005 Need not answer
広がる空のカナタに飛び立った
羽持つ人を眺めて
貴方は綺麗に頬笑んだよ
まるで、全てを知っているかのように……
まるで、未来を知っているかのように……
「あら、アスカさん。ピアノを弾かれるのですね~? なら、4階の一角に楽譜や音楽関係の辞書や本がありますよ。それと、2階への階段の途中の踊り場に、ピアノが置いてありますから弾いても構いませんよ。きっと、図書館ですけど~、大丈夫じゃないですかね~。セリィ、ついていってあげてくださいね。迷うと、この図書館は出るのが困難ですから~」
ということで、
「良かったな、アスカ。わ、私は、アキハ殿に図書館を案内していただくっ。本がたくさんあるからって、浮かれて転んではダメだぞっ」
ということである。
「…………」
また端から一冊本を抜き取り、パラッとめくり、閉じて元に戻し、下の方の大きめの楽譜を手にし、まためくる。
それを寡黙に続けているのは、アスカ・キリミヤであって。
その後ろで本棚に寄りかかっているのはセルダム・ウィークリーであって。
本を閉じて溜め息をついたのは前者の方で。
「……ねぇ、ここ移動図書館でしょ? 世界中のどんな書物もあるんでしょ?」
「答える必要もねぇような僻事はいうかいねぇですよ」
「僕が弾いたことのない楽譜がまだ見つからないんだけど」
「ほぅ」
「あー……でもほとんど初見で弾いたやつばっかだから、あんまり深めてないんだよね」
セルダムを半睨みで呟くアスカ。少々不満顔。
「お兄さんさぁ、ちょっと僕の質問に答えてくれない?」
「たゆせたゆせ。文ねーですよ少年」
と、彼は手の上で弄んでいた。
炎を。
紅い紅い深紅の焔。ほのかな光と熱を放ちながらユラユラと揺らぎ、その炎心さえも紅く染まっていた。
いつの間にか、あの丁寧口調も少々変わった喋り方になっていた。
「……お兄さん、魔法使えるの? それとも手品?」
「さぁーてね、艶で貴で優だ。炎に照らされて読む本はやんごとねぇですよ」
「でもさぁ、図書館で焔はダメじゃない?」
「…………かたくなねぇなぁ。少年、これ弾いてくれよ」
そう笑顔で言って、そのページを開いた彼はその楽譜をアスカに突き出す。少々古いものらしく、所々破れていたり折れ曲がっている。そのまんま、保管されるようだ。
「……『アーアイノ・ユティア』? ……何これ何語?」
「知る由もないと」
「ていうかお兄さん喋り方可笑しいね」
「貴方は年上に対しての対応の仕方に気をつけるがよしなに」
「それはどうも。いいよ。久しぶりにピアノ触りたいし。ふーん、……待って、暗譜する――」
と少し笑みを浮かべながら言って、数秒眺め、
「――はい。で、ピアノ何処に置いてあるんだっけ」
と言って、セルダムに楽譜を返した。
「は」
お互い、キョトンとした顔つきになった。アスカが口を切る。
「え、何? 何処にあるか聞いているでしょ」
「よもとは思うが、暗譜って、今の短時間で……?」
「うん」
「…………」
「だから言ったじゃん。何でも見れば弾けるって」
「…………」
「音楽界に至っては当たり前らしいよ。まぁ僕、ソルフェージュ能力よりも、目の方が長けているだけだけど」
「……まじっすか」
「まじだよ」
「…………」
「まぁあんまり深くは入れないと思うけど。あー、いつものピアノ以外で弾くって初めてかもなぁ。何も変わらないと思うけど。じゃあお兄さん、案内よろしく」
びっと右の人差し指を掲げ、アスカは淡々と言った。
「あー……じゃあ、ご案内」
もしかしたら、彼はからかい半分で言ってみたのかもしれない。
いつも館長が、「この曲はどういう曲なんでしょうね」と言っていたから選んだだけで、そして、まさか、移動図書館館長の能力に似たような能力を持つ人間が他にもいたから、いや、きっと館長とは比べものにはならないだろう……。
そう考えながら、彼は階段へと足を伸ばした。
「おぉーっ」
「えへへ~、まだこれくらい、図書館の一角ですよ?」
「いや、私の暮らしていた小国では、こんなにたくさんの本はなかった……感極まるな」
リタとアキハは一回の奥の方の部屋にいた。そこでは、やはり、綺麗に平然と本が配列されており、だが、真っ直ぐだけではなく、螺旋状に、上から上へ、下から下へ、2階へ続く階段の途中の壁も本棚のようになっていて、手乗りサイズから両手を使わなければページがめくれられないくらいの巨大な本まで様々であり、本当に、本に囲まれた場所だった。
そして、中央には噴水があった。館内は窓から、そして天窓からの光で明るく、なんと壁を通り抜けてツタが侵食している場所もあった。
「な、なんか、半植物園状態になっているが」
何となくリタが訪ねると、アキハはにこにこと答える。
