第三章 数学派
哲学者エトムント・フッサールは数学者であったが、哲学者となり、現象学を打ち立てた。
文學倶楽部の中に、数学派という派閥があるが、彼らは晢學派の一部の人道主義者が倫理・道徳の起源を功利主義に求めない純粋主義に立ち返ろうという考え方から始まった。
功利主義に拠らないとはどういうことかと言うと、「良いことをすれば社会が良くなる」「良いことをすれば自分の魂を救い、他人を救う(他人を救うことが良い行為である)」というような良い結果があるから実践するというような功利的な考えで行うのではなく、それ自体が正しい行為だから行うという考え方である。
彼らは正しさを追究するに当たってより純粋であるために、不純物のない数学的な手法によろうとする。
たとえば、「One plus One(これは数学というよりは算数だが)」のように、透明度の高い明晰判明な根拠に基づいて行おうとする。
すなわち、臆見に拠らず、明晰判明な純粋論理によって正しさを追究する小説を書く、それが彼ら派閥の趣旨であった。
そして、彼らは追及の結果、畢竟の處、見出されるものが美であることを想定している。
彼らのその考えの根底には、古典期の古代ギリシャ彫刻の完成度の高さがある。
結果的に、彼らは古代ギリシャ彫刻のように眞的な美としての倫理道徳を描くことを選んだ。
イデア論者である古代ギリシャの哲学者プラトンが彼の哲学において最高のイデアを『善のイデア』に求めたことに少し似ているかもしれない。
それゆえ、数学派の彝佐可憐はプラトンの著作『饗宴』を愛読し、古代ギリシャ語で小説が書けないか研究中である。




