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その祭壇に、華を添えて

※本話には流血・残酷な描写を含みます。

 あれから小一時間経っただろうか。


 リリは再び窓から階下を見下ろした。


 伯爵が菫の庭園を歩いているのが見える。


 リリは太陽の位置を確認する。


 リリの手には屋敷内で拝借した銀のトレイ。そのトレイを胸元に掲げ太陽の光を反射させる。


 リリの口がゆっくり開く。


「ナナ……ごめん。私やっぱり、カイのことそんなに嫌いじゃないよ。」


 その声はいつものように小さい。


――セリナ様もナナも大好き。カイがここで死んだらセリナ様泣いちゃうでしょ?セリナ様。カイのこと好きだもん。ジャンのことは残念だけど……セリナ様まで泣かせられないよ。

 

 屋敷を見上げるカイの姿を思い出す。ミナを逃す時とは明らかに違う、覚悟がその佇まいにはあった。


「……死なせないよ。」リリの口元が歪んだ。



 

 

 カイは目を覚ました。


 まだ頭がクラクラする。ジュースに仕込まれた薬のせいだろう。


 だがそれより、前が見えない。

 目隠しをされているのか、視界は真っ暗だ。


 そして今カイが座っている椅子。どんな椅子なのか。

 後ろ手に縛られたカイは、その背や尻に感じるひんやりとした感触に首を傾げた。


 だが暫くして考えるのをやめた。カイは黙って椅子の背にもたれ、両足を伸ばした。


 その様子を眺めてた伯爵は、近くにあったナイフの刃を上に持ち変えた。ナイフの背で机をコン、コンと叩く。


 その音に気づいたカイは慌てるでもなく、背筋を伸ばし座り直した。


――なぜ取り乱さない?


 伯爵が訝しみながら「起きてるのだろう?」と問う。


 カイは少し間を空けて両肩を少し上げた。


 「まあっ!前が見えないわ!伯爵様これは一体?」と裏声で尋ねる。

 

 その声は上擦るでもなく、震えもしない。


 その全てが、あまりに白々しいのだ。


 伯爵の眉が少し吊り上がる。その言動に何か意味があるのか思案し、ハッとして意地汚く笑い出した。


「……物好きな奴だ。そうか。そういう性癖か。」


 カイは黙って首を傾げる。


「よい、よい。おぼこのように振る舞って見せても、貴様には似合わん。」


 ナイフの腹でカイの頬を叩いて蔑んでみせた。


 だが、ピクリとも動かない。


 呼吸の乱れもまるでない。


 人形を相手にしているようで、伯爵は苛立った。


――見目が良いと受け入れたが、反応がなくてつまらん。


 伯爵は手に持ったナイフを見て顔を歪ませた。


「そうだな。まずは貴様に、私の趣味を教えてやろう。光栄に思え。」


 伯爵は持っていたナイフを握り直した。


「お前のように貴族だなんだと群がるうじの……」


 その刃を立ててカイの太ももを裂いた。


「駆除が、私は大好きなのだ!」


 伯爵は恍惚として裂き目を見つめる。


――どうだ?痛かろう?


 真っ白なドレスに血が滲みだす。


 カイは反応が遅れつつも「……痛いですわ。」と反した。


 伯爵は思わず顔を上げた。


――は?それだけ?


 伯爵が戸惑っていると、その口角が上がった。


「なぜそこまで平民を嫌うのでしょう?」


――何を急に?頭でもおかしくなったか?


 伯爵は訳も分からずただ見つめ続けた。


 だが答えるまでそうしているつもりなのか、黙ったまま動かない。

 

 伯爵はおもむろにカイの後ろを見ながら告げた。


「お前ら、うじのせいで――叶わなかったからだ。」


 カイは一拍考えて「菫の君に愛されなかったのは、私たち平民のせいだと?」と問う。


――なぜ?


 頭が真っ白になる中、疑問と共に怒りが音もなく押し寄せた。


 伯爵の顔が真っ赤になる。


「違う!私は愛されていた!」


 金切り声を上げる伯爵にカイは鼻で笑う。


「ではなぜ殺したのです?」


 伯爵は奥歯を噛み締めながら、恨みたらしく告げる。


「彼女が悪いのだ!卑しい孤児や貧民のために、配給支援だなんだと!私を蔑ろにして!」


 カイは穏やかに笑いながら返した。


「熱烈に求婚して婚姻までこぎつけたのに、菫の君に相手にされなかったのですか?……お可哀想に。」


 その声に伯爵は体を震わせた。


「お前のような平民風情に何が分かる!」


 怒りのままにナイフを振り下ろす。


 目隠しが裂け、続け様に胸元が開けた。


 床の上に目隠しの布がハラリと落ちる。


 上から下に斜めに裂かれ、顔や胸元から血が滴り落ちていく。


――風情?……平民風情?平民……


 自分の言葉に引っかかった。


 カイの顔や胸元を見て、その違和感に昔自分が言い放った言葉を思い出す。


――侍従風情だ。


 伯爵はハッとして声を震わせた。

 

