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その皿に、極上の逸品を

「失礼する。どうやら無駄足だったようだ。」 


 監査官が立ち上がりかけた。


「伯爵の別荘で勤めていた使用人を、見つけて連れてきましたの。」


 女が震える。カチカチと歯を鳴らし後退る。


 監査官は再び腰を下ろした。

 その視線が女を捉える。


「監査官様に、貴方が辞めた経緯を話してくれないかしら?」


 セリナの声に女が首を振る。


「話せません。死、死にたくありません!だって、やっぱり本当だったなんて。くそっ!あのお喋りのせいで、こんなことに!」


 女の言葉は脈絡がない。だが確かに何か知っていそうだ。


 女の目が扉に向いた。


「はっ、話したら、ころ、殺される!いやぁああ!」


 女が走り出そうとする。


 その肩を瞬時に掴み、足をかけて体勢を崩す。後ろ手にカイは女を拘束した。


「黒曜くん。ありがとう。」


 セリナの感謝を無視して、カイは女の耳に囁く。

 その声は優しく穏やかに。


「……なんだ?監視でもついているのか?それなら、すでに監査官を招いたこの屋敷にいる時点で……」


 カイはわざと間を開け微笑む。


「……あんたは詰んでるよ。」


 女が言葉にならない叫び声をあげる。


「ダメよ。ダメ。」


 セリナの声にカイが顔を上げる。視線が重なった。

 その目は不満気だ。


「黒曜くん、そんなに近いと嫉妬しちゃうわ。」


 カイは目を逸らした。


「でもそうね。黒曜くんの言うことも一理あるわ。ねぇ、貴方。私が守ってあげましょうか?」


 セリナは女に手を差し伸べる。


 女は大きく顔を縦に振る。


「お願いします!何でも!何でもします!だから、助けてください!」


 女の勢いにカイは顔を少し顰めながら、力づくで抑え続ける。


「黒曜くん。もう良いわ。離してあげて。」


 カイはセリナの指示に合わせ、手を離し空を払う。


 手が離れた女はセリナの手に縋り付いた。


「何でもすると言ったわね。あなたが知っていること話してもらえるかしら?」


 女は大きく頷く。


「ええ。ええ。勿論です。」


 女は堰を切ったように話し始めた。


「もともと、あの別荘には黒い噂が、2つあるんです。亡くなられた奥様は、火葬され屋敷の庭園に……でも墓の下は空っぽだって。」


 女の言葉にセリナは相槌を打つ。


「もう1つは、屋敷に訪れる黒い羽。あれに配属になったら、おっお終いだって。たっ立ち入り禁止の場所があって。屋敷の奥の部屋と庭園。ばっ馬車から来た客人を、その部屋に通し、庭園の中の小屋に連れていくことと。客人が居ない日。へっ部屋と小屋の管理が仕事で……」


 セリナは唇を軽く抑える。


「客人の姿は?小屋に入ったあとはどうなったの?」


 女は少し目を泳がせる。


「屋敷の窓から何が見えても、それらについては口にしないのが暗黙のルールです。ただその配属になると、心を病んで廃人になるか、姿をくらますか。碌な未来がないと、噂で、そう噂だったんです。あの日まで……」


 女の目が潤む。


「仲の良い同僚でした。じっ侍女長から配属替えを言い渡されて、給料が上がるとはしゃいでいたんです。でも暫く経って、その子が……」


 女が目を瞑るのに合わせて、カイも瞼を閉じた。


 女の腕を乱暴に同僚の侍女が掴む。その顔は虫喰いのようになって見えない。


「噂は噂だって。そう思って……私が間違ってたの。もういや、いや、嫌なの。馬車が来て。受け取って。洗って。そして、壊れたソレを黒い羽の奴らと運んで。頭がおかしくなりそうよ!」


 女は侍女の手を振り払った。


「何の話をしてるのよ?あんなにお金が貰えるって、はしゃいでたじゃない!」


 侍女は両手で頭を覆う。


「壁に並んでるのよ。色も長さもバラバラな髪、机の上の骨。毎日、毎日、毎日、真っ赤な床磨いて。……落ちないのよ。あの赤が……私も、真っ赤。」


 侍女が両手を下ろすと、指に大量の髪の毛が絡む。


「ひっぎゃああああ!?!!」


 自分の髪に驚いた侍女が、駆け出す。


 脇目も振らず一目散に駆けていく侍女の背を見ながら女は固まった。侍女は廊下の先で、別の侍女にぶつかった。屋敷に来たばかりの若い侍女だ。

 

