4話
あの日から、私はロアンのことを拒絶しなくなっていた。
話しかけられれば相槌をうつ。
近くにいられても追い払わない。
日々は目に見えて変わっていった。
ときには意見を言い、気に障る言い方をして、喧嘩になることもあった。
「それは違うでしょ」
「違わないって」
声を荒げて、互いに睨み合う。
なのに翌日になると、ロアンは何事もなかったように現れた。
「なあ、聞いてくれよ」と。
ただ、続きを話すだけ。
たまに、二人で孤児院の外へ出た。
細い路地を歩き、店先を覗き、
浜辺まで足を延ばして、波打ち際を踏む。
濡れた靴を気にしていると、「乾けば同じだ」と、ロアンは笑った。
彼の家にも行った。
壁の薄い、小さな家。
中は静かで、物は少なかった。
それでも、一人だけの場所があるという事実だけ、少し羨ましかった。
そんな日々を、私たちは続けた。
季節が巡り、少し背が伸び、声が変わり始めても、
ロアンは変わらずパンを貰いに来て、私に話しかけた。
気づけば一人でいる時間より、
彼と過ごす時間のほうが長くなっていた。
そうして、数年が過ぎていた、
ある日の炊き出しでのこと。
私は、酒場のお姉さん――ミレディの指示で、調理を手伝っていた。
孤児院にいる期間が長くなり、子どもと呼ばれる年齢でもなくなっていたから。
「やってみるかい」と言われて、断る理由もなく頷いたのが始まりだった。
それ以来、炊き出しの日には、自然と手伝うようになった。
鍋をかき混ぜ、椀を並べ、列を整える。
覚えることはあったが、難しくはなかった。
向こう側では、ロアンがいた。
呼ばれたわけでもないのに、鍋を運び、薪を足し、
手の足りないところを見つけては機敏に動いている。
私はその様子を横目で見ながら、包丁で野菜を刻む。
「だいぶ慣れてきたね」
ミレディが、私の手元を覗き込み、そう言った。
私は、少しだけ背筋を伸ばした。
ミレディは女性だし、まだ若そうに見える。
なのに酒場の経営を回し、 自分の子どもを育てながら、
こうして孤児院に食事を作ってくれる。
女傑という言葉のほうが、しっくりくる人。
尊敬している、という言葉の意味を理解した。
スープを配り終えたあと、私とロアンはいつものように端に並んで腰を下ろす。
木の椀を両手で包み、湯気が落ち着くのを待つ。
そのときだった。
「エリシア」
ミレディが、いつもより低い声で呼んだ。
彼女は私たちと視線を合わせるようにしゃがみこんだ。
「単刀直入に言うよ」
一拍置いてから、続ける。
「私の酒場で、住み込みで働かないかい」
私は椀を持ったまま固まる。
意味を、すぐに飲み込めなかった。
孤児院に来て、自分が誰かに誘われたのは初めてだった。
隣を見ると、ロアンも目を丸くして、食べる手を止めていた。
「同情したってわけじゃない」
ミレディは、私の反応を気にした様子もなく言う。
「あんたは、賢くて強い女になると思ったからさ」
笑顔で、そう言われた。
恥じらいとも、怒りとも違う。
身体の内側から、じわりと熱くなる感覚。
「やったな、エリシア」
隣のロアンがそう言って、少しだけ現実味を帯びた。
そうか。
私は嬉しいんだ。
尊敬する人に、将来を買われて。
ミレディを見る。
私は小さく息を吐いてから、目を合わせた。
「わかりました」
声は震えなかった。
「やりたいです。酒場で働かせてください」
言い切ると、ミレディはゆっくりと微笑んで、深く何度も頷く。
自分の判断は間違っていなかったと、 そう言うみたいに。
◇
ほどなくして、私は孤児院を出ることになった。
荷物は少なく手続きも簡単で、引っ越しは拍子抜けするほど一瞬だった。
酒場の裏手にある宿舎。
階段を上った先の小さな一室が、私の部屋。
扉を閉めると、外の音が遠のく。
自分だけの部屋。
想像以上に落ち着いた。
仕事は、炊き出しとは比べものにならないほど多かった。
仕込み、掃除、洗濯。
酒場が開く前も閉まった後も、やることは尽きない。
覚えることも、失敗することも多かった。
それでも私は、必死で食らいついた。
ロアンはというと。
私が酒場に来たからなのか、彼もいつの間にか酒場を手伝うようになっていた。
荷物を運び、洗い物をして、重たい樽を転がしては肩で息をする。
そんな彼を見て、ミレディは豪快に笑った。
「働き者でいいじゃないか、気に入った」
そう言って、ロアンの肩を叩く。
食事のまかないを出し、少しだけれど賃金も渡した。
「ねえ、どうして、酒場の手伝いを?」
一緒にまかないを食べていたとき、匙を止めて聞いてみた。
「だって、エリシアがいるから」
即答だった。
昔なら、どうして、と聞き返していただろう。
けれどその返事は、今の私には妙に心地よかった。
ロアンは、少しだけ視線を落として続けた。
「俺も、エリシアに負けないように頑張らないとな」
冗談めいた口調なのに、表情は真剣だった。
火に照らされた横顔が大人びて見える。
私は返事をしなかった。
スープを飲み干し、空になった皿を見下ろす。
そのときのロアンの顔が、なぜか記憶に残っている。