「騙したな?」


 カイは小首を傾げる。


――怒りでおかしくなりそうだ……


 ルミエール男爵家の夜会に参加した日のことだ。

 会場内でも一際目を惹く、一人の侍従に声をかけた。


 だが会話をしたのではない。

 

――侍従風情が喋らなくて良い。本当に残念でならない。"女"であったなら合格点だったのだがな。――


 そうあの日の侍従と目の前の女は瓜二つ。


「お前あの夜会の時の……あの侍従だろう?」


 伯爵は震えながらカイを指差す。


 はだけた胸元から女でないことは確実だ。


 カイは穏やかに微笑む。


「ちゃんと話すのは初めてですね。伯爵様。ご要望通り女として参りました。いかがでしょう?ご満足頂けました?」地声だ。


 伯爵の手からナイフが落ち、カツーンと音が響く。

 

「お前も、あの小娘も。死ぬ覚悟はできてるのだろうな?」


 先程までの荒々しさはない。だが今までで一番低い声だ。


 カイはなおも穏やかに返す。


「絶世の美女と名高い、菫の君。その骸と並べて貰えるなんて――光栄だなぁ。」


 それは試すように。


 伯爵の顔は真っ赤で今にも破裂しそうだ。


「お前など彼女の隣に並べられるわけがないだろう!」


 伯爵の声に荒々しさが戻ってきた。

 

 カイは笑う。


「骸になっても愛しているのか。凄まじい執着だ。……気色悪い。だから嫌われたんだろ?」


 伯爵が歯軋りをして小槌を手に取る。


「菫の君もこんな所で。アンタなんかに視姦されつづけるより、家族のもとに還りたいだろうよ。」


 その言葉が伯爵の琴線に触れた。伯爵は迷いなく小槌を振り下ろす。


 鈍い音と共に頭が揺れた。


 カイの額から血が流れる。


 伯爵は小槌を床に放り投げた。壁にぶつかり音を立てて落ちた。


「貴様如きが彼女を語るでないわぁあ!」


 怒号と共にカイの襟首を掴みあげる。


 視界がまだ揺らいでいるようだが、カイは微笑んでみせた。

 でもその瞳はただ虚に。


――なんだその目は……


 伯爵の手の力が僅かに緩む。


 どれだけ痛めつけても、怯えるどころか笑う。今も呼吸に乱れがない。


――この目だ。鳥の目のように……気味が悪い。


 伯爵の顔から怒りが消えていく。手を離し一歩、また一歩後退った。


「エドガー・クロー。醜いアンタは、誰からも愛されない。」


 カイが大きく顔を歪ませる。

 

「お可哀想に。」


 捕食者を前にしたネズミのように、また一歩後退る。


 カツン。


 その足に何かが当たった。


 伯爵はゆっくり足元を見る。


 ナイフだ。その刃が怪しく光って見えた。

 

 震える手で、伯爵はナイフを拾い上げ両手で握る。


「お前に哀れまれたくなどないわ!」


 伯爵が勢いよくその刃をカイに突き立てた。


 脇腹から温かな血が流れる。


――泣け!喚け!縋れ!それができないなら死んでしまえ!


 伯爵の手に力が籠る。


 ギィー。


 その時虚をついて、背後から音が響いた。


 伯爵の肩が跳ねた。思わず手から力が抜ける。


――なんの音だ?


 顔だけ振り返り見る。


 小屋の扉が開け放たれていた。


 セリナと監査官だ。その背に憲兵たちが並ぶ。


 異質な部屋を目の前にして、一堂は固まっているようだ。


 口火を切ったのは監査官だ。


「貴族監査局所属。王国監査官のレオン・ヴァレンティアだ。エドガー・クロー伯爵。貴殿に貴族令嬢殺害の疑いがある。直ちに……」


――疑いだと???


