2話
「もらえてよかった」
男の子はそう言って、口角を上げる。
私たちは皿を持って、孤児院の庭に並んで腰を下ろしていた。
石の縁は冷たかったけれど、膝の上の皿からは湯気が立っている。
野菜がたっぷり入った、熱々のスープ。
私は両手で皿を支えながら、温かさを確かめるように指を寄せた。
男の子は、待ちきれない様子で匙を動かした。
口いっぱいに頬張り、少し遅れてから息を吐く。
「暖かいもの食べるの、久しぶり」
そう言って、また笑った。
こぼれそうなほど無防備な顔。
その横顔を見ながら、一口すくった。
思ったよりも甘くて、しょっぱくて、体に落ちていく。
「……きみ、誰なの」
男の子は匙を止めた。
「俺、ロアン」
「父さんも母さんも死んじゃってさ。困ってたんだ」
本当に、何でもないことのように言った。
私は、言葉を探して黙り込んだ。
孤児院には親がいない子どもは珍しくない。
とは言え、ここまでさらりと話す子はいなかった。
「……平気なの?」
ロアンは少しだけ考えるように視線を上げ、あっさり言う。
「家はあるし、どうにかなるよ」
そう言って、匙を口に運んだ。
「そうじゃなくて。辛く、ないの?」
ロアンの手が、そこで止まった。
匙が皿の縁にこすれ、かすかな音を立てる。
湯気だけが、二人の間を行き来する。
「……わからない」
少し間を置いて続けた。
「でも、お腹はすいた」
彼は、何事もなかったようにまた食べ始めた。
芋を噛み、口を動かしながら、ぽつぽつと話し出す。
「俺の父さん、騎士だったから」
「いつ死んでも、おかしくないって言ってた」
淡々とした声。
「だからさ。いなくなっても……そういうもんかなって」
言葉の途中で、彼は少しだけ眉を寄せた。
食べる手は止まらない。
「難しいことは、よく分かんない」
私は彼のことがわからなかった。
自分の中にはない考え方。
「君は?」
突然、こちらを見る。
「さっきから、へんな顔してる」
「へんな顔って……」
「眉が、ぎゅって寄ってる。野菜、嫌いなの?」
ロアンは自分の額を指でつまむような仕草をしてみせる。
私は視線をスープに落とした。
匙は途中で止まったままだ。
「……ちがう」
「だって、きみが、あんなこと言うから」
自分でも、何を責めているのか分からない。
ロアンはふっと、口元を緩める。
「君、面白いね」
そんなふうに言われたのは、初めてだった。
私は瞬きをした。
「だってさ」
「さっきの、べちゅのっ、だって……」
ロアンは自分で言って、吹き出した。
「あっはは」
高い笑い声。
思わず睨んだ。
「あ、あれは……ちょっと、声が出なくてっ」
ロアンはまだ笑いながら肩をすくめる。
――ほんとに、失礼なやつだ。
私は怒ろうと思った。
しかし、怒り方がわからない。
ロアンは、私の反応を待つように首を傾げていた。
次の瞬間、突然、彼は顔を思いきり歪めた。
目を寄せ、口を横に引きつらせ、舌を突き出す。
「ほら、俺も」
意味の分からない言葉と、一緒に。
「……ぶふっ」
堪えきれず、息が漏れる。
笑い声が、確かに自分の喉から出た。
してやられた、という感覚が遅れてきた。
「……っ」
慌てて口を押さえたけれど、もう遅い。
ロアンの目が、ぱっと見開かれた。
「あっ、笑った!」
自分のことのよう、いや、それ以上に嬉しそうだった。
跳ねるように身を乗り出し、指を差してくる。
私は顔が熱くなるのを感じた。
「……うるさい」
私の怒りは、それが精一杯だった。
ロアンは気にした様子もなく、満足そうに頷いた。
「よかった」
何が。
「君、名前は?」
名前。
答える必要があるのか。
ロアンは待っていた。
「……エリシア」
「エリシア……エリシア……」
ロアンは、ゆっくりと繰り返す。
確かめるように、噛むように。
「うん、覚えた」
食事が終わるころ、炊き出しの人たちが片付けを始めた。
ロアンは立ち上がり、皿を返しに行く準備をする。
「俺、また来るよ」
振り返って、軽い調子だ。
「食べ物が貰えるからでしょ」
私はそっけなく言った。
「もちろん、それもあるけど」
「友達、出来たから」
――友達。
「じゃあ、またな、エリシア」
そう言って、手を振った。
頭が、遅れて動いた。
いつ、友達が出来たんだろう、あんな子に。
もしかして私のこと?
そんなわけ、ないか。
座ったまま、背中が遠ざかるのを見送る。
いつの間にか、スープの湯気がない。
私は何も考えないようにして、匙を動かした。




