茶番劇の裏で、商人は笑う
セリナは自室で執務をこなしていた。
でもそこにいつものキレはない。羽ペンを下ろした。
窓の外をただぼーっと眺めた。
セリナが正式に代を継げば、ルミエール男爵家六代目となる。
そう。セリナの家は、貴族家としての歴史が浅いのだ。
初代が類稀なる奇才によって、莫大な富を築き貴族籍を買ったのがルミエール男爵家の始まりだ。二代目はその商才を持ってしてその地盤を固めてみせた。
三代目、四代目、そして今の五代目も、その偉業を超えようと躍起になったが――皆、凡人だった。地盤を固めたというのに三代かけてやっと、王都に本店を構えたところだ。
――後継者になるのであれば、自分が売るものがどんなふうに商品となるのか実際に経験しなければならない。――
今の当主である父がそう言って、セリナが幼い頃はよくあの鉱山に連れ出した。
セリナは瞼を閉じた。
鉱山の上。
父が豪快に笑う。
「セリナ!お前は天才だ!三代目も、四代目も、そして俺も!凡人だ。でもお前は違う。」
父は笑顔でセリナを指差す。
「だが、お前はダメだ!」
セリナは人差し指で唇をなぞる。
「なぜ?天才なんでしょう?何がダメなの、お父様。」
「お前は人に興味がない。なさすぎる!」
セリナはキョトンとする。
「商売人は相手が何に興味・関心があるかを判断して、相手の欲しいモノを売る。それが基本の商売だ。なのにお前ときたら……未だに乳母の名前すらうろ覚えだろう。」
父は笑顔のままだが、残念そうにため息をつく。
「人の名前すら覚えられないお前が、商売人になれるわけがない。宝石のことなら完璧に覚えるんだがな。……ん?」
父はハッとして、手のひらの上に握り拳をポンと乗せた。
「磨く前の鉱石だと思って、人を見てみたらいい!」
セリナの両肩を掴む。
「お前はこれから出会う人間を、磨く前の鉱石だと思って見てみろ。石にはそれぞれ意味があって、磨き方もある。一緒だ!そいつはどんな性格か、何が欲しいのか。考えて見てみろ。」
セリナは首を動かし鉱夫たちを見る。
「そうやってまずはお前自身が、人に興味を持て。」
セリナは父の顔を見た。
「俺たちは凡人だ。亀のような歩みでやっと王都にまで来た。でもお前は頭がいい。きっとルミエールはお前の代で飛躍的に発展する。そのために、お前はもっと人を見なさい。」
セリナは瞼を開く。
――父に言われた通りここまで来た。
人を鉱石に分類する。父の考えは見事に、セリナの物の見方を変えてみせた。人を分類することで、人に売ることも、人を使うことも容易にこなした。
ただ婚期はどんどん遠ざかった。
女の身で商売をすることを忌避する貴族は多い。セリナも気づけば二十歳となる。
十六で既に婚約が交わされるのが普通な貴族社会。家の都合によっては十二で嫁ぐこともある世の中だ。
婚約も未だないセリナは、それだけで社交界から爪弾きにあっても仕方ない。
だからこそ後継になることが叶わない状況にある貴族家の未婚男性から、婿となる相手を探して見合いをさせられたこともあった。
だがセリナの目に叶う者はいなかった。
見合い相手も本質を見抜くように、ズケズケと話すセリナを受け入れる訳がなかった。
"みーちゃん"
カイがミナをそう呼んだ時の優しい声音を思い出した。
セリナはそれが少しばかり気に障った。
もともとはその見目の良さに興味を持った。それだけだったはずなのに。どんな環境で育ったのか。カイと過ごせば過ごすほどに、その一挙手一投足が気になって仕方がなかった。
でもミナが傍にいる限り、カイは決してコチラを向かない。
セリナは机の上に右手を置いた。そして爪を立てる。ギーと鈍い音が小さく鳴った。
だからまず、ミナを一人で立たせる必要がある。
――あの子には、まずは自信を与えないと。いつまでもその背にしがみつかれたら……黒曜くんが、私を見てくれないもの。困るわ。
ずっとリクとカイに守られてたミナは、それが当たり前で、自分で何かを決めてやり遂げる経験が乏しい。
「ローズクォーツには無条件の愛、慈愛、心の癒しという意味がある。」
――きっと黒曜くん。柘榴くんの心の癒しとなっているのね?だから2人は無条件に愛するの。
セリナは机に爪を立てたまま、今度は一定のリズムで叩く。
夜会を乗り越えて、自信をつけたミナが一人で立つ最初の一歩となればいいと考えていた。
――ローズちゃん自身もやる気はあった。
ドレスや装飾品に身を包んだ時は、子どものように喜びを垣間見せた。その後夜会では、ちゃんと商品の宣伝のためしっかり役をこなしたのだ。
あの夜会は実質四回目の催しだ。
ルミエール商会は父である男爵が運営する本店を王都に構えている。希少な宝石を採掘したお祝いと、お披露目のための催しだ。
本店と王都の屋敷で一度ずつ。
三度目は初代が商会を立ち上げた地で行われた。
四度目は私の屋敷のあるこの地が最後。
既に三度も盛大に祝ったあとだ。最後の夜会は、規模は小さくごく一部の顧客を招いてのもの。
問題はないはずだった。
なのに帰りの馬車からカイの様子はおかしかった。
それを見ていられなくて背中から抱きしめた。
――あれは失敗。
カイがそれで慰められる性格ではないと知っていた。
それでもセリナは動いていた。
カイの言葉を思い出す。
――俺なんていくらでも、切り売りできる。……でも、心はやらない。死んでも、やらない。――
――もっと、嫌われたかしら?