「はい。温泉なんかもありますよ~。でも、本に直接危害はありませんでしたし~、隙間風や雨漏りなんかがあるわけでもないですし~……ここの本は、皆私の言うことを聞いてくれますから~」
「……? どういうことだ?」
「あ、え~っと」
んー、と少し考えている素振りをした後、まあいっか、そう言ってアキハは口を開く。
「先程の緑のふちの本に、私の名前刻まれてありませんでした? リタちゃん」
「あ、あぁ。確か、『天』の位置に」
「あぁ、きっとそれは、普通の、と言っては失礼なのですが、きっと、世界のどこかの街のちょっとした遺跡の暗号文が書かれていたのでしょう~? そのように、特にあまり危険のない本には、それくらいの縛りだけで大丈夫なんですよね」
「……名で縛らなくてはならないほどの、本が?」
「はい~。館内5,6階に所在している、特に鎖付き本の魔導書、魔法書なんかは、その1ページ1ページにも魔力を持っているという厄介者でして~。それらには、『天』と『そで』と最後のページの『遊び』に、私の名を深く刻んでいます」
「ここの、全ての本に……?」
「はい」
少し曇った笑顔で答えたアキハに対し、リタは少し辿々しく言った。
「……じゃあ、アキハ殿は……この移動図書館から出たことが、ないのだな……」
少しの間の後。
「……そうですね~。私は元々大魔法使いって訳ではないので、この図書館内が精一杯なんです。私が1歩でも外に出れば、この図書館の魔法が全て解けて、本達が暴走してしまいます~。まぁ、元々本を愛しているので、何の問題もありませんが~」
「…………」
「それに、この図書館はどんどん本が増えていくのですよ~。廃棄図書は絶対私が許しませんからね~。本は別名・先生ですから」
「あぁ、確かに」
「新刊は、セリィが外から購入してきてくれるのです。さすがに、まだまだこの図書館には全ての本があるわけではないですからね~。セリィはもうほぼあると思う、って言っていますが」
「はぁ、これが、まだ……」
どこもかしこも本だらけで、この館長は、ちゃんと場所や不在図書などがわかるのだろうか……いやいや、そんなことを思っては失礼だ。ずっと、この図書館にいるのだ。それくらい、朝飯前だろう。
「ウィークリー殿は、ずっとここの、司書で?」
「いいえ~。セリィは、昔から……の知り合いです。この図書館が移動図書館になる日、飛び立つ日に、自分もついていくって言い出して。彼、気立てが良くて、大いに役立ちます。それによく私のことを気遣ってくれるんです。少し過剰な面もありますが~」
「はは……」
まぁ、確かにあの見えない動きは何なのだろうと考えたが、アキハを見ている限り、どうも彼らは悪い人たちには見えない。とても簡単な考えだが、そういう考えで、良いのだと思う。
「リタさん、魔術加除式資料でもご覧になります~?」
「えっと……世界の歴史が、毎日、正確に消されたり変わったりして、それを拝見できるもの……?」
「はい~。面白いですよ~」
そう言って、すぐそこの広々としたテーブルの下へと向かう。無地のテーブルの上には、相変わらず数百冊の本が積み重ねられているが、その中で、またひときわ大きな本があった。
「えっへっへ~、何か、見ます?」
「そうだな」
リタは少しして、言った。
「南の国の方では、何かあるか? ……タルタリア、とか」
「いいえ~」
「即答?!」
「まぁ、毎日、目ぇ通しちゃいますからね~。他にも、3日前にサウザンダーエル家やホトリ家などの大富豪が突如一夜にして全滅~とか、なんだか興味の惹くものばかりですね。うん、世界は広い~」
「そうか……」
リタは少し顔を曇らせたが、すぐに顔を上げた。
「あ、ピアノの音……アスカさんが弾いているのですかね~? リタちゃん、見に行きましょうよ~。私、滅多にピアニストなんてみれないのです」
ウキウキと、アキハが言う。とても嬉しそうな微笑みで、先程、何故自分は暗くなってしまったのか、忘れそうなほどの。
「は、はい」
「うっわー、やんごとねぇ」
セルダムが、誰が見てもわかるような、驚きの表情をしていた。
「まぁ、ほんとう~」
アキハの頬がさらに紅く染まった。
「楽しそうだな、アスカ……あ」
リタは思わず声をかけてしまった。
何故なら、言葉にならないほどの、綺麗な音で、軽やかな調子で、美しい指使いで、柔らかな表情で……彼のピアノを聞いたことがあるリタでも、愕然と、その音に魅了されていた。
白の手袋で包まれた長い指で、力強く優しい旋律を奏でる。
詞を作ることさえも、できなかったのだから。
とても、楽しいのだろうか。背を向ける彼は、リタの問いに答えることはなかったが、周りに来た他の利用者への震撼を止めなかった。
そして、音色は止まり、アスカが立ち上がり、周りに向かって一礼すると、その移動図書館は一瞬の内に歓声で満たされた。彼に握手を求める者もいれば、感想を言う者もいた。そして、アキハとセルダムもアスカの前へ行く。
