13話
幾度も季節が過ぎ去ったある日。
金属の音。
重なる足音。
町の中央から、ざわめきが広がってくる。
かつて彼が帰って来た日の音と、 よく似ていた。
私は、外に出られなかった。
彼が、どうなったのか。
無事なのか。
出てしまったら、 現実を直視してしまう。
嫌でも、分かってしまう。
私はベッドの上に寝転んだんだまま、 身動きが取れなかった。
指輪を、強く握りしめる。
金属が、指に食い込む。
願わくば。
扉が叩かれて。
彼が、顔を出してくれますように。
それだけを、願いながら。
私はその日、初めて酒場を休んだ。
夜になっても、朝になっても。
ロアンは、ついぞ、戻ってこなかった。
次の日も。
私は部屋で寝込んでいた。
身体が寒い。
起き上がる気力が出ない。
水を飲むことすら、億劫だった。
扉が、叩かれた。
不意に現実に引き戻され、私は跳ね起きた。
心臓が、強く脈打つ。
一瞬で、期待が走る。
戸を開ける。
そこに立っていたのは――
バーツだった。
胸の中で膨らんでいたものが、一気にしぼんだ。
限りなく低く。
小さく。
バーツは、私の顔を見るなり、 わずかに視線を伏せた。
「……君に、伝えなくてはいけないことがある」
低い声だった。
何を告げられるのか、すぐに想像がついた。
頭の中が、空白になる。
考えないようにしていた言葉が、 勝手に浮かび上がってくる。
私は空虚なまま、うなずいた。
「……分かりました」
自分の声が、 どこか遠くで響く。
バーツは歩き出す。
私は、その後ろをついていった。
足元の感覚は、曖昧で。
それでも、 前に進くしかなかった。
バーツが足を止めたのは、酒場の奥の席だった。
そこに、男が二人座っていた。
顔立ちは幼さを残しているのに、
背筋は伸び、視線には張りがあった。
生き残った者の目。
この人たちは。
戦争から、帰ってこれたのね。
「彼らは、ロアンが指揮していた隊の者たちだ」
バーツが、静かに言った。
若い騎士の一人が立ち上がり、私に向かって頭を下げる。
「初めまして」
丁寧な挨拶だった。
けれど私は、声を返せなかった。
喉が、うまく動かずに。
バーツはそれを咎めない。
代わりに、二人に視線を向け、短く促す。
「話してくれ」
彼らは、少しだけ顔を見合わせてから、語り始めた。
ロアンが、自分たちの隊を率いていたこと。
馬を駆り、槍を振るったこと。
声を張り上げて励ましてくれたこと。
指示は的確で、犠牲は、少なかったこと。
私は、黙って聞いていた。
やがて、話題は途切れた。
一人が、視線を落とす。
「……ただ」
そこで、言葉が止まった。
もう一人が、代わりに続ける。
「戦いの最中で……ロアン隊長の姿が、突然、見えなくなりました」
息が詰まった。
「声は、聞こえていたんです」
「だから、俺たちは……戦い続けました」
「戦後、すぐに探しました」
「野原も、野営地も、救護所も」
酒場の空気が、重く沈む。
「俺も、この部下たちも、走り回って探した」
バーツが、低い声で続けた。
「どこも、人が多すぎて、分からなかった」
拳を、強く握りしめているのが分かった。
無念さが、言葉の端々に滲んでいた。
頭の中で、何かが、音を立てて崩れていく。
私は、黙っていた。
泣かなかった。
声も出なかった。
揺れ動く心は、使い果たしてしまった。
「ロアンが、どうなったのかは……わからない」
バーツが、苦しそうに言った。
「捕虜になったのか」
「救護所で、眠っているのか」
一瞬、言葉が途切れる。
「……あるいは」
その先は、はっきり言わなかった。
けれど、十分だった。
「ただ」
「このまま港町に便りもなく、帰ってこなければ……」
重たい沈黙。
「……死んだ扱いになる」
私は、そこに座っていた。
言葉が、頭の上を通り過ぎていく。
しばらくすると、 バーツと、若い騎士たちは、何も言わずに立ち上がった。
椅子が、静かに引かれる音。
足音が、遠ざかっていく。
私だけがひとり、酒場の奥の席で、
茫然と座り続けていた。
どれくらいの時間が経ったのか、分からない。
ミレディが、そっと横に来た。
何も聞かず、 何も言わず。
ただ、私の肩に手を置いた。
「部屋、戻ろう」
私は、されるがままに立ち上がる。
宿舎の部屋へ連れて行ってもらう間も、
私は、茫然としていた。
◇
翌日、私は朝から浜辺に来ていた。
空は高く、風が強い。
冷気が肌を刺した。
寒い。
私は靴を脱いだ。
足裏に冷たい砂の感触が広がる。
私は踊った。
誰に見せるでもなく。
波の音を、伴奏にして。
遠くで鳴く海鳥の声に呼応するように、身体を動かす。
腕を上げ、回り、 砂を踏む音を、波のリズムに合わせる。
風を受け、 陽光を浴び続けながら、 ただ踊った。
ひたすらに。
頭を、からっぽにするために。
心を、からっぽにするために。
思考が追いつく前に。
感情が形を持つ前に。
身体だけを、動かし続けた。
ここには、誰もいない。
誰も、見ていない。
誰もいない砂浜で。
誰も見ることのない踊りを、踊り続けた。




