麗しの月光花
夜会にミナを連れていくことにカイは反対だった。
ミナが部屋から出た後、セリナにキッパリ申し出た。ミナは基本の礼儀作法も中途半端だ。
夜会で見せ物にしたいなら、他にいくらでも使える人間が居るはずだと再提案する。
そんなミナを連れて行っても困るのはセリナだ。
言ってることに矛盾はない。代替案も出てる。
でもセリナは「いいえ。ローズちゃんにするって決めたの。」と頑なだ。
「あなた達の買い主は、だあれ?」
カイは眉間に皺を寄せる。
「お嬢様です。」と答える他ない。カイは足早に部屋を出た。
部屋を出てすぐ侍女達の視線を感じたが、気にせずその場を離れた。
夕食を終え、セリナは寝る支度をしていることだろう。
カイはあれからなるべく、セリナの前に顔を出さないようにしていた。
細やかな抵抗だ。
意味はない。分かっている。
空には月が登り始める。そろそろ宿舎に戻ろうか。
カイは首を掻く。
リクとはこの頃ギクシャクしている。
これを機に少し距離を置けると、お互い落ち着けたかもしれないが。セリナが用意した部屋は二人部屋だ。
カイは小さくため息をついた。
――あっちも。こっちも。上手くいかないな。
その時視界に黒い物が入ってきた。
「リリ?」カイの手が止まった。
音もなく目の前に立つリリはどこか不気味だ。
――この距離でも表情が見えない。
相変わらずの重い前髪にカイは目を細めた。
「どうした?」
リリは両手を合わせモジモジする。
「えっと。えっと。……セリナ様呼んでる。」
いつも通り小さな声だ。
「そうか。夜も遅い。ご遠慮しよう。」カイの声は冷ややかだ。
リリは焦りながら「でも。セリナ様、待ってる。」と言う。
「……こんな時間だ。男の俺を呼んでも外聞が悪いだけだぞ?良いのか?リリ。大好きなセリナ様だろ?」
カイはわざと意地悪に言う。
「……でも呼んでる。リリ。セリナ様の意思。従う。」
――コイツも頑なだな。なんなんだ。ほんと。
カイは大きく息を吐いて「分かった。今行く。」と告げ歩き出した。
セリナの部屋の扉をノックした。
「どうぞ。」
その声を確認して扉を開けすぐに、カイは動きを止めた。
セリナはネグリジェ姿だ。
深い赤の生地は締め付けてないのに、体のラインを美しく見せた。胸元は少し開いていて、カイは顔を背けた。
「何の御用でしょう?」
カイはその場で確認する。
セリナは人差し指で唇を押さえながら目を見開く。
「何で入らないのかしら?」
――入るわけないだろ。なんなんだ。このお嬢様は。
「用がないなら、これで。」カイは逃げるように扉を閉めようとする。
「待って。」
カイがゆっくりセリナを見る。
セリナが手招きする。
それでも動かないカイに痺れを切らしたようだ。
「黒曜くん?私を無下にしないわよね?」
声は柔らかいのに圧がある。
カイは黙って従うことにした。
セリナに近寄ると、すぐその手に掴まれた。少し驚いたが、その手を拒まず引かれるままについていく。中庭が見渡せるバルコニーに出た。
「うふふ。この部屋のバルコニーはお気に入りなの。」
セリナは機嫌が良い。
セリナは軽く裾を持ち上げてステップを踏んで見せる。
訳も分からずカイは黙って見ていた。
「真似してみて?」
セリナに従うほかない。ぎこちなくセリナのステップどおりに足を動かす。
「上手よ。」セリナは嬉しそうに笑う。
暫く続けるとセリナが「はい。」と言って両手を広げ立って見せた。
カイは「は?」と言って一歩下がる。
「右手を腰に回して。」
「嫌です。」即答だった。
セリナは少しムッとして「早く。」と言う。
カイは仕方なくその腰に手を回した。
「次は左手を重ねて。」
セリナがその手を差し出した。
カイはゆっくりその手を重ねる。
両手に感じる確かな温もりにカイは戸惑った。
「さっきと同じように、足を動かしてみて?」
セリナの動きに合わせてカイが動く。
さすがは貴族。ぎこちなかったカイも、セリナがうまくリードするため形になっていた。
呼吸が近い。
月明かりに照らされて、セリナの髪が光り舞う。花弁が舞うように。
――綺麗だ。
その言葉を払うように、カイはようやく口を開いた。
「昼間の件。ご再考を。」
セリナは鼻歌交じりに「嫌よ。」と答えた。
不満気なカイにセリナが続けた。
「ローズちゃん。いつまで二人で大事に守るつもり?」