 監査官の言葉を遮るように「待ってくれたまえ。」と伯爵は声をあげた。


 ナイフから手を離し、体ごと振り返った。


 血まみれの手を広げながら続ける。


「どうやら誤解があるようだ。監査官。」


 一歩、また一歩。


 よろけながら伯爵が扉に向かって歩く。


 伯爵が近寄るほどに、その体で見えなかったカイの姿が露わになっていく。


 その光景に、セリナは外套の袖を強く握りしめた。


 隣の監査官が体を強張らせ、背後の憲兵たちが息を呑むのを感じる。


 この小屋の中は異様だ。でもその異様さを際立たせている存在がいた。


 カイだ。


 部屋の中央、鉄の椅子に縛られたカイ。その口は緩く弧を描き、その目は怒りも悲しみも感じさせない。感情もなくただこちらを見据える。


 カイの背に白い布が敷かれた長机。机上には剥き出しの骨が綺麗に並べられ、その周りを小槌やペンチなどが並ぶ。


 背後の壁はタグ付けされた色も長さもバラバラな髪の束が騒然と飾られていた。


 壁の中心には見覚えのある菫色。それだけが丁寧にリボンで束ねられていた。


「……ヴィオラ。」


 それは小さな掠れ声だった。

 セリナは声の主を見る。相変わらず表情は変わらない。だがその目は壁の一点を見つめ続けていた。


――ヴィオラ――


 その名に伯爵の足が止まった。先程まで醜く弁明しようとしていたのに、その気も失せたのか。


 金縛りにあったように動かない。


 セリナは唇を震わせながら、もう一度前を見据える。


 カイはなおも姿勢を崩さず微笑んでいる。


「……聖母?」


「……綺麗。」


 背後から憲兵たちの場違いな囁きが漏れた。


 だが同意したくなる説得力が目の前には広がっていた。


 セリナは目の前の光景に目を潤ませる。


 背後の異様な光景すら、カイのための祭壇のようだ。


「……やっぱりあなたが一番だわ。」


 セリナが呟いた。


 その横を監査官が通り抜け、カイの前で立ち止まった。


「エドガー・クロー。……貴様を連行する。」

 

 その声に我に返った憲兵たちが中へ踏み込んだ。


 伯爵を後ろ手にさせてその手首を縛る。


 憲兵たちが両脇につき、その肩を抑え引きずるように小屋を出ようと歩き出した。


 急に伯爵が監査官に向かって声をかけた。


「……そういえば兄がいると言っていた。それはヴィオラと同じ髪だ。」


 伯爵は監査官の髪を食い入るように見つめている。


 憲兵が慌てて「黙って歩け!」と退出を促した。


 監査官の表情は変わらない。だがその拳は強く握りしめられていた。


「貴様の罪――全て裁く。覚悟しておけ。」


 小屋にその低い声が力強く通った。


 伯爵は今度は黙って、出て行った。


 ふと監査官が目線を下げた。


「お前。名前は?」


「……」その声に向かって、カイは見上げた。


 視線が重なり、初めて自分のことだと気づくカイ。


「……?カイです。」


「そうか。」と言いながら、監査官はカイに向かって敬礼をした。


 突然の監査官の動きにカイは驚きつつも動かないでいた。


「カイ。君の協力に、感謝する。後日改めて礼をしよう。」


 そう言って踵を返した。


 監査官が踵を返すのに合わせセリナが歩き出した。


 カイを割れものを触るように抱きしめる。


「医者を呼べ。」と監査官が指示する声が聞こえる。


「あなた死ぬつもり?」セリナの声は震えていた。


「……」


「死んだら許さないわ。あなたは私のものでしょう?」


 セリナの声にカイは無表情で応えない。


 開け放たれた扉から駆け込む足音がする。


 医者が到着したようだ。


 カイはゆっくり瞼を閉じた。


 その体から力が抜けていき、仕舞いにセリナに身を任せ動かなくなった。


「早く手当を!」とセリナの悲痛な叫びが小屋に響いた。



 

 真っ白な空間の中。カイは座っていた。


「どこだ、ここ。」


 そうこうしていると、隣に気配を感じる。


「やっと死んだか?」


 ジャンだ。


 意地の悪い笑みをして、こちらを見ている。


「……ああ、そうかもな。」


 カイは曖昧に答えた。


 ジャンは「ハッキリしろ。」と不満げだ。


 カイは首を傾げる。


「死んだって確証もって死ぬ奴、どれだけいるんだ?俺は分からない。だからそうかもと答えただけだ。」


 ジャンの眉間に皺が寄る。


 それを穏やかに見つめながら、カイは続けた。


「……お前には分かるんじゃないか。これは走馬灯か?それともいつもの白昼夢の続きか?」


「けっ。」とジャンが嫌な顔をする。


「お前のそういう利口で、冷静なところが腹が立つ。」


「俺はお前のすぐ突っかかってくるところが嫌いだ。」


 すかさず嫌いと言い切るカイ。


 その嫌いに反応して、急にジャンが真顔になった。


「……リクみたいに接してたら、俺を見捨てなかったか?」


 その声はどこか真剣だ。


 一拍置いてカイは首を振る。


「俺は多分。あの日を何回繰り返しても、お前を見捨てた。……見捨てるんだ。」


 ジャンが笑う。

 

「そうか。やっぱりお前――嫌いだ。大嫌いだ。」


 そうして一頻り笑ったジャンはカイを見つめる。ジャンの穏やかな表情を見るのは初めてだ。


 ジャンの唇が動く。


 何を言われるのか。カイはジャンを注視した。

 

「だからまだ、こっち来んな。お前の顔を見るのは懲り懲りだ。」


 その言葉がやけに耳にこだました。


 そうこうしていると視界が霞みだす。


 カイは手で目元を仕切りに摩る。


 そしてその手を離し、瞼を開いた。


 覗き込む翠の瞳を前に、体が跳ねた。


 その瞬間、ピキッと全身に痛みが走る。


「くっ。」とカイは呻く。


 セリナがすかさず抱きついた。


 その温もりにカイは戸惑いながらも拒めない。


 首筋にセリナは躊躇いなく顔を埋める。


 柔らかな薄紅色の髪が鼻先を掠めた。


 カイは少し気まずそうに「ご要望通り生きてますよ。」と呟いた。


「……馬鹿。」セリナは掠れ声だ。


 首筋にかかる息づかいを感じながら、カイはまた黙りつづけたまま動けずにいた。

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