――俺を傍に置きたいなら金を出せ。
俺の関心が欲しけりゃ金を出せ。商人だろ?――
――そうよね。私は宝石商よ。
欲しいものは金で手に入れる。そう。そうあるべきよね。
ふとバルコニーで二人でダンスを踊った日のことを思い出した。月明かりに照らされたカイの黒い髪や茶色い瞳。セリナは――綺麗と、心から思った。
そのあと不意に見せた繕わない笑顔は胸を締め付けた。
――欲しい。黒曜くん、あなたが欲しい。体も心も全部。
「死んでも、やらない?……うふふ。あなた、ほんとに手強いわ。困った人。」
セリナは静かに微笑んだ。
そこにノックが響く。
セリナは部屋の扉を見ながら「どうぞ。」と促した。
扉から入ってきたのはカイだった。
まさか自分からやってくると思っていなかったセリナは、驚きつつもその顔を綻ばせた。
「あら、黒曜くん。どうしたのかしら?」
「……お代を。」
――ん?お代?
セリナは意味が分からず、目を白黒させる。
「俺たちを買ったでしょう。お代を請求しても?」
カイは表情を変えない。
セリナはふっと吹き出す。
「貧民のあなた達を、破格の条件で雇用してあげたでしょう?なのにお代を要求するなんて。ふふふ。」
セリナは口元を隠しながら「もう。可愛いんだから。」と笑う。
カイは動じることなく「申し訳ない。貧民出は欲張りなもので。……これじゃ足りない。」と言って近寄る。
セリナを見下ろすように机の前に立った。
「何が欲しいの?」
セリナは微笑む。
カイは首をさする。
「お嬢様。ダメもとで聞きますが、仕掛けのある宝石ってあります?その性質を持ったままの偽物があれば尚、良いんだけど。」
カイの瞳が陰る。
「……アレキサンドライト。アレなら精巧なイミテーションの在庫があるわ。それも光によって色が変わるのよ。不思議でしょう?」
セリナは人差し指で唇を軽くなぞる。
「欲しい?」
「ええ。それと……子供が喜ぶお菓子を、袋一杯に。あと目立たない帽子を。」
セリナは目を見開く。
「何をしようとしてるの?」
カイは窓の外を見て呟く。
「……あの始まりの場所で、確認しないといけないことがあるので。ついでに、罰当たりどもに、嫌がらせを。」
カイの言っていることをセリナは理解できなかった。
「ふーん。危ない事はしないでね。」
セリナはカイを見つめる。
カイはその目を見つめ返して「商会にご迷惑はかけません。」と言う。
――そういうことじゃないわ……。
セリナはその言葉を飲み込んで「良いわ。他はすぐにでも用意できるけど、イミテーションは取り寄せないと。黒曜くん、数日待ってほしいわ。」
「分かりました。」
カイは踵を返し扉の取手を握る。
「それとお嬢様、ナナとリリも借ります。ご容赦を。」と言って出て行った。
扉が閉まり、静まり返った部屋の中。
「……何をするつもりかしら。」
セリナはため息をこぼした。
要求された品を鞄に入れて渡すとすぐ、カイはナナとリリを伴って屋敷を出た。
「どこまで行くの?馬車を使っても良いのよ。」
セリナの言葉にカイは「ルミエールの紋がある馬車は使えません。」と返した。
「どこかで適当な馬車を借りるのでご心配なく。」
その声は低い。仕方なくセリナは黙って見送った。
セリナは自室の椅子に腰掛け、紅茶を啜る。
「あれはローズちゃんを磨く工程だったのに。」
寂しそうな目をしてぼやく。
「このまま壊れたら、嫌よ。私のオブシディアン。」
机の上のベルを手に取り鳴らした。
机に戻すとコン、コンとノックがする。
「入りなさい。」
静かに侍女が入ってきた。
「この前参加したお父様の夜会。ほんとごく一部なんだけど、私が取引したことのない貴族が居たわ。リストアップして。」
「はっ。」侍女は礼をとって足早に出ていく。
セリナは再びティーカップを持ち、口をつけた。
カイは出会った頃からどこか歪んでいた。普通貴族と知った時の平民ましてや貧民は、逃げ腰で相手を刺激しないようにとビクビクするものだ。カイにはそれがなかった。
――貴族といっても下級の男爵家だからかしらと、気にも留めなかったのだけど。
商談やお茶会に連れていくと、その見目で貴族達がカイを囃し立てた。でもカイは動じることがなかった。なのにあの夜会のあと、怯えるように張り詰めた顔をするカイ。
――"まとめて私が買ってあげる"とはじめて提案した時も、真っ青だったわね。あの教会で買われかけたのかしら?それも、上級の貴族に……だから逃げた?
