第16話 三人分の報酬
「ローデン、戻ったら俺にも教えてくれよ」
教室の入口で呼び止められ、フェリクスは肩に掛けた鞄を持ち直した。机の上には、土盾を横から描いた図が広がっている。護送演習から五日経っても、彼の席を訪ねる生徒は減らなかった。
「昨日も言ったが、先に高くしようとするから崩れるんだ。下を広げて、それから――」
「続きは帰ってから! 先生、門で待ってるって!」
ネラに袖を引かれ、フェリクスは説明を切り上げた。マシュウが先に廊下へ出ると、窓際から別の少年が声をかけてくる。
「三人とも、どんな仕事だったか教えてくれよ。俺たちも次は勝つからさ」
「ああ。帰ったら話す」
手を上げて答えると、少年も笑った。以前は上のクラスとの合同授業を嫌がっていた顔だった。フェリクスが隣へ並んだので、マシュウは歩きながら肘で軽くつついた。
「教えるの、忙しそうだな」
「同じ失敗を見せられ続けるよりはいい」
「じゃあ、その図、なんで三枚も書いたの?」
反対側からネラに覗かれ、フェリクスが鞄の口を閉じた。マシュウは笑ったが、それ以上はからかわず、二人と一緒に校門へ向かった。
*
川沿いの道を歩いた先で、甘い果実の匂いに、潰れた草の青臭さが混じった。
果樹園の柵は、中央から押し倒されていた。支柱には深い溝が二本残り、木の皮が内側へめくれている。マシュウがその跡へ指を沿わせると、持ち主の老人が家の軒下を指した。
「夜に来たんだが、まだ出ていかん。犬も外へ出せなくなってな」
閉められた戸の向こうで、犬が低く唸っていた。ダリウスは老人から被害を聞き、依頼書の内容と照らし合わせてから、三人を柵のそばへ集めた。
「鎧猪一頭の討伐だ。作物への被害も抑えろ。私は家屋側を押さえる。まずは場所を確かめろ」
マシュウは倒れた柵を跨いだ。木々の間には食い散らされた果実が転がり、その向こうで、枝が重たく揺れている。ネラが風下へ顔を向け、鼻を押さえた。
「……いる。あそこ、獣の匂いが強い」
枝の下から、泥に汚れた鼻先が現れた。背はマシュウの胸ほどもあり、額から肩へ重なった灰色の甲殻が、木の幹を擦って音を立てる。二本の牙は柵を裂いた溝と同じ幅で、低く動くたび、口の端から白い泡が落ちた。
フェリクスが杖を上げかけ、その先を枝へ引っかけた。小さな葉音に獣の耳が動き、マシュウは二人の前へ出た。
「ここじゃ木を巻き込む。俺が出すから、空き地で待っててくれ」
「一人で近づくのか?」
「追わせるだけだ。こいつの前を横切るなよ」
大きな火を撃ち込めば、果実も枝も一緒に焼ける。拳を上げて近づくと、鎧猪が鼻を鳴らし、土を掻いた。百年前にも、同じ仕草を見たことがある。次に下がるのは頭で、そのあとには、牙が来る。
マシュウは突進の正面から半歩外れた。脇腹のすぐ横を牙が走り、地面を蹴る音が腹へ響く。獣の頬を覆う甲殻へ左手を添え、右拳を短く打ち込んだ。
「赫牙!」
拳の前で絞った炎が弾け、灰色の板に赤い傷を刻んだ。骨へ返ってくる硬さに奥歯を噛みしめながら、マシュウはすぐに手を引く。獣が首を振るより先に幹の反対側へ抜け、枝の低い場所を身を屈めて走った。
背後で木が軋み、果実が地面へ降り注いだ。振り向くと、鎧猪は狙いをこちらへ定め直している。マシュウは空き地の明るさを背に、一度だけ足を止めて見せた。
獣が地面を蹴った途端、今度は全力で走った。すぐ脇の幹が視界から消え、伸びてきた牙を腰のひねりで外す。空き地へ転がり出た肩を起こすと、行き過ぎた巨体が切り株へぶつかり、乾いた木片が弾け飛んだ。
「ネラ、伏せろ!」
フェリクスの声にネラがしゃがみ、二人の前へ低い土盾が持ち上がった。斜めの面を木片が叩き、砕けた土と一緒に頭上へ抜ける。フェリクスは目を閉じかけたが、杖を握る手は放さなかった。