セリナの言葉にカイは黙った。
「二人に守られて、幸せでしょうね。でも彼女。このままだと成長しないわよ。」
セリナがくるりと舞う。咄嗟の動きに戸惑うが、カイは合わせる。
「言ったでしょう。そのままだとただの石なの。磨いてこそ価値が出るわ。それに女の子なのよ?ドレスや宝石に、興味があっても不思議じゃないわ。」
カイの指が僅かに反応した。
「あなた達にそれは、用意してあげられないでしょう?だから、貴族の令嬢ごっことして楽しめば良いのよ。」
セリナは微笑む。
「ローズちゃん。ずっと気を遣って可哀想じゃない。息抜きさせるつもりで受け入れなさい。」
すかさずカイが口を開いた。
「夜会である必要ありますか?」
セリナは少し瞬きをして「確かに。そうね。」と肯定した。
「でも商品の喧伝が目的なのよ。ローズちゃんに必要がなくても、私には必要あるわ。」
ふっと吹きだす。
「あなたのそういうところ、ほんと可愛いわ。」と笑うセリナに少し目を細めた。
その時カイの足が、セリナの足を踏んだ。
「あっ……」
ハッとしてカイの手に力が入った。
「すみません。足は?痛みますか?」
カイの焦る姿は初めてだ。
セリナはわざと「痛いわ。」とぼやいた。
カイの目が泳ぐ。
その困り顔にセリナは「冗談よ。」と口に手を当てる。
今にも笑い出しそうだ。
その姿にカイもふっと息を吐いた。
つられるように、口元が緩みだす。
二人は静かに笑った。
――なんで笑ってるんだろう?
その心とは裏腹に瞳が弧を描く。
それは初めて見せるカイの素だった。
その顔を見て、セリナの頬が僅かに赤らんだように見えた。
セリナから視線を逸らすように月を見上げる。
――もうどうとでも、なれば良い。
カイは悟った。
リクも。ミナも。ナナも。リリも。
そして目の前のセリナも。
皆カイの想像の斜め上をいく。なんとかしようと思うのが、無理な話なのだ。
カイは諦めてセリナを見る。
その翠の瞳に惹き込まれる。
――やっぱり綺麗。
艶のある薄紅色の髪も、宝石のような翠の瞳も。月明かりに照らされて美しい。月さえも、この女のためにあるようだ。
――なんでも持っている女。それでも、まだ欲しがる。
なんか腹が立つ。腹が立つから。
コイツのモノにだけは、なってやらない。
その瞳を見つめながら、心の中で決意した。
夜会の会場の煌びやかな照明にカイは顔を顰めた。
色とりどりのドレスを纏い、宝飾品で着飾る貴族たちで華やいでいる。
カイはトレイに乗せたシャンパングラスを片手に立っていた。
――こういう場は苦手だ。
貴族たちはカイが通ると、その姿を値踏みしながらグラスを手に取った。
遠目にミナを見た。
屋敷でミナは初めてのドレスや宝飾品に喜んでいた。だが今はその顔が曇っている。
――見せ物になるのは、はじめてだもんな。
カイは目を細め見ていた。
今日のミナは美しかった。それは路地裏で育った小汚い孤児とは無縁な姿だ。でもその頭の大きなリボンが見せ物なのだと知らしめていた。
絹のように繊細な金の髪。
空を移したような瞳。
これだけ着飾った貴族がひしめき合っているのに、ミナはそこに居るだけで目立っていた。
――やっぱり、買われて正解だった。
三人での路地裏生活。正直に限界を感じていた。
幼い頃ならまだしも、少しずつ背が伸び女らしく育っていくミナ。カイもその見目でよく危ない目に遭った。
だがミナはその比じゃない。
あの目立つ髪と目だ。当然の結果だろう。
ずっとミナを守ってきた。
カイは会場を練り歩いた。
ふとミナを連れてきた日の、不服そうなリクの顔を思い出した。
――あいつ、結局根が優しいんだよな。
いつの頃からか。
リクは文句を言いながら、ミナをよく見て何かあれば前に出て守った。
遅かれ早かれそうなるとは思ったが、ミナのリボンを選んだ時は驚いたものだ。
似合いもしないリボンにその目を輝かせて、ママのリボンだって喜ぶ姿は痛ましかった。
別のリボンを選ばせないとと思った時には、リクが真っ先に動いていた。
――頭より先に動く。ほんと野生児。
カイはふっと笑った。
――気づいてないだろうな。
ミナは昔から子供らしい子供だった。
素直な物言いや行動にいつも二人は面食らった。
だがそれが良かったのだろう。ミナが少しでも着飾ると、目を背けるリクの耳はいつも少し赤かった。
――お前。ミナが好きだろ?
