黒羽に攫われた子供たち
セリナの執務室の隣の部屋は、商談のための部屋となっている。低い長机と、それに合わせた長い椅子が机を挟むように部屋を占めている。
セリナとカイは向かい合うように座っていた。カイは目の前の紅茶には目をくれず、机の上の報告書を手繰りながら、一枚一枚目を通す。セリナはゆっくり自分のティーカップに口をつけていた。
セリナがティーカップを膝に乗せるように下ろす。
「……私の方で調べさせたのは、コレで全部よ。」
カイが最後の一枚を机に置き、顔を手で覆う。
ふぅーと、一息ついてからセリナを見て問う。
「まずどこから整理しましょう?」
セリナはゆっくり口を開く。
「そうね。私はこの報告書を見て、伯爵はグレーだと思ったわ。確かに、何か後ろ暗いことはありそうね。でもそれは心象であって、確証はない。」
セリナの冷たい視線がカイを射抜く。
「まずは何を根拠にしているのか。知りたいわ。」
カイは首を摩りながら、静かに俯いた。
「……俺が黒だと言う根拠、ね。うまく説明できるか、分かりません。頭の中で整理しきれてない。今にも吐きそうだ。」
セリナは優しい声音で語りかける。
「それでいいわ。全部聞くから、話して。」
カイは静かに、たまに言葉を詰まらせながら語る。
「俺は教会本部に送る、報告書の記載を任されていました。……ただ、それは牧師たちにとって、都合の悪い部分を隠蔽したものでした。その都合の悪い部分というのが、孤児の売買です。それに気づいて……いや、違うか。牧師は俺を引き込むために、わざと管理させたようでした。だからジャンという孤児の売買も、その後どうなるのか俺は知っていて、黙って見送ったんです。」
カイは顔をあげ宙をみる。
「それが俺の最初の罪。……ナナとリリを使って、その教会の裏帳簿を盗み出しました。恐ろしさに目を背けて、幼い俺は取引相手についてしっかり確認しなかったから。夜会で伯爵に声をかけられたあの日、後悔しました。だから盗んだ。……この報告書、目を通しましたよね?」
カイがセリナを見やる。
「ええ。全て目を通したわ。」
カイはセリナの目を見つめ続きを話す。
「ジャンが引き取られた時期、教会には大きな寄付金や寄贈がされています。その寄付者はある商会でした。」
セリナは一拍置いて「オブスキュラ商会?」と答えた。
待っていた答えだったのだろう。カイは続ける。
「ナナとリリが、オブスキュラ商会を突き止めました。郊外にある木造の家が、商会の建物だそうです。中に忍び込むと、棺が並んでて……裏の庭には掘った形跡も。ひどい匂いがして、しきりに蝿も飛んでいたそうです。さすがに、掘り返しはしなかったそうですが。」
セリナは片手で口を押さえた。
「ナナ。ひどく怒っていたでしょう?あんなもの見たら、察するものです。でもその後も、一縷の希望に縋って、衛兵や近くの一般人にも話を聞いてまわったそうです。」
セリナは震える手で、ティーカップを机に置いた。
「あの商会は、定期的に棺を仕入れて保管している倉庫だそうです。実際は商会として、運営されてない。ただ数ヶ月おきに、黒い羽根の模様のある馬車を走らせ、忙しなく動く時期があるそうです。衛兵からは釘を刺されたそうです。領主様よりあの商会が絡んだ案件は、どんなものでも見なかったことにしろと命を受けている。……命が惜しいなら、あまり詮索しないことだって。」
セリナは目を逸らした。
「……伯爵家の紋は、3枚の羽が描かれているのですね。これだけなら、見過ごしていたかも知れません。ただこの黒い封蝋。伯爵が出資している謎の商会の実態。」
カイはため息をこぼす。
「俺が居た教会の孤児は、せいぜい8人やそこらしか面倒を見れません。俺が知ってる売買の間隔と、オブスキュラ商会の動きの間隔は合わないのが気になってました。でもこの報告書で見る限り、伯爵の動きと商会の動きは連動してます。」
カイは続きを躊躇いながら搾り出す。
「……つまり。……合わないんだ。あそこだけじゃ、足りない。」
最後は消え入るような声だった。
カイはセリナを見つめる。
「お嬢様。続けます?もう既にエドガー・クロウ……奴は真っ黒だ。」
セリナは両手を握りしめながら呟く。
「……そうね。もう結構よ。」
暫く重い空気が流れた。
この後の一言がなかなか出てこない。長い沈黙の後、セリナは苦々しく口を開いた。
「黒曜くん。……ごめんなさい。私は、ローズちゃんを守れないわ。」
カイは首を強く押さえながら「なぜ?」と返す。
「男爵家なのよ?伯爵家になんて、勝ち目がないわ。」
カイは唇を震わせる。
