第11話 水槍の令嬢
最初の強化実習の日、マシュウが実技場へ入ると、壁際の話し声が止まった。
「あいつだ。ロルフを倒したEの……」
小声のつもりなのだろうが、よく聞こえた。別の生徒がこちらの手を見てから剣帯へ目を向け、何も吊っていないことを確かめている。マシュウはダリウスへ用紙を渡し、空いていた場所へ鞄を置いた。
厨房の当番は朝へ移してもらえた。暗いうちから薪を運ぶことになったが、放課後にここへ来られるなら苦ではなかった。帰ったら何をしたか教えて、とネラたちにも頼まれている。
「マシュウ・ファルニール?」
名前を呼んだのは、淡い金髪を青い紐で結んだ少女だった。制服は乱れなく整い、手には飾りの少ない長杖を持っている。
「ああ。……お前、入試で列に並ばなかった奴か」
少女の眉が動いた。近くの生徒が息を呑み、こちらへ半歩近づきかける。
「ヴェルナー侯爵家の方だぞ」
「レティシア・ヴェルナーです。一年Aクラス。名前で呼んでいただける?」
少女が先に名乗ったので、マシュウも頷いた。
「わかった。俺のことは、ロルフから聞いたのか?」
「ええ。彼が、自分より接近戦の上手い一年生がいたと言うものだから」
その評価が意外で、マシュウは少し目を丸くした。ロルフは悔しそうにしていたが、負けた理由まで曖昧にしてはいないらしい。
「私も手合わせをお願いしたいの。その前に、入試の話を済ませたほうがいいかしら」
「気になってるなら、聞く」
レティシアは長杖の先を地面へ下ろした。
「私は学園の案内に従いました。優先されたことは否定しません。その扱いに見合う成績も、出すつもりです」
「後ろで待たされた奴らも、案内には従ってただろ。成績の話なら、測ってから決めればいい」
彼女の目が少し細くなった。近くにいた生徒が何かを言いかけたが、レティシアが手を上げて止める。
「家の責任を果たすために、幼い頃から学んできたわ」
「だったら、その勉強や腕を見せてくれ。家の名前だけじゃ、俺にはわからない」
レティシアはしばらくこちらを見つめたあと、杖を握り直した。
「それなら、よく見ていて」
*
射撃区画には、高さの違う三枚の的が吊られていた。先に試した生徒は、二枚目を外して唇を噛んだ。的が揺れた状態で次へ狙いを移すのは、止まったものへ撃つより難しい。
レティシアは最初の的へ杖を向けた。握る部分の革だけは、何度も巻き直したように色が違っていた。
「水穿槍」
引き絞られた水が、空気を裂いて走った。的の中央が破れるより早く杖先が上がり、続く二本が、残った的を相次いで貫く。三枚とも大きく跳ね上がったが、穴の位置は、揺れる前の中心に揃っていた。
「やっぱり、一つも外さないな」
「この距離で、あの速さかよ……」
周囲が話す間にレティシアは杖を下ろし、こちらへ目を向けた。マシュウは三つの穴を見比べていた。必要な力を、それぞれ違う高さへ無駄なく届けている。高い魔力を持つだけで、できる撃ち方ではなかった。
「上手いな。全部、同じところを抜いた」
「ありがとう。次はあなたの番よ」
マシュウも的の前へ立ち、火炎矢を放った。一枚目に当て、二枚目は揺れが戻るのを待って撃つ。三枚目まで当てたが、レティシアより明らかに時間がかかり、穴も少しずつずれていた。
「射撃は、やはりAが上か」
誰かの声に、マシュウは頷いた。遠くの的だけを競うなら、彼女のほうが上手い。その差を承知したうえで、どう戦うかを考える必要があった。
「次は打撃用の的だ。連続して攻めてみろ」
ダリウスの指した、厚い革を張った的へ近づく。マシュウは右手を顎のそばに残し、左拳を短く伸ばした。
「灼嵐!」
的の上部で小さな火が弾け、左手が戻る途中で右が脇へ走った。腰を切り返して再び左を送ると、三つの打撃音が続けざまに響く。的が大きく揺れたときには、両手とも次を防げる位置へ戻っていた。