 やはり侍女も若い侍女もその顔は見えない。そこだけが切り抜かれた様に。


 若い侍女の肩を揺らしながら「助けてー!!死ぬ!また!髪が!骨が!あ゙あ゙あ゙あ゙!」と叫ぶ様子を遠目に女は見ていた。


 その後やってきた侍女長だろう。はっきり見えないが、二人を連れてどこかに消えた。


 カイは瞼を開いた。


――そんなところか。


 カイは女を見た。女は大粒の涙を流しながら続けた。


「そのあと――二人が死んだと聞かされました。私、恐ろしくなって。辞めたんです。自分から。うっううう。」


 女は泣き崩れた。


「死にたくないぃ、助けて、くっださい。うっ。」


 懇願する女の手をセリナが優しく包み込む。


「話してくれて感謝するわ。」


 カイとセリナは監査官を見た。


――妹だろ?何とも思わないのか?


 今の女の話を整理すると、亡き夫人は伯爵の手で殺された可能性がある。対外的には埋葬したことにして、今も髪の毛や骨が小屋に安置されている。これが本当であれば伯爵をこき下ろすことができる。


 監査官の菫色の髪を見る。


――夫人は"菫の君"と呼ばれ、社交界で絶世の美女として有名だった。その髪はヴァレンティア家特有の色。


 それはセリナの情報から知った事実だ。

 伯爵がどれだけ孤児や貧民を手に掛け、小屋にその証拠品が並ぼうが罪に問えない。だが"菫の君"は由緒正しい有名な貴族だ。その髪や骨があれば伯爵は終わりだ。


――なあ、監査官。妹の仇だ、チャンスだぞ。どうした?


 監査官は依然としてピクリとも表情が変わらない。


 セリナもその反応が不思議だったのか「監査官様。如何でしょう?」と声をかけた。


「無駄足だった、と言ったのは訂正しよう。とても有益な情報だ。だが、これでは確証がない。……私は王室監査官だ。貴族の罪を追及し、法のもとに裁く。そのために此処にいる。だが仮に今の証言だけで踏み込むには確証が弱い。踏み込むこともできないだろう。仮にできたとしても、伯爵に言い逃れられる可能性が高い。」


 監査官の声や表情は揺るがない。


「だがまだ何かあるのだろう?」


 セリナは微笑む。


「私は侍女を要求されたので、差し出したのですがどうやら逃げられたようです。伯爵はご立腹ですわ。だから代わりの餌を用意しようと考えています。踏み込むのは伯爵が餌に食いつき、お痛をする時。言い逃れはできないでしょう?やる価値はありますわ。」


 監査官は「……悪くない。だが、餌はどうする?伯爵の好みは?食いつく確証は?」と冷静に返した。


 その言葉にカイが口を開いた。


「発言をしても宜しいですか?」


 セリナは目を見開く。


「黒曜くん?」


 監査官はその落ち窪んだ目でカイを見る。


「どうぞ。」


 カイは笑顔で「伯爵の好みはよく知ってます。」と告げた。


 部屋が一瞬静まり返った。


「なぜ知っている?」監査官の問いは正しい。


「俺は伯爵が贔屓にしている教会の……孤児でした。それも帳簿管理を任されていたので、教会の実態も伯爵の好みも知っています。問題ありません。」


 カイはふっと吹き出す。


「いや、問題どころか。伯爵はすでに半分釣れてます。」


 セリナの顔が曇る。その先に気づいたのだろうか。本当に察しがいい。


「伯爵本人が、俺が女ならと残念がってました。女装したらなんとかなるでしょう。」


 カイは微笑む。でもその目は虚だ。


「ダメよ。許可できないわ。黒曜くんはダメ。」


 セリナの否定を無視して、監査官がカイを観察する。


「女装か。すでに本人が好みだと証言したのであれば、餌とするのは確実だ。本人も望んで提案している。差し支えないだろう。」


 監査官の言葉に、セリナの声が荒くなる。


「お待ちください。彼は私の所有物です。決して伯爵のおもちゃになんてさせないわ。」


 セリナの苛立ちを見下ろしながらカイが呟く。


「罪滅ぼしです。」


「えっ……」セリナがカイを見る。


「自分のために他人を害してきました。」


「それは直接ではないでしょう?」セリナの眉間に皺がよる。


「いえ、結果が見えていたのです。俺は加害者だ。その分、誰かを助け守っても後悔は消えなかった。伯爵の影に怯えるのも、ジャンの亡霊に責められるのも、もう疲れました。俺は俺の罪を精算し、伯爵にもその罪を贖わせます。だから餌にしてください。」


