6話
その後、ロアンは無理をしなくなった。
バーツが怒ったからだ。
救護室で、低い声が響く。
「また同じことをしてみろ。次は一生剣を持てなくなるぞ」
本気で怒鳴る男の人を、私は初めて見た。
ロアンは布団の上で俯き、拳を握りしめていた。
反論できないことを、分かっている顔。
私も、たぶんロアンも、自分を恥じた。
それからのロアンは訓練のあと、酒場を手伝う回数がかなり減った。
身体を休める日も、基礎だけを確認する日もあった。
その変化を、私は見ていた。
心配は消えなかったが、 胸を締めつけた焦りは、薄れていった。
代わりに、私の中で、別の欲求が大きくなっていった。
会いたい。
ロアンに会いたい。
幼い頃からほとんど毎日のように顔を合わせて、言葉を交わしてきた。
それが当たり前だった。
けれど、訓練が始まってから、機会は大きく減った。
顔を合わせない日が増えるたび、 私は落ち着かなさを覚えた。
夜、酒場の営業が終わると、 私はときどき、ロアンの家に向かう。
手には、まかないの包みを持って。
ただ、話したかったから。
夜も遅いのに、ロアンはいつも起きていた。
扉を叩いて顔を出した彼に、私は言う。
「ミレディが、持って行けって」
嘘だった。
まかないは全部、私がお金を払って買った。
ロアンは何も言わず、私を招き入れる。
気づいていたのか、いなかったのか。
それは、分からない。
ただ、彼は受け取って、少し照れたように笑った。
「助かる」
二人で、並んで座る。
特別な話をするわけじゃない。
訓練のこと。 酒場のこと。
今日あった、どうでもいい出来事。
「美味いな」
そう言って一緒に食事をする時間が、私には必要だった。
それが明日も続くと思うだけで、私の心は静かになった。
そんな生活が、何年も続いた。
大きな約束を交わすこともなく、言葉にして確かめることもなく。
私たちは何も変わらないまま、いつの間にか青年になっていた。
◇
何度も季節は巡り、 私たちは十七になった。
もう大人だと扱われる年齢。
酒場に立っていると、 知らない男に声をかけられることが増えた。
冗談めいたものもあれば、 値踏みするような視線もある。
私は愛想よく受け流す術を覚えた。
ロアンはというと、 相変わらず背はそれほどだったが、
私よりは確実に大きくなり、肩幅も胸板もしっかりしてきた。
毎日の訓練に身体が慣れ、 酒場を手伝う頻度も、以前より増えていた。
昔のように、倒れてしまうのではないかと怯えることは、もうない。
私も、酒場の仕事が日常になって久しい。
ミレディや他の従業員に頼られ、任されることも増えた。
忙しくはあったが、居場所があった。
けれど。
順風満帆とは、程遠かった。
私たちは、お互いの関係を変えられないままでいた。
手を伸ばせば触れられる距離。
けれど、踏み込めない一線。
お互い分かっていた。
不安。
先の見えない職。
保証のない未来。
騎士を目指すロアンも、酒場で働く私も、
今の場所が永遠ではないことを知っていたのに。
変わらない日常は心地よく、 残酷だった。
このままでいたいと思う気持ちが、関係を変えるのを妨げていた。
それでも少しだけ、変わったことがあった。
「ミレディ」
ある日の昼下がり、私は頭を下げた。
「私に、踊りを教えてください」
数年前のこと。
私は女として、戦える武器が欲しかった。
ミレディは目を丸くして、声を立てて笑った。
「へえ。あんたがね」
意外にも、ミレディは若い頃、踊り子だったらしい。
各地を巡って、舞台に立って。
今では短髪の髪は腰まで伸ばし、揺れる金髪で男たちを虜にしていた。
そんな話を、笑い混じりにしてくれた。
ミレディは快諾した。
「いいよ。昼の仕込みが終わったら、少しずつな」
昼間の準備中、合間を見て稽古が始まった。
足の運び。 重心の置き方。 腕の動かし方。
慣れない動きばかりで、最初は身体が言うことを聞かなかった。
けれど、思っていたよりは、飲み込みが早かったらしい。
「筋がいいね」
そう言って、ミレディは何度も褒めてくれた。
汗を拭きながら動いていると、 脇から小さな声が上がった。
「エリシア、綺麗!」
ミレディの息子、ゲラルト。
動きに興味を持ったのか、目を輝かせて手を叩いている。
酒場の中でも一番若かった私とロアンに、彼はよく懐いていた。
「おう」
いつの間にか来ていたロアンが、 なぜか誇らしげに言う。
「エリシアはすごいんだからな」
その言い方に、私は思わず顔を向けた。
「ロアンだってすごいわよ」
負けじと言ってしまう。
ゲラルトが首をかしげた。
「どんなふうに?」
「えっ、えっと……」
言葉に詰まる。
考えた末、私は口を開いた。
「足が速い」
一瞬の沈黙。
「……俺のすごさって、そこなのか」
ロアンは眉を寄せた笑みを浮かべた。
ゲラルトは目を輝かせる。
「ロアン、足速いの?」
「……おう」
短く答えると、ロアンは立ち上がった。
「外で、競争してくるか!」
吹っ切れたような声だった。
ゲラルトは歓声を上げ、ロアンと一緒に外へ飛び出していく。
ぱたぱたと、足音が遠ざかる。
残された私は、思わず息を吐いた。
「まったく、あの子達は……」
ミレディは呆れたように言いながらも、口角が上がっていた。
私も、知らず笑っていた。
楽しかった。
理由を探す必要もない毎日。
こんな日常が、ずっと続いたらよかった。
――あの日が来るまでは。
港町に、徴兵令が出た。




