↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/7

第二章 誰にも読まれない男が売文主義を批判しても虚しい

 孤独な愚者である彝久紗について。



 彝久紗は彼自身が反売文主義であり、非売文業者であることを自嘲気味に語る。

「芸術は商品ではない。ましてや金儲けの手段でもない。乃ち、売られるべきではない。真の名作は読者に媚びずに無償で配信されるべきだ」

 そう主張した。


 作家が作品を売ることは、当たり前のことのように普通の人には思える。

 しかし、彼はそれを拝金主義と謗り、神聖なる芸術を商品のように売ることは卑しい行為であるとした。よく言えば(?)禁欲的理想主義だが。

 そこには人間的な、あまりにも人間的な事情があった。


 ちなみに、売文への自責・批判は彼が初めてではない。

 芥川龍之介も金のために書くことを蔑み、自嘲したが、確かに金儲主義、金を渇望し、売れる小説を書こうとすることは、真の芸術を目指す者ならば、自己矛盾した卑しく蔑むべき汚い行為とも言える。

 ただし、普通の人が普通に仕事をするように、そもそも、生活の糧とするなら、何を言われる筋合いもない。


 彝久紗の小説は小難しくて気取ってストイックで読み難く、誰も興味を持たない主題しか選ばず、他人が読むには苦痛でしかないものばかり書き、誰からも読まれなかった。


 そのせいで、安易に読まれる小説には批判的になり、自分は孤高なのだと自我自尊の自己肯定をし、金を得る行為そのものを蔑み、拝金主義と批判することとなり、余計に孤立した。


 そもそも、哲学派のうちの無頼派で、その後はそれも捨て、彼の口調を借りれば「十代の超絶天才詩人アルチュール・ランボーが二十歳で詩を棄てたように」無味乾燥な現実主義者になった、のである。


 綺綺に言わせれば、

「それはそれで悪くないんじゃない。

 存在であることに変わりないんだから。ハーモニカのサウンドのようなものよ。何者でもない存在自体でしかない。安土桃山時代の茶陶の焼成具合の風味や景色のように、釉薬の塗られていない高台の土味のように、滋味深く味わい尽くせぬ深みがあるわ。

 誰にも知られないことは罪じゃない。

 彼の言う無味乾燥とも感覚・体感・経験的に一致するんじゃない? もっとも、彼はそういう合致整合の合理性を追究していないし、むしろ、否定しているけれどもね」


 そして、神子斗は、

「彼はまるで彝之イタルみたいだ。

 何者にも媚びない。名誉も利己的損得も顧みない。パンクだ。

 エリック・クラプトンは一九三〇年代のアメリカ南部のブルース・ミュージシャン、ロバート・ジョンソンの曲、演奏を聴いて、西洋的な音楽セオリーから外れたテンポの転調やコード進行を「彼は何ものにも縛られずに自由に弾いた」という趣旨の言葉で称賛したが、彝久紗にも同じことが言える」

 として讃嘆していた。


「俺の小説は神が知るのさ。神は全知だからな。神が俺の唯一の読者だ。誰も読まなくても、俺の小説は存在する。それが神が読むということだ」


 


 次回は数学派について。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。