表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
からっぽな騎士と砂浜の踊り子 ――たった一つの記憶を失った英雄  作者: 亜麻野
砂浜の踊り子

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/44

6話

その後、ロアンは無理をしなくなった。

バーツが怒ったからだ。


救護室で、低い声が響く。


「また同じことをしてみろ。次は一生剣を持てなくなるぞ」


本気で怒鳴る男の人を、私は初めて見た。

ロアンは布団の上で俯き、拳を握りしめていた。


反論できないことを、分かっている顔。

私も、たぶんロアンも、自分を恥じた。


それからのロアンは訓練のあと、酒場を手伝う回数がかなり減った。

身体を休める日も、基礎だけを確認する日もあった。


その変化を、私は見ていた。

心配は消えなかったが、 胸を締めつけた焦りは、薄れていった。


代わりに、私の中で、別の欲求が大きくなっていった。


会いたい。


ロアンに会いたい。


幼い頃からほとんど毎日のように顔を合わせて、言葉を交わしてきた。

それが当たり前だった。


けれど、訓練が始まってから、機会は大きく減った。

顔を合わせない日が増えるたび、 私は落ち着かなさを覚えた。


夜、酒場の営業が終わると、 私はときどき、ロアンの家に向かう。

手には、まかないの包みを持って。


ただ、話したかったから。


夜も遅いのに、ロアンはいつも起きていた。

扉を叩いて顔を出した彼に、私は言う。


「ミレディが、持って行けって」


嘘だった。

まかないは全部、私がお金を払って買った。


ロアンは何も言わず、私を招き入れる。


気づいていたのか、いなかったのか。

それは、分からない。

ただ、彼は受け取って、少し照れたように笑った。


「助かる」


二人で、並んで座る。

特別な話をするわけじゃない。


訓練のこと。 酒場のこと。

今日あった、どうでもいい出来事。


「美味いな」


そう言って一緒に食事をする時間が、私には必要だった。

それが明日も続くと思うだけで、私の心は静かになった。


そんな生活が、何年も続いた。


大きな約束を交わすこともなく、言葉にして確かめることもなく。

私たちは何も変わらないまま、いつの間にか青年になっていた。





何度も季節は巡り、 私たちは十七になった。

もう大人だと扱われる年齢。


酒場に立っていると、 知らない男に声をかけられることが増えた。

冗談めいたものもあれば、 値踏みするような視線もある。

私は愛想よく受け流す術を覚えた。


ロアンはというと、 相変わらず背はそれほどだったが、

私よりは確実に大きくなり、肩幅も胸板もしっかりしてきた。


毎日の訓練に身体が慣れ、 酒場を手伝う頻度も、以前より増えていた。

昔のように、倒れてしまうのではないかと怯えることは、もうない。


私も、酒場の仕事が日常になって久しい。

ミレディや他の従業員に頼られ、任されることも増えた。

忙しくはあったが、居場所があった。


けれど。

順風満帆とは、程遠かった。


私たちは、お互いの関係を変えられないままでいた。

手を伸ばせば触れられる距離。

けれど、踏み込めない一線。


お互い分かっていた。


不安。


先の見えない職。

保証のない未来。


騎士を目指すロアンも、酒場で働く私も、

今の場所が永遠ではないことを知っていたのに。


変わらない日常は心地よく、 残酷だった。

このままでいたいと思う気持ちが、関係を変えるのを妨げていた。


それでも少しだけ、変わったことがあった。


「ミレディ」


ある日の昼下がり、私は頭を下げた。


「私に、踊りを教えてください」


数年前のこと。

私は女として、戦える武器が欲しかった。

ミレディは目を丸くして、声を立てて笑った。


「へえ。あんたがね」


意外にも、ミレディは若い頃、踊り子だったらしい。

各地を巡って、舞台に立って。

今では短髪の髪は腰まで伸ばし、揺れる金髪で男たちを虜にしていた。

そんな話を、笑い混じりにしてくれた。


ミレディは快諾した。


「いいよ。昼の仕込みが終わったら、少しずつな」


昼間の準備中、合間を見て稽古が始まった。

足の運び。 重心の置き方。 腕の動かし方。

慣れない動きばかりで、最初は身体が言うことを聞かなかった。


けれど、思っていたよりは、飲み込みが早かったらしい。


「筋がいいね」


そう言って、ミレディは何度も褒めてくれた。

汗を拭きながら動いていると、 脇から小さな声が上がった。


「エリシア、綺麗!」


ミレディの息子、ゲラルト。

動きに興味を持ったのか、目を輝かせて手を叩いている。

酒場の中でも一番若かった私とロアンに、彼はよく懐いていた。


「おう」


いつの間にか来ていたロアンが、 なぜか誇らしげに言う。


「エリシアはすごいんだからな」


その言い方に、私は思わず顔を向けた。


「ロアンだってすごいわよ」


負けじと言ってしまう。

ゲラルトが首をかしげた。


「どんなふうに?」

「えっ、えっと……」


言葉に詰まる。

考えた末、私は口を開いた。


「足が速い」


一瞬の沈黙。


「……俺のすごさって、そこなのか」


ロアンは眉を寄せた笑みを浮かべた。

ゲラルトは目を輝かせる。


「ロアン、足速いの?」

「……おう」


短く答えると、ロアンは立ち上がった。


「外で、競争してくるか!」


吹っ切れたような声だった。

ゲラルトは歓声を上げ、ロアンと一緒に外へ飛び出していく。


ぱたぱたと、足音が遠ざかる。

残された私は、思わず息を吐いた。


「まったく、あの子達は……」


ミレディは呆れたように言いながらも、口角が上がっていた。

私も、知らず笑っていた。


楽しかった。


理由を探す必要もない毎日。

こんな日常が、ずっと続いたらよかった。


――あの日が来るまでは。


港町に、徴兵令が出た。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