マシュウが立ち上がると、鎧猪もこちらを向いた。折れた切り株を足で押し退け、熱い息を吐く。頬の甲殻は割れていたが、その奥へ拳を通すには、まだ角度が悪かった。
獣が頭を下げ、土煙を巻き上げて迫る。マシュウは足を動かしかけたところで、脇から吹き込んだ風に気づいた。目の前を塞ぐ土煙だけが流れ、低く走る二本の牙が見える。
「見えた!?」
「十分だ!」
ネラへ返しながら、マシュウは左足を斜め前へ置いた。地面を撫でる牙の外へ身体を逃がし、その足を軸に腰を回す。引きつけた右脚に炎が走り、獣が顔を上げる前に、その顎の横へ回り込んだ。
「焔月!」
赤い弧を引いた蹴りが、下顎を横から打った。鎧猪の頭が振れ、突進の勢いを残した前脚が交差する。巨体が傾くのを見ながらマシュウは蹴り足を下ろし、甲殻の途切れた首の横へ踏み込んだ。
左手で位置を確かめ、右拳を腰から送り出す。赫牙の炎がむき出しの首へ重なった瞬間、獣の悲鳴が途切れ、肩から落ちた身体が土を大きく跳ね上げた。
マシュウは追わずに離れた。足が動かなくなるまで構えを下ろさずにいると、剣を抜いたダリウスが近づき、倒れた獣を確かめた。
「討伐完了だ。三人とも、怪我は?」
「俺は擦り傷だけ。二人は?」
振り向くと、ネラはしゃがんだ姿勢のまま、倒れた鎧猪を見ていた。フェリクスも杖を下ろさずにいる。マシュウが歩いて戻ると、二人とも、ようやくこちらへ顔を向けた。
「……あれの横に、自分から入るのか」
「前にいたら、牙を食らうだろ」
「わかっている。でも、あの大きさで向かってきたら……」
フェリクスはそこで言葉を切り、自分の足元を見た。マシュウは木片の刺さった土盾を軽く叩いた。
「お前、ネラを守るときは動けたじゃねえか」
フェリクスが顔を上げ、ネラも盾を振り返った。彼女は袖についた土を払おうとして、指が震えているのに気づいたらしかった。
「最初、風をぶつけて止めようと思った。でも、絶対無理だってわかって……」
「見えるようにしてくれたから、蹴る位置が決まった。助かったぞ」
答えると、ネラは息を吐き、ようやく立ち上がった。
*
老人はまず、折れずに残った果樹を一本ずつ見て回った。それから三人へ何度も礼を言い、家の中から籠いっぱいの果実を持ってきた。
「これは持っていってくれ。まだ少し酸っぱいが、切って煮ればうまい」
ネラが両手で受け取ると、籠の底が膝へ当たった。フェリクスが慌てて反対側を持ち、マシュウも手を添える。倒した獣を運び出す手配と、依頼の確認を終えたダリウスは、三人の手へ報酬の硬貨を分けた。
フェリクスは受け取った金を眺め、袋へ入れようとして、また掌へ戻した。
「数、合ってるだろ?」
「確かめているんじゃない」
マシュウが首をかしげると、フェリクスは硬貨を一枚、指でひっくり返した。
「家から送られた金しか、使ったことがなかったんだ」
ネラも、自分の手へ目を落とした。しばらくして顔を上げると、持っている籠を少し揺らす。
「これ、みんなにも食べてもらおうよ。教室で待ってるし」
「そのままだと酸っぱいぞ」
「厨房で煮てもらえないかな。お手伝いするからって頼んで」
マシュウは硬貨を袋へしまった。仕事の帰りに何を買うか、一人で考えていた頃には、果実の籠を誰が持つかで言い合う相手もいなかった。
「わかった。俺も頼んでみる。代わりに、薪運ぶの手伝えよ」
「その前に、今日の話をする約束だろう」
フェリクスが籠を持ち直し、帰り道へ足を向けた。どう説明するつもりかと尋ねると、まず盾を作った場所から話すと言うので、ネラが、最初は私が見つけたんだよ、と横から口を挟んだ。
二人の話を聞きながら、マシュウは籠の重みを持ち替えた。教室へ着くまでには、自分の出番も回ってくるだろう。その前に少し味を確かめようと果実へ手を伸ばすと、すぐに二人から、そのままでは酸っぱいと言われた。