「だから、お貴族様は嫌いなんだ。」
セリナはスーと息を吸った。
「でも。助けられないわけではないわ。正攻法でなければいいのよ!」
その声は力強く部屋に響いた。
先程までの弱々しい令嬢が嘘のように。でもその姿はいつものセリナらしい。
「……どうやって?方法は?」カイはセリナを睨む。
「それを今から説明するわ。ただし、この計画は私たちだけでは、決して成功しないわ。」
セリナはまっすぐカイを見つめる。その目は力強く。
セリナは単なる慰めではなく、計画と確信を持って話していることが伝わる。
「黒曜くん。……柘榴くんとローズちゃんにこれ以上、隠しきれないことは分かってるわよね?あなたが真実を語らないと、誰も協力してくれないわ。」
カイの瞳が揺らぐ。
「リクには……言いたくありません。」
セリナは笑う。
「ダメよ。柘榴くんは守護の石だもの。今回は特に、なくてはダメ。」
カイは瞼を閉じる。
「……分かりました。」
次の日ミナとリクは、商談部屋に招かれていた。
中に入るとセリナが長椅子に腰掛け足を組んでいた。
カイはセリナに紅茶を入れ、窓際に立つ。
セリナは「さあ、座って。」と向かいの長椅子に座るよう促した。
リクとミナは黙って腰掛け腕を組む。
ミナはひどく緊張しているようだ。
暫くするとコン、コンとノックがする。
「どうぞ。」というセリナの声にリリが入る。
リリは落ち着きがない。
「……セリナ様。ごめんなさい。ナナが、その。」
言い淀みながら続ける。
「心配で。そのすぐにでも、傍に戻ってあげたくて……明日から二人分仕事頑張ります。だから今は……」
セリナはにこやかに「ダメよ。」と切り捨てた。
リリは肩を落とす。
「紫ちゃんは少しお休みが必要みたいね。部屋で休んでてもらっていいわ。でも代わりとしてあなたに、お願いしたいことがあるの。それを今から一緒に話すから、勝手に戻ってはダメよ。」
リリはパッと顔を上げる。
「はい。セリナ様。何でも、何でもやります。」声は相変わらず小さいが、やる気が漲っていた。
セリナは、ミナとリクに向き直る。
「まずはローズちゃんに、自分の現状を説明しないとね。」
ミナは「私の現状?」と目をパチクリさせる。
セリナは机の上の書簡をミナに差し出す。
ミナは書簡を受け取り、セリナを見る。セリナは穏やかに微笑む。
書簡の中の便箋に手をかけ、止めた。なぜか嫌な予感がした。ミナはカイを見る。カイは真剣な目で見つめていた。次にリクを見る。リクは中身が気になって、仕方がないようだ。
ミナはゆっくり便箋を取り出し広げた。
片目をうっすら開けて文字を追う。横からリクが内容を確認する。暫く読むと二人は首を傾げた。
セリナはその様子を見て笑う。
「うふふ。貴族の遠回しな表現は、二人には難しいわよね。」
セリナの視線がカイに移る。
「その点、黒曜くんはやっぱり異常だわ。すぐ理解したんだもの。」
カイは目を逸らす。
セリナはミナを見る。
「つまりね。それはローズちゃんを、愛人として欲しいって申し出なの。貧民出のあなたが、正妻のいない伯爵家に迎えられる。これほどの幸運はないわ。」
リクの目が釣り上がる。
ミナは戸惑いを隠せない。
「伯爵って。……なんで、私?」
セリナは「あの夜会よ。そこで見染めたと記されてるわ。」と笑う。
ミナは大きな目を潤ませる。
震え声で「お断りします。」と答えた。
「あら、伯爵の申し出をあなたが断れる筈ないでしょう?」セリナは無情に告げる。
その言葉にリクがミナの腕を掴み、乱暴に立ち上がる。
「世話になった。」とセリナに告げて、扉に向かって足早に歩く。ミナはその手に引かれるままついていく。
二人の行く手を阻むように、リリが両手を広げ立つ。
「退け。リリ。」リクの声は低い。
リリはその声に肩を震わせながらも立ちはだかる。
初めてカイが口を開いた。
「……リク。落ち着け。話は最後まで聞け。」
リクは振り返りカイを睨む。
重い空気が漂う。
「ローズちゃんには、召し上げられてもらわないと困るわ。相手は伯爵家よ。私は逆らえないもの。」
セリナの言葉に、リクが歯を食いしばる。
「それで本題はここからよ。」
リクの眉がピクリと反応する。
「ローズちゃんを逃すわ。ここに居る私たちの手で。」
リクは間の抜けた顔をしてセリナを見る。
「……にっ逃す?」
リクは顔を軽く振る。自分の耳に届いた言葉を信じられない。
「待て。良いのか?相手はすごい貴族なんだろ?」
「だから最後まで聞けと言ったろ。座れ。」カイは静かに命令する。
