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からっぽな騎士と砂浜の踊り子 ――たった一つの記憶を失った英雄  作者: 亜麻野
砂浜の踊り子

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5話

私が酒場に雇われて少し経ち、生活にも慣れてきたころ。

ロアンは兵舎へ行き、木剣を持つようになった。


騎士になるための訓練が始まったのだ。


始める時期としては、少し早いくらいらしい。

ロアンたっての願いで、近所に住む後見人だという騎士に頼み込み、稽古をつけてもらうことになったという。


朝早く、兵舎を覗き見たことがある。

木剣を握る手はまだ細く、構えも不格好。

それでも、振るたびに息を吐き、何度も同じ動きを繰り返す。


私は、ただそれだけを見た。


「頑張って」


酒場で一緒にいるとき、軽い気持ちでそう言った。

ロアンは頷いて、はにかんだ。


このときの私は、まだ何も分かっていなかった。

ロアンが騎士になるとは、どういうことなのかを。


はじめの変化は、すぐに現れた。


昼になっても、ロアンが酒場に来ない。


訓練は毎朝やる必要がある。

兵舎で木剣を振り、基礎を叩き込まれる。


酒場の手伝いなんて、していられなくなって当然だ。


――それなのに。


ロアンは、訓練のあと、酒場に来た。


前より遅い時間に現れて、無言で袖をまくる。

重い荷物を運び、床を磨き、体を動かす。


最初のうちは、「これも訓練だろ」と言って笑っていた。

私も、ミレディたちも、言葉をそのまま受け取った。

力仕事も立ち仕事も、体作りのうちなのだと。


けれど、毎日見ているうちに、違和感が積み重なる。


樽を転がしたあとの、長い呼吸。

拭き終えたはずの床に、もう一度手をつく仕草。

ロアンの動きが、明らかに鈍り始めている。


それは、明らかに疲労だった。


私は皿を洗う手を止め、彼の背中を見ていた。

声をかけるべきか、迷ったまま。


ロアンは気づいていないふりをして、

いつもと同じように、仕事を続けた。





ある日、ロアンが来なかった。


訓練があっても、必ず顔を出していたのに。

昼を大きく過ぎても、酒場の扉は開かなかった。


嫌な予感がした。


私は、思い切って頼み込んだ。


「……ミレディ」

「仕事、少しだけ抜けてもいいですか」


切羽詰まった声が出た。

ミレディは一瞬だけ私を見て、すぐに答えた。


「今日は帰らなくていい。行ってきな」


問い返しもしない。

すべてお見通しだとでも言うような雰囲気。


「ありがとうございます」


私は深く頭を下げた。

それだけを言って、 酒場を飛び出した。


石畳を蹴る音が、身体に響く。

兵舎が見えたときには、 胸が焼けるように痛い。


息も絶え絶えで、 私は近くにいた騎士に駆け寄った。


「すみませんっ……」


声が裏返る。


「男の子……っ、ロアンは……っ、……いますかっ」


言葉の途中で、息が続かなくなる。

騎士は一瞬きょとんとしたが、私の様子を見てすぐに察したようだった。


「落ち着きな、嬢ちゃん」


低く、穏やかな声。


「男の子の友達かい?」

「はいっ、そうです」


声がまた裏返った。

騎士は顎に手をやり、短く考える仕草をしてから言った。


「なら、会ってやりな」

「兵舎の中にいる。案内してやるよ」


優しい騎士だった。

私は何度も頭を下げ、後を追った。


石造りの兵舎は、外よりもひんやりとしていた。

通路を進み、扉を一つ開ける。

案内されたのは、すぐ手前の部屋だった。


後から知った名前は、救護室。

中にはベッドがいくつも並び、薬の匂いが漂っていた。


中へ入ると、ベッドの間に青年が立っている。


バーツだ。


前に何度か会ったことがある。

ロアンの後見人になっている騎士の子供で、同年代の兄貴分。


彫りの深い顔を、さらに歪めている。

唇を噛み、視線を伏せていた。


視線の先に、ベッドに横たわる影。


ロアンだった。


胸の奥が、ひどく冷えた。


そのとき、青年がこちらに気づいた。


「君は……エリシアか。ロアンの友達の」


確かめるように顔を見る。

言葉の途中で、私は一歩踏み出した。


「ロアンはっ……どうしたんですか?」


声が、思ったよりも大きく響いた。


「落ち着け。寝てるだけだ」


そう言って、視線をベッドに戻す。


「訓練中、急に倒れたんだ」

「俺がもう少し、気にかけてやるべきだったな」


淡々とした口調だったが、悔いが混じっていた。

私は唇を噛んだ。


「私……気付いてたのに」


喉が詰まる。


「ロアンの言葉を、真に受けて……」


あの笑い方を、信じてしまった。


「……エリシア」


微かな声が、聞こえた。


反射的に顔を上げる。

ベッドの上で、ロアンが薄く目を開けていた。


「エリシアと、バーツのせいじゃ、ない」


かすれた声。

言葉の端が、途切れ途切れになる。


「ロアン……!」


私は駆け寄った。

ロアンは身体を起こそうとして、うまくいかない。


「俺を……止めないで、くれ」


息が荒い。

バーツが一歩前に出た。


「疲労がたまってる。じっとしてろ」


低く、有無を言わせない声。

ロアンは悔しそうに歯を食いしばった。


「じっとなんて、してちゃいけないんだ」


視線が、天井を彷徨う。


「俺には……なにも、ないから」


胸が上下するたび、言葉が削れていく。


「家柄も……仕事も……ないから」

「騎士に……ならないと……」


それらは願いというより、縛り。


「そうじゃないと……」


ロアンは、こちらを見ようとして、首を少し動かす。


「エリシアと……並んで、生きられないんだ」


その言葉が、胸に落ちた。

重くて、冷たくて、音を立てて。


私は、唇を開いた。

けれど、言葉は出なかった。


代わりに、私はロアンに近づく。

ベッドの脇に膝をつき、手を伸ばす。


そっと、その手を握った。

訓練でついた豆で固くて、熱い手。


心配だった。

自分を追い込むのを、やめてほしいと思った。


なのに。


私の心臓は、高鳴っていた。


ロアンの言葉を、私は嬉しいと拾ってしまった。

胸の奥で、否定できない感覚が膨らんでいく。


ロアン、私も。


あなたと並んで、生きたい。


私は、ロアンが好きなんだ。

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