7話
先頭部隊へ志願し、生きて帰った者には莫大な報酬が与えられる。
エリシアは彼がそう言った場面を、頭の中で反芻していた。
――先頭部隊。
最前線に送られ、敵の初撃を受け止める部隊。
生き残る者は、ほとんどいない。
そんなことは、戦いの経験がない私にだって、すぐに分かった。
ロアンは、私とバーツを自分の家に呼んだ。
長い付き合いだが、呼ばれたのは初めてだった。
「俺は、先頭部隊へ志願しようと思う」
彼は決まりごとのように言った。
頭が、きぃんと鳴った。
家の中に、それ以外の音がなくなった。
「……ふざ、けるな!」
沈黙を破ったのはバーツだった。
遅れて、怒鳴り声が飛ぶ。
次の瞬間、バーツはロアンの胸倉をつかむ。
「お前、あれがどういう部隊か知ってて言ってるのか」
ロアンの身体が揺れる。
「死ぬだけなんだぞ!」
低く、噛み殺すような声だった。
ロアンは、抵抗しなかった。
冷めた声で、答える。
「生き残ったら、報酬がある」
まるで、それが十分な理由だと言うように。
「……金のために、命を投げる気か」
バーツの声が震えた。
「お前には、エリシアがいるだろう」
「酒場の皆や、俺もいるだろう」
胸倉をつかむ手に、さらに力がこもる。
ロアンの頭が、わずかに揺れた。
「お前には、失ってはいけないものがあるだろう!」
「だからだろ!」
ロアンが叫んだ。
怒鳴り声が、狭い部屋に反響する。
初めて聞く、荒れた声。
「俺には、後ろ盾がない」
「家柄も、名誉も、金もない!」
胸倉をつかまれたまま、ロアンは言葉を叩きつける。
息を吸う音が荒い。
「ここで武勲を立てなければ、死んでいるのと、同じだ」
「じきに……全てを失ってしまう」
最後の声は、かすれていた。
ロアンは視線を上げ、バーツと私を交互に見た。
「バーツ、エリシア、頼む」
「行かせてくれ」
バーツの力が抜けた。
胸倉をつかむ手が、ゆっくりとほどける。
ロアンの服が、しわのまま垂れ下がる。
部屋に、重たい沈黙が落ちた。
私はずっと、何も言えなかった。
翌日。
ロアンに呼ばれ、私と彼は夕方の浜辺を歩いた。
空は低く、水平線の青に、鮮やかな赤が刺さっていた。
「昔は、よく来たな。ここ」
ロアンが懐かしむようなことを言った。
「行くのね。戦争」
「……ああ」
自分の声は、思ったより乾いていた。
昔話をする気にはなれなかった。
足跡が、波に消されていく。
しばらくして、ロアンが明るい声を出した。
「帰ってきたら、きっとすごいぞ」
「俺は、英雄だ」
などと、振り返って笑う。
「ふざけないで」
冷たい声が出た。
ロアンは一瞬、驚いた顔をした。
それから、苦笑する。
「大丈夫だよ。俺、足が速いから」
「生きて帰ってくる」
昔と同じ軽さで、言った。
ロアンは、歩みを止めた。
海を背にして、こちらを見る。
「それでさ」
夕焼けが、彼の輪郭を滲ませる。
「もし、生きて帰ってきて」
「俺が英雄になったら」
声が、わずかに震えた。
「結婚、しよう」
私の心臓は、トクン、と跳ねた。
……だめだ。
ロアンは自分を犠牲にしようとしている。
命を、分の悪すぎる未来に賭けている。
止めなければいけない。
分かっているのに。
私は、その言葉に――
彼に、希望を持ってしまった。
二人で、並んで暮らせる未来。
戦争が終わって港町に戻ってきて、 何でもない話をして、笑う日々。
そんなものは、 彼が生きて帰らなければ存在しない。
残酷な夢。
それでも。
私は、その夢を抱いてしまった。
夕焼けの中で、ロアンは私を見ていた。
不安と期待が、織り交ざる。
私は、目を逸らした。
そして――
頷いた。
小さく、確かに。
彼の言葉に。
はじめての、大きな約束。
ロアンの顔が、ほっと緩む。
それを見た瞬間、 身体がきしんだ。
浜辺に、波の音だけが残っていた。
◇
ほどなくして、彼らは港町を出立した。
見送りは、驚くほど静かだった。
周りの人々も、私の心も。
ロアンは列の中にいた。
父の形見だという鎧に身を包み、剣を提げている。
一度だけ、こちらを見た。
「行ってくる」
「いってらっしゃい」
当日の会話は、これだけ。
帰還を信じていたわけじゃない。
どうしようもなかっただけ。
列が動き出し、背中が遠ざかっていく。
私は、その場に立ち尽くしていた。
それからの私は、ひたすら踊った。
酒場の裏で、夜が明けるまで、足が震えるまで。
彼のいない空白をぶつけるように、体を動かした。
初めて、酒場の舞台に立った。
拍手はまばらだった。
それでも、ミレディは私の肩を抱き、
一度だけ深く頷いた。
「大したもんだ」
胸が少しだけ軽くなった。
――彼に。
初めての踊りを、見せたかったな。
その日の夜。
彼が港町を出てから初めて、
ベッドの中で声を殺して泣いた。
日々は、止まらなかった。
忙しさに紛れ、踊りを覚え、季節は過ぎ去り。
気づけば、寒くなりだした時期の朝だった。
外が騒がしい。
町の中央から、ざわめきが広がってくる。
金属の音。
重なる足音。
私は外に飛び出した。
通りの先に、鎧の列。
ぼろぼろの外套、削れた兜。
――生きて戻った。
英雄たちが、戦場から帰って来た。
私は一心不乱に、彼を探した。
走った。
人をかき分け、肩がぶつかり、誰かの声が耳を打つ。
構わなかった。
跳ねるように進み、視界の端に彼の特徴を探し続ける。
――いた。
赤い髪、少しやつれた顔。
間違いない。
「ロアン!」
声が裏返った。
私は人を押しのけ、列に近づいた。
彼の目の前に立った瞬間、胸の奥が一気にせり上がった。
英雄。
生きて戻った。
それだけで、十分すぎるほどだった。
「……生きて、帰って……」
言葉にならない声で、私は泣いていた。
涙で、視界が歪む。
ロアンは、しばらく私を見つめていた。
そして、静かに首を傾げた。
「……人違いじゃないか」
胸の熱が、すっと引いた。
感動が、一瞬で別のものになった。
彼の目には、私が映っていなかった。
戸惑いも、迷いもなく。
本当に、誰か分からないという顔だった。
私は理解してしまった。
これは、わたしの罪だ。
彼を引き留めなかった、あのとき頷いてしまった。
――わたしの罪なんだ。