リクは訝しみながら、ミナの肩を抱き椅子に再び腰掛けた。ミナはその潤んだ目でキョロキョロ皆の顔を見回しながら、両手で口を抑えている。今の状況がまだ飲み込めていないのだ。
二人が席に戻るのを確認してセリナが口を開く。
「初めは賛成だったんだけど、黒曜くんの話を聞いてしまったらね。……ローズちゃんを逃がさない訳にはいかないわ。」と言ってカイを見つめる。
皆の視線がカイに集まる。
カイは首を触る。
「……伯爵には悪癖がある。だから、ミナをやる訳にはいかない。」
カイの言葉にミナは困惑する。
「悪癖?何それ?そもそも、何でカイがそんなこと知ってるの?」
カイは黙り、リクを一瞬見て俯く。
その一瞬の視線に、リクは眉間に皺を寄せる。
「……女、子供を甚振って最後は殺すんだ。」
ミナがヒュッと息を呑んだ。
「…………ねぇなんで?何で、そんなこと知ってるの?」ミナの声が上擦る。
リクが静かに立ち上がった。ゆっくりカイに向かって歩く。寄る辺を失ったミナは、慌ててリクに手を伸ばす。でも届かない。大粒の涙が溢れる。
リクがカイの襟首を掴む。
「……カイ。俺はお前に聞いたな?」
カイは黙ったまま動かない。
「どんなところに引き取られたんだ?」
それはあの日の質問。
「ジャンはすごく運がいい。あいつは幸せだ。」リクの言葉にカイが唇を噛み締めた。
「お前が言ったんだ。……カイ。本当のことを言え。ジャンはどうなった?」
リクの手に力が入る。
「何であの日、俺を連れて逃げた?……嘘はもう沢山だ!」
カイの目は宙を見ている。そして搾り出すように「それが最善だった。」と口にした。
瞬く間にリクの拳がカイの顔に入る。カイはよろめき、壁にもたれかかる。
セリナが小さく悲鳴を上げて、カイに駆け寄る。
リクは「……頭、冷やしてくる。」と言って踵を返した。
視線の先のミナは声を殺して泣いていた。
それでもリクは部屋の扉に向かって進む。
行く手でリリが呆然と「どうしよう?どうしよう……ナナになんて言おう?」と自問しながら、へたり込んでいた。
リクは振り返ることなく部屋を出た。
リクは屋敷の井戸で桶に水を汲んでいた。その桶を両手で持ち上げ、屈みながらその頭にかけた。
頭に冷たい水が、重みを持って降り注ぐ。空になった桶を井戸の脇に置いて、頭を上げた。
その銅色の髪から水が滴り落ちる。
チッと大きく舌打ちをしたリクは、自分の顔を自分で殴った。大きく振りかぶった拳に、リクはよろめいた。それは先程カイを殴った時より力強かった。
頬が鈍く痛む。
「……守った気でいた。でもほんとに守られていたのは、俺か。」
ふっと息を漏らし腹を抱えてリクは笑った。
一頻り笑って「はぁー、滑稽だな。」と呟いた。
リクは自分の拳を見つめた。
髪を流れ落ちる雫の音が、やけに大きく聞こえた。
戻ってきたリクの姿に、カイは固まった。濡れた髪のリクは、頬を真っ赤に腫らしていた。それはカイと同じ様だ。
「頭を冷やすと言って、水を被る奴はいないぞ?……それにそれ、自分で?」と問いながらカイは頬を指差す。
「……手取り早く冷えた。合理的だろう。」
その言葉にカイは顔を顰める。お前馬鹿だろって顔だ。
リクは気にせず自分の頬を摩り「あとコレは気にすんな。俺のケジメだ。」と言い切った。
我慢できずカイが呟く。
「お前幾つになっても……まあ良い。」
リクはカイの真正面に立つ。
「ミナを本当に逃がせるのか?」
その目は真剣だ。
カイはその目をしっかり見返す。
「それは俺たち次第だ。……失敗すれば全てが終わる。」
そう言ってカイはリリを見た。
リリは未だにへたり込んでいた。
「リリ。この際、お前にはハッキリ言うぞ。……ジャンは死んだ。」
リリが顔を上げる。
「……困るの。リリはジャンが生きてないと、困る。だってナナが、リリのナナが、泣いちゃう。」
その声は震えていた。
「そうか。じゃあ死人を、追いかけさせ続けるか?」カイは語気を強めた。
「だってナナはジャンが!」
その先を遮るようにカイが口を開く。「だから何だ。ナナにはお前が居るだろう?」
リリの息が一瞬止まる。
「いつまで死人に任せるつもりだ。ナナが大事なら、お前が支えろ。」その声は低く、リリの心にストンと落ちた。
リリは黙ってゆっくりと立ち上がった。
「……これ以上、伯爵の好きにさせない。頼む。協力してくれ。」カイは頭を下げた。
それを見たリクが一緒に頭を下げる。
頭を下げる二人の背をミナは見つめていた。
リリは二人の頭を見下ろしながら「良いよ。ナナの代わりにリリが、伯爵の鼻を明かしてやるの。」と大きく頷いた。
ここまで見守っていたセリナが一歩前に出た。
「さあ、作戦会議といきましょう?」




