表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
からっぽな騎士と砂浜の踊り子 ――たった一つの記憶を失った英雄  作者: 亜麻野
砂浜の踊り子

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/44

7話

先頭部隊へ志願し、生きて帰った者には莫大な報酬が与えられる。

エリシアは彼がそう言った場面を、頭の中で反芻していた。


――先頭部隊。


最前線に送られ、敵の初撃を受け止める部隊。

生き残る者は、ほとんどいない。

そんなことは、戦いの経験がない私にだって、すぐに分かった。


ロアンは、私とバーツを自分の家に呼んだ。

長い付き合いだが、呼ばれたのは初めてだった。


「俺は、先頭部隊へ志願しようと思う」


彼は決まりごとのように言った。


頭が、きぃんと鳴った。

家の中に、それ以外の音がなくなった。


「……ふざ、けるな!」


沈黙を破ったのはバーツだった。

遅れて、怒鳴り声が飛ぶ。


次の瞬間、バーツはロアンの胸倉をつかむ。


「お前、あれがどういう部隊か知ってて言ってるのか」


ロアンの身体が揺れる。


「死ぬだけなんだぞ!」


低く、噛み殺すような声だった。


ロアンは、抵抗しなかった。

冷めた声で、答える。


「生き残ったら、報酬がある」


まるで、それが十分な理由だと言うように。


「……金のために、命を投げる気か」


バーツの声が震えた。


「お前には、エリシアがいるだろう」

「酒場の皆や、俺もいるだろう」


胸倉をつかむ手に、さらに力がこもる。

ロアンの頭が、わずかに揺れた。


「お前には、失ってはいけないものがあるだろう!」

「だからだろ!」


ロアンが叫んだ。

怒鳴り声が、狭い部屋に反響する。


初めて聞く、荒れた声。


「俺には、後ろ盾がない」

「家柄も、名誉も、金もない!」


胸倉をつかまれたまま、ロアンは言葉を叩きつける。

息を吸う音が荒い。


「ここで武勲を立てなければ、死んでいるのと、同じだ」

「じきに……全てを失ってしまう」


最後の声は、かすれていた。

ロアンは視線を上げ、バーツと私を交互に見た。


「バーツ、エリシア、頼む」

「行かせてくれ」


バーツの力が抜けた。

胸倉をつかむ手が、ゆっくりとほどける。


ロアンの服が、しわのまま垂れ下がる。


部屋に、重たい沈黙が落ちた。

私はずっと、何も言えなかった。


翌日。


ロアンに呼ばれ、私と彼は夕方の浜辺を歩いた。

空は低く、水平線の青に、鮮やかな赤が刺さっていた。


「昔は、よく来たな。ここ」


ロアンが懐かしむようなことを言った。


「行くのね。戦争」

「……ああ」


自分の声は、思ったより乾いていた。

昔話をする気にはなれなかった。


足跡が、波に消されていく。


しばらくして、ロアンが明るい声を出した。


「帰ってきたら、きっとすごいぞ」

「俺は、英雄だ」


などと、振り返って笑う。


「ふざけないで」


冷たい声が出た。

ロアンは一瞬、驚いた顔をした。


それから、苦笑する。


「大丈夫だよ。俺、足が速いから」

「生きて帰ってくる」


昔と同じ軽さで、言った。


ロアンは、歩みを止めた。

海を背にして、こちらを見る。


「それでさ」


夕焼けが、彼の輪郭を滲ませる。


「もし、生きて帰ってきて」

「俺が英雄になったら」


声が、わずかに震えた。


「結婚、しよう」


私の心臓は、トクン、と跳ねた。


……だめだ。

ロアンは自分を犠牲にしようとしている。

命を、分の悪すぎる未来に賭けている。


止めなければいけない。

分かっているのに。


私は、その言葉に――


彼に、希望を持ってしまった。


二人で、並んで暮らせる未来。


戦争が終わって港町に戻ってきて、 何でもない話をして、笑う日々。

そんなものは、 彼が生きて帰らなければ存在しない。


残酷な夢。


それでも。


私は、その夢を抱いてしまった。


夕焼けの中で、ロアンは私を見ていた。

不安と期待が、織り交ざる。


私は、目を逸らした。


そして――


頷いた。


小さく、確かに。

彼の言葉に。


はじめての、大きな約束。


ロアンの顔が、ほっと緩む。

それを見た瞬間、 身体がきしんだ。


浜辺に、波の音だけが残っていた。





ほどなくして、彼らは港町を出立した。


見送りは、驚くほど静かだった。

周りの人々も、私の心も。


ロアンは列の中にいた。

父の形見だという鎧に身を包み、剣を提げている。


一度だけ、こちらを見た。


「行ってくる」

「いってらっしゃい」


当日の会話は、これだけ。


帰還を信じていたわけじゃない。

どうしようもなかっただけ。


列が動き出し、背中が遠ざかっていく。

私は、その場に立ち尽くしていた。


それからの私は、ひたすら踊った。


酒場の裏で、夜が明けるまで、足が震えるまで。

彼のいない空白をぶつけるように、体を動かした。


初めて、酒場の舞台に立った。

拍手はまばらだった。


それでも、ミレディは私の肩を抱き、

一度だけ深く頷いた。


「大したもんだ」


胸が少しだけ軽くなった。


――彼に。


初めての踊りを、見せたかったな。


その日の夜。


彼が港町を出てから初めて、

ベッドの中で声を殺して泣いた。


日々は、止まらなかった。


忙しさに紛れ、踊りを覚え、季節は過ぎ去り。

気づけば、寒くなりだした時期の朝だった。


外が騒がしい。

町の中央から、ざわめきが広がってくる。


金属の音。

重なる足音。


私は外に飛び出した。


通りの先に、鎧の列。

ぼろぼろの外套、削れた兜。


――生きて戻った。


英雄たちが、戦場から帰って来た。


私は一心不乱に、彼を探した。


走った。

人をかき分け、肩がぶつかり、誰かの声が耳を打つ。


構わなかった。


跳ねるように進み、視界の端に彼の特徴を探し続ける。


――いた。


赤い髪、少しやつれた顔。

間違いない。


「ロアン!」


声が裏返った。


私は人を押しのけ、列に近づいた。

彼の目の前に立った瞬間、胸の奥が一気にせり上がった。


英雄。


生きて戻った。

それだけで、十分すぎるほどだった。


「……生きて、帰って……」


言葉にならない声で、私は泣いていた。

涙で、視界が歪む。


ロアンは、しばらく私を見つめていた。


そして、静かに首を傾げた。




「……人違いじゃないか」




胸の熱が、すっと引いた。


感動が、一瞬で別のものになった。


彼の目には、私が映っていなかった。


戸惑いも、迷いもなく。

本当に、誰か分からないという顔だった。




私は理解してしまった。


これは、わたしの罪だ。


彼を引き留めなかった、あのとき頷いてしまった。




――わたしの罪なんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