聞いてみようかと思ったこともある。でもカイは言わなかった。
言った途端にこの関係が壊れそうだからだ。
自分都合で動く狡い人間である自覚がカイにはあった。
自覚はあるがそれを直そうと思ったことはない。
カイがふと足を止めた。
目の前に貴族が立ち塞がっている。
カイは無言で軽く頭を下げて、グラスが取れるようにトレイを差し出した。
貴族は動かない。
カイは不思議に思って、顔をあげ固まった。
どこからともなく「コイツだ。」ジャンの声が聞こえた気がした。
――頼むから、黙ってろ。
ジャンの姿や声の幻を見聞きするのは、今に始まったことではなかった。
カイは表情に出さず、目の前の貴族を見た。
見るからに身分が高そうだ。生地や宝飾品の質が高いが、下品でなくどこか品がある。
だがその目つきは品がなかった。
カイを頭のてっぺんから爪先まで舐めるように見る。
セリナはいつも熱の籠った目で見てくるが、この貴族の目はそれとも違っていた。
カイはその場を離れようと足を半歩横へ運ぶ。
それに気づいたのか貴族が口を開いた。
「惜しい。」
カイは足を止めた。
「お前。男爵の侍従ではないだろう。」
貴族はカイの反応を見るように視線を逸らさない。
「娘の。セリナ嬢の方の侍従だな。」
カイは表情を変えない。
何を答えようか、まずは否定してみようか。口を開きかけると、貴族は舌をチッチッと二回鳴らしながら人差し指を左右に振った。
「侍従風情が喋らなくて良い。」
カイが開きかけた口を閉じると貴族は指を下ろした。
「本当に残念でならない。"女"であったなら合格点だったのだがな。」
――合格点、ね。
カイは努めて表情を変えない。
「もう少し幼かったら。その顔だ。悪くもなかったんだがな。」
貴族は顎を摩る。
その視線がカイから逸れた。
カイはゆっくり瞬きをする。
「だが、アレは良い。」
唇を湿らせる貴族の視線の先、セリナとミナが居た。
カイが息を呑む。
――どっちを見てる?
静かに緊張が走った。
「女は幼くても、年頃でも良い。顔が良ければ合格だ。」
動揺を見せてはいけない。カイは空いている手を、背中に回し強く握りしめた。
「アレは満点だ。」
カイに手を伸ばす。貴族はゆっくりグラスを手に取ってみせた。
グラスを掲げる。
「今日は良い催しだった。男爵とセリナ嬢に感謝を。」
そして中のシャンパンを飲み干し、カイの持つトレイの上に戻して去った。
カイは暫く立ち尽くしていた。
貴族の言葉を反芻する。
カイの背に冷たいものが流れた。
――あの時、牧師はなんて言ってた?
ジャンを買った伯爵の趣味を思い出す。
――伯爵の趣味だ。
男は反発するような聞き分けのない子どもを好み、女は年頃でも子どもでも見目のいいのを好むんだ。――
血の気が引いていく。
「……最悪だ。」
カイはか細く呟いた。
屋敷に戻ると中庭で立ち尽くしていた。
頭の中でカチッカチッと何かがはまっていく。
そんなカイの前に、ゆらりと影が揺れた。
前を見ると灰青髪の少年が立っていた。ジャンだ。
その目はカイを睨みつけている。
「……また、見捨てて逃げるのか?」
カイの顔が歪む。
力一杯カイはその手で空を払う。その瞬間、ジャンの体が霧散した。
カイは大きく肩で息をしながら、両手で顔を覆った。
――消えろ。
消えろ。消えろ!……頼むから。もう出てくるな。
その背を不意に抱きしめられる。
カイは驚いて振り払おうとする。
「黒曜くん?」
セリナだった。
いつの間にか、ドレスから着替えを済ませている。
カイが固まる。
「……離してください。」
セリナはその背に顔を擦り付ける。
「いやよ。」
「頼むから、今だけ。今だけ。放ってください。」
懇願するカイを無視して「あなたは私の黒曜石よ?」と言う。
その手に力が入った。
「ぜったい。離さないわ。」
カイは俯く。
「欲しけりゃなんでもやる。」カイの声は低い。
「俺を傍に置きたいなら金を出せ。俺の関心が欲しけりゃ金を出せ。商人だろ?買えば良い。好きなだけ差し出してやる。」
カイの瞳に影が差す。
「俺なんていくらでも、切り売りできる。……でも、心はやらない。」
カイは続ける。
「死んでも、やらない。」
その声が、やけに静かに響いた。