「きゃ~、アスカさん、凄かったわ~。ありがとう~」
「館長と図書館を、いみじき旋律で楽しませてくれてありがとさんで候」
セルダムはそれだけ言ったきりだが、さらにアキハは言葉を連ねる。
「さすが、東の国では有名なピアニスト、アスカ・キリミヤですね~」
「え。アスカ、お前そんな凄いやつだったのか?」
「そうなのですよ、リタちゃん。これで、世界の歌姫の歌があったらなんかもう凄いことになりそうですね~」
リタの問いに、少々興奮したアキハが答える。セルダムはそれを笑顔で見ている。
「世界の歌姫?」
「えぇ、世界の歌姫・コトリ。この世に1羽の、白鴉の姫ですよ~。知りませんか~?」
「リタは、有名人には疎いね」
「う……別に良いだろ」
「ね、ね、有名人同士なら、できそうじゃないですか~?」
「あ、あー……」
そんな彼女の提案に、アスカは少し困った顔で、
「そうだね。でも……」
しかしその顔はすぐに満面の笑みになり、
「僕は、リタの歌が1番だから、到底無理だと思うなー」
明るい声で、そう言った。
リタリタ・タリンタタタンの顔は、アキハの頬よりも、紅くなったことも、しっかりセルダムによって頭の中に記憶された。
・
・
・
「あぁ~、今日は楽しかったです~。しっかり本も戻ってきたし~」
「それはなにより、館長」
彼らは、移動図書館の、4階へ続く階段をのぼりながら、ゆったりと会話していた。
「リタちゃん達、乗せていってあげられたら良かったのだけれど、行く方向反対だもの~」
「館長、移動しますか?」
「そうねぇ。じゃあ、王子様を起こして差し上げなきゃ~……」
そうして、彼らは目的地のとある部屋にたどり着く。その部屋の扉を叩き、中から返事はないが、2人はそろりそろりとゆっくり入っていった。
その、明かりがついていないので少々薄暗い、広い部屋の隅に、1つのベッドがあり、その中で、誰かが伏臥している。なので、その者の茶褐色のはねた髪が見える。
「王子~、王子、起きてください~」
と言うアキハの一言で、
「……ん」
その者は目を覚ました。
「夕方ですけど……おはようございます~――ロジカル王子」
「おはようです、王子」
その2人の挨拶で、完全に彼は目を開ける。
漆黒の瞳と翡翠色の瞳を持った、ロジカル・ロジカ・タルタリア。
「えへへ~、5日前くらいですよね? 王子が突然3階の窓を突き抜けてきたのは~」
「あー……あぁ。それよりアキハ、セリィ、部屋一室ありがとな。あの野郎の魔法の効力が全然消えなくて、苦労をかけた」
「そんなこと、当たり前ですよ~。なんたって、この図書館が移動できるようにしてくださったのはタルタリア王国なんですから~。本当に、心から感謝しています。あ、私、お水を持ってきますね~」
そう言って、アキハはパタパタと部屋を出て行った。それを見送ると、今度はセルダムがロジカルに向かって言う。
「王子、全快ですか」
「おう、お前らの世話の御蔭でな」
「それはそれは、もったいなきお言葉ですよ。……あ、王子、ちょっと王子、失礼して良いですかね?」
「あ? なんか見たのか?」
「はい」
そう言って、セルダムは突然、ロジカルの額に、自身の右手を勢いよく当てた。すると、ロジカルの身体は大きく反り上がり、そして、彼の頭の中に、数々の映像、音、全ての五感が満を満たして、入り込んでくる。
そして、セルダムが手を離すと、ロジカルに向かって言った。
「王子、こちら、お探しの方ですか?」
彼はというと、下を向いていた顔をゆっくりと上げ、ニヤリ、と笑った。
流れてきた記憶で、1番目についたのは、碧い髪を持ち、漆黒と翡翠色の瞳が揺れ、手にたくさん本を抱えた、笑顔の少女。
「……あぁ、そうだ。リタ、リタだ。そうかぁ……何笑ってんだよマジムカつく」
「彼らは2時間程前に南へ向かいましたよ」
「……あぁもうあいつなんで死んでねーんだ。悪い奴は死ぬべきなんだよ……ん?」
ロジカルの顔が歪む。記憶の中に、金色の髪の少年が横切る。
「……なっ! こ、この野郎……なんで此奴もいるんだ! ていうか何でリタと一緒にいんだよ! ……それに……――アトリ……!? アトリが、いない。どこへいったんだ……あいつ……!」
さらにさらに、ロジカルの目つきが鋭くなっていく。彼の周りを、黒い靄が包む。
「どうされますか? 王子」
「――……あぁ、ったく、お前も暗殺者ならしっかりしろよな。これからは俺1人で行く」
ロジカルは右目に眼帯を付け、壁に掛けてある黒のローブを羽織ると、窓を開けた。涼しい夜風が、彼の髪を撫でる。
「ご武運を、王子」
その言葉をセルダムが言ったとき、もうそこに彼の姿はなかった。後に、アキハに事情説明がいき、そして、後にまた、リタ達はこの移動図書館の世話になることになる。