「一発ずつ、火の大きさが違うのね」
「最初を防がせて、次を通す。全部に力を溜めてたら、続かねえだろ」
レティシアは三つの焦げ跡を確かめ、長杖を握り直した。正面の一発を防ぐだけでは、横や下へ動く拳に追いつかない。その手が柄を滑り、持つ幅を広げるのをマシュウは見ていた。
対人区画へ呼ばれると、壁際にいた生徒まで近づいてきた。ロルフも少し遅れて姿を見せ、こちらとレティシアを見てから、黙って白線の外へ立った。
「本当にやるんだな」
「Bに勝てても、Aは別だろ」
「そのBは僕だけど、何か言いたいことがあるなら聞くぞ」
ロルフに横から言われ、話していた生徒が口を閉じた。マシュウがそちらを見ると、ロルフは視線を返し、顎をわずかに上げた。自分を倒した相手がここで何をするのか、確かめに来た顔だった。マシュウも片手を上げ、向かいのレティシアへ向き直った。
声を潜めた生徒たちの前で、ダリウスが規則を確かめた。制限は二分、場外や続行不能などの条件は合同実技と同じ。安全のために出力を抑えても、勝ちを譲る必要はない。
マシュウは胴当ての留め具を確かめ、拳を上げた。向かいではレティシアが杖を胸の高さへ構えている。
「近づかれたら何もできない、とは思わないで」
「ああ。じゃあ、遠慮なく行くぞ」
開始の合図に地を蹴ると、先に水が飛んできた。丸くした先端が胴当てを狙い、マシュウが横へ身を逃がした場所へ、二本目が低く走る。膝を引き上げてかわしたが、着地する地面まで水に削られていた。
彼女の足は半歩ずつしか動いていない。こちらに何度も避けさせながら、自分は広い場所を保っている。マシュウは左手から火矢を返し、その軌道と重ならないよう斜めに走った。
レティシアは火を水で消さず、肩を引くだけで通した。空いた杖先から次の水が伸び、踏み込んだ足の前で砂が弾ける。マシュウが歩幅を縮めると、今度は胸へ杖そのものが突き出された。
前腕で柄を外へ流し、右脚を横から走らせた。レティシアは杖を斜めに立て、蹴りを受けながら半歩引く。衝撃を逃がす動きに追いつこうとして、マシュウの軸足が濡れた砂を滑った。脚を下ろすより先に杖先が戻り、水が集まる。マシュウは無理に拳を続けず、自分から下がって水流を逃れた。
見ていた生徒が安堵したように話し始めた。やはり届かない、と囁く声も聞こえたが、マシュウはレティシアの足元を見ていた。自分の水でぬかるませた場所へ、彼女自身は踏み込んでいない。
「そこで引けるのね」
「突っ込んでほしかったか?」
「少しだけ」
マシュウは笑い、左手へ火を集めた。火炎弾は、彼女の顔へ向けなかった。立ちたいはずの乾いた場所、その手前へ低く撃ち込む。
砂を叩いた炎が広がり、レティシアが杖を振って水をかぶせた。白い湯気が噴き上がったが、彼女はその向こうへ無闇に撃たず、すぐに足を移そうとした。
その足の行き先へ、マシュウが踏み込んだ。先に出した左を杖で受けさせ、その手が戻りきらないうちに腰を回す。
「灼嵐!」
右拳の炎が杖を外へ押し、続く左が下から脇を狙った。レティシアは柄を滑らせ、その下端でぎりぎり拳を受ける。火花と木の音が重なり、受けるたびに彼女の足が半歩ずつ下がった。
「近づいた……!」
場外の声を聞きながら、マシュウは息を吐いた。三発とも防がれたが、彼女はもう遠くから狙いをつける暇がない。脚を大きく振らず、小さく踏み直しながら拳をつなぐと、レティシアも杖を短く持ち、肘の内側へ突き返してきた。痺れた左手を引く間も右手を下げず、二人は互いの腕の届く距離で足を運び続けた。
マシュウが次の右を引くと、そこに灯った炎を見て、彼女は杖を大きく引き寄せた。風を使うロルフとは違う反撃が来るとわかりながらも、マシュウは、そのまま懐へ踏み込んだ。