セリナは黙って紅茶を啜る。
全ては可能性の域を出ない。
コン、コン。再びノックが鳴る。
セリナは机にティーカップを置いて「どうぞ。」と促す。
先程の侍女が羊皮紙を持って入ってきた。
スッとセリナに「リストです。」と言って差し出す。
それを受け取ると侍女はサッと壁際に下がった。
セリナはリストを見る。パッとしない家紋が並ぶ中、その視線がある名前に釘付けとなる。
「……エドガー・クロウ。」
侍女を一瞥する。
「あの夜会にクロウ伯爵が参加してたなんて、驚きだわ。……クロウ伯爵って確か、この辺りに別荘地があったんじゃないかしら?」
侍女は「そのはずです。調べましょうか?」と提案する。
セリナは人差し指で軽く唇を叩いた。
「ええ。後ろ暗いものがないか調べて欲しいわ。」
指が止まった。
――黒曜くん、ごめんなさいね?あなたの闇がどこから来るのか……私はこの目で見てみたい。
セリナは唇を歪ませた。
その頃カイ達は全てを終えて、屋敷の前に戻っていた。
ナナは待ちきれない様子で「ねぇ!早く教えなさいよ!」とカイに催促する。
カイは黙ったまま裏帳簿を捲る。
「……無理だ。」
その言葉にナナは「はああ?」と怒りを露わにした。
「このままだと、分からない。」
カイは平然と言う。
「ここまで手助けしてやったのに!分からないですって!?ふざけんじゃないわよ!」
リリはナナの腕にしがみつく。
「……待って、ナナ。」
「離して!リリ!こっちはやっと、ジャンに会えると思って!なのに!」
ジャンと聞いてカイの足が止まる。
「……だから協力したのか?なんで、ジャンに会いたい?」
カイはナナを見る。
ナナは鋭い目つきで「ナナはジャンを愛してるの。」と答えた。
カイの視線が揺れ動く。
「昔から……お前は嫌いよ!」
「ああ、それは知ってる。でも、そうか。……ジャンを。」
カイは顔を逸らし、宙を見ながら「聞きたくなかったな。」と呟いた。
ナナは苛立ちながら、「そもそも裏帳簿を見れば分かるって言ったのはあんたでしょ!?どういうことよ?」と問い詰める。
カイは裏帳簿のとあるページが見えるように掲げた。
「コイツだ。コイツだけ隠してない。」
ナナはそれを乱暴に剥ぎ取る。
そこには大きな寄付金と高級ワインなどの寄贈品が並ぶ。寄付者の欄はオブスキュラ商と記載されている。
「……オブス、キュラ?こんな商会聞いたことないわよ?」
カイを見た。カイはなおも宙を見ていた。
「仲介だろう。でっち上げの商会名だからそのまま記載してる。他の寄付者は明らかな偽名や印なのに、これだけ商会名で通してる。周期的であって、時期を踏まえても間違いない。」
ナナは裏帳簿を捲る。確かに他の寄付者の欄はカイが言うとおりだ。
「どうするの?どうするのよ。」ナナは立ち尽くした。
リリは心配そうに「ナナ。」と呟きその顔を見て固まった。
怒りに歪むその顔でナナは叫ぶ。
「このままじゃ……ジャンに会えないじゃない!」
カイは片手で顔を覆う。
「……商会名や寄贈品は確かな手掛かりだ。そこから洗えば何かしら出る。」
ナナの怒りが少しずつ落ち着いていく。
ナナとリリは諜報員として、仕込まれている。自分たちならそのくらい軽く炙り出せる。
ナナは垣間見える希望に笑う。
「キャハハッ!そうね!ここから調べたら良いんだわ!待ってて!ジャン!」
ナナに向かってカイが呟く。
「……いや、お前はこれ以上。知らない方がいい。」
ナナにカイの声は届かない。リリはカイの言葉を理解できず見つめた。
「仕方ない。……これが今までのツケか。」




