り、女性の手に重ねた。
「少し、どけて。厚くした方がいい」
外套の下には旅着があり、脇腹の布が裂けていた。何で傷つけられたのか、マシュウには見分けがつかなかった。女性は押し当てられた包帯に息を詰め、ネラの袖を握った。
「もう少し歩けるか?」
マシュウが聞くと、彼女は頷いた。額には汗が浮いていたが、自分から壁へ手をついて身体を起こす。
「……この道は、どこへ続いてるの?」
「水車小屋まで。そこで道が広くなる」
フェリクスが答え、血のついた地図を畳んだ。
頭上で足音がした。欄干の外へ槍先が覗いたのを見て、マシュウは声を張った。
「水車小屋へ行く! 怪我人がいる!」
衛兵の顔がこちらを向いた。
「聞こえた! そこへ向かう!」
男は低く身を伏せ、欄干の向こうへ消えた。呼吸をするたびに狭く感じていた胸が、少しだけ緩んだ。
街道の方では、氷の砕ける音が続いている。ダリウスもまだ戦っていた。
「先生に、どっちへ行ったかわかるようにしなきゃ」
ネラは杖で湿った土へ大きく矢印を刻み、その横に『小屋へ』と書いた。橋脚の陰なら、上からは見えない。石段を下りてくれば、すぐに気づける場所だった。
「よし。行こう」
マシュウが言うと、ネラは女性の腕をもう一度肩へ回した。
橋の下を抜けた先に、動いていない水車が見えた。小屋の川側は石造りで、板戸が一つ開いている。土手の道を走れば届く距離だった。
その道へ、矢が落ちた。
斜面を下りてきた弩使いが、上流側の岩へ膝を乗せている。石段を見下ろしていた場所から、岸を狙えるところへ移ったのだ。
フェリクスが杖を上げたが、マシュウは先に、女性の反対側へ肩を入れた。
「支えた。撃ってくれ」
フェリクスがこちらを一度だけ見た。
「礫雨!」
川岸の石が持ち上がり、弩使いのいる岩へ飛んだ。男が上体を引き、構えていた弩を下げる。
マシュウとネラは女性を挟んで走った。包帯を押さえる手がずれかけ、女性が苦しげに息を吐く。それでも足は動いていた。戸口へ着くと、自分から枠へ手を伸ばし、身体を小屋の中へ引き入れた。
中は粉の匂いがした。大きな臼の脇に麻袋が積まれ、奥には裏口から光が差している。
「人、いない?」
ネラが呼んだが、返事はなかった。マシュウは女性を石壁の陰へ座らせ、すぐに入口へ戻った。
フェリクスが後ろ向きに下がってくる。その杖の先を、追ってきた弩の矢がかすめた。
川の水が跳ねた。
短剣使いが浅瀬を渡り、横から飛びかかっていた。フェリクスは上流へ杖を向けている。マシュウが戸口を蹴るより先に、ネラがその腕を掴んだ。
「そっちは私が行く!」
ネラはフェリクスへ走り寄り、風を横から叩きつけた。短剣の先が逸れ、彼の頬をかすめる。フェリクスが身を引くと、ネラはその空いた場所へ自分の足を置いた。
マシュウは追いかけようとした。だが、小屋の土手側から、別の靴音が近づいていた。橋で蹴り退けた剣の男が、焼けた手袋を外しながら、畑へ続く坂を下りてくる。まっすぐ裏口へ向かっていた。
「マシュウ、中を頼む!」
ネラはそう言って、短剣使いから目を離さなかった。杖を握る指が白くなっている。マシュウは彼女の足が前後に開かれているのを見て、伸ばしかけた手を戻した。
「わかった。こっちは通さねえ」
フェリクスが小屋の外壁へ背を寄せ、岩の上の弩へ杖を向けた。マシュウは臼の脇を抜けて裏口へ走り、女性のいる場所を背で隠した。
戸口の光を、男の肩が遮った。突き出された剣を外へかわし、マシュウは脇腹へ拳を送り込んだ。