 カイの顔から笑顔が消えた。瞳の虚が広がったように、無感情な顔。セリナが息を呑む。


「お嬢様。これは俺の役です。」その声は低く決意に満ちていた。


 監査官が口を開く。


「決まりだな。できるだけ、君の安全を優先しよう。伯爵への先触れの用意、屋敷図面の確保、屋敷内に潜入するこちら側の人間、君の変装用具、憲兵も準備して、あともしものための医者の手配。……やることは多いが、大事な餌と屋敷内を知る元使用人が揃っている。」


 セリナを見る。


「貴族監査局として。私、王室監査官レオン・ヴァレンティアは、正式にセリナ・ルミエールに協力を要請する。其方の使用人をお借りしたい。」


 セリナは歯を食いしばる。


 部屋が静まり返る。


「……私、屋敷内潜入できます。諜報員として仕込まれてるし、だから大丈夫。セリナ様。カイ、死なないように中から動けます。」


 リリの言葉に監査官は「……其方の使用人は、粒揃いだな。」と呟いた。


 セリナは黙ったまま。


 痺れを切らしたカイがセリナに近寄る。


「お嬢様。……俺を餌にしてくれ。」


 セリナは動かない。


「……でないと、俺はあんたを好きでいられない。」

 

 セリナの肩が跳ねる。


 視線が交差する。


「……あなた、私のこと嫌いでしょう?」


 カイは首を傾げる。


「この屋敷であんたを嫌ってる奴はいないだろう。でも、そうだな。雇用主としてではなく、女として。あんたを好きになるかも?俺を餌にしてくれるなら。」


 セリナの目が細まる。


「ほんと困った人。私の宝石箱の中に、大人しく収まってくれてれば良いのに。……良いわ。」


 セリナは監査官を見る。


「お貸ししましょう。監査官様。ですが、私の所有物に何かあれば、ただじゃ済みませんわ。商人は大事な品を害されるのが大嫌いなのです。」


 監査官は「了承した。」と告げる。


 リリがカイの隣に立った。


「……ありがとうカイ。よかった、セリナ様の気が変わらなくて。これで約束通り、ジャンの仇がとれる。ナナ喜んでくれるかな?」


 リリの小さな言葉にカイは冷たく返す。


「お前が思う様に、ナナは思うんじゃないか?俺は知らない。」


――それにこの際、ナナなんてどうでも良い。俺は俺の家族に手を出した伯爵に、お礼をするだけだ。


 カイは首を触る。

「やっぱり、お前は嫌な奴だ。」ジャンの声が、耳元で聞こえた気がした。

 



 準備はあっという間だった。


 カイはその日黒く長いカツラを被り、白いドレスを着ていた。ミナが着ていたものと似ている。だが首周りや体つきがふんわりと隠れる辺り、ちゃんと考えられていた。


 セリナが部屋に入る。


「どうかしら。」


 準備を手伝っていた侍女たちの手が止まる。


「あとは紅を引くだけです。」


 侍女の手には陶器の小箱。練り紅が入ってるようだ。


 セリナはまっすぐ侍女の前に立ち、その小箱を取り上げる。


「そう。それは私がするわ。あなたたちは下がりなさい。」


 セリナの言葉に侍女たちが足早に部屋を出た。


 部屋に二人きり。


 セリナはゆっくりカイの膝の上に座る。


 カイは眉を顰めたが黙っている。


 小箱を開けて、紅を指で僅かに掬ってカイの唇に引く。


 紅を引かれたカイは、目を細めた。


「いかがですか?お嬢様。」裏声だ。


 セリナは目を見開く。


「……声。」


 カイは頬に手を添える。


「"私"が喉を痛めず、話せる高さはこの辺りですわ。違和感ございます?」


 セリナはカイの胸元に顔を埋める。


「違和感がなさすぎて、嫌だわ。」


 カイは餌として完璧だった。

 裏声も変に甲高くなく、ミナの代わりになり得る。上背があるがまさしく美女だ。


「お嬢様からお墨付きがいただけて光栄ですわ。」


「あなたがここまでする必要ある?」


 セリナは不満気だ。


「ええ、これは俺の役なんで。そろそろ向かいましょう。もう良い時間でしょう?」いつもの声だ。


 カイが促すと、セリナは渋々立ち上がった。


 セリナが手を差し出す。その手を取って、部屋を後にした。


 カイは伯爵の顔を思い出す。

 

――さあ、満点を貰おうか?

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