落とし穴の話⑨
「あの、僕はどこで眠れば……」
食事が終わると、僕はリズに「もう寝ろ」と言われた。どうやら、この家では夕食後すぐに就寝するようだ。しかし、僕はまだ自分の部屋がどこにあるのか聞いていなかった。
「ああん? 寝床ぉ……?」
リズは、まるで僕がわがままを言ったかのように、顔をしかめた。
リズはしばらく思案した後、答えをひねり出した。
「……屋根裏だな」
「屋根裏!?」
まるで予想外の場所の名前がでてきた。
今日一日見てまわった感じ、工房ふくめこの家はまるで掃除が行き届いていない。どこもかしこもほこりまみれだ。
そんな中でも明らかにトップレベルで汚れているであろう場所を指定されてしまった。
一応、ダメもとで聞いてみる。
「掃除はしてるんですか?」
「うるせえ、してねえよ!」
してねえと来たもんだ。こりゃ、すごそうだ。
しかし、屋根裏か……。下手したら、ふかふかの布団だと思ったら、ほこりの塊だった……、なんてことはないだろうな。
さすがにないか。
……ないよな?
「あの、リズさんのお部屋に泊めていただくわけには……」
「ん? おれの部屋? お前がいいならいいけど」
「え?」
ダメもとで言ってみただけなんだけど、いいのか?
いいなら、いいんだろうか。
「ちょうどいいや、おれの部屋みとくか?」
リズは親指で後ろをさした。
僕はなんだか嫌な予感がした。
「え、いや、えーっと……」
「遠慮すんなよ」
リズは僕の手を引いて、彼女の部屋の扉を開いた。
「どうだ? 意外と女らしい部屋だろ?」
「そ、そうですね……」
どこが?
それが僕が抱いた第一印象だった。
この部屋の「女性らしい」要素は……、強いてあげればベッドの上に脱ぎ散らかしてある服と……、花瓶が飾ってあるところだろうか。もちろん花はささっていない。
しかし、なにより……、この部屋にはちょっと「異常な点」があった。そう、点が……、というか、穴が……。
壁にいくつか空いていたのだ。ちょうど拳大の穴だった。
「……あの、これは……?」
「ああ、それか」
リズは照れ笑いを浮かべながら、頭をかいた。
「おれ、ちょっと寝相が悪いんだ」
「なるほど」
「どうする、グリム? 泊ま―――」
「ありがとうございます、リズさん」
僕はにっこりと笑って答えた。
「屋根裏で寝ます」
***
「へっくしゅん! へっくしゅん!」
屋根裏のホコリは想像よりも少なく、ベッドと見間違えることは無かったが、それでも居心地のいい寝床とは言えなかった。
「へっくしゅん! ううう……」
僕はずるずるになった鼻をこすりながら、明日はここを掃除すると心に決めた。
かび臭いベッドだった。シーツは薄くて、絶妙に小さくて、くるまると足が少し出た。本来はシーツではなかったんじゃないかと思う。
寒い。足がシーツから出ているせいだ。足をひっこめて、こすりあわせる。隙間風も吹いている。窓ガラスがガタガタ鳴っている。
風の音を聞きながら、目をあけた。暗いけど、窓から月明かりが漏れているので、なんとなく天井の木目を目で追う。
顔に冷たい感触があった。触ると、水だった。雨漏りしているのかと思ったが、雨音はしない。もう一度触って、わかった。
涙だ。
ホコリっぽいだけが原因ではないだろう。
ラグラン先生……じゃない。ラグランのことを考えていた。あいつがあんな奴だったなんて、思いもよらなかった。
裏切られたのが、悔しかった。
……そうだろうか。そんなことが悲しいんだろうか。
悲しい。そうだ、僕は悲しいんだ。
僕は、ラグランのことをたぶん誰よりも信頼していた。いや、ただただ頼りにしていた。信じていた。先生の言うことに従っていればいい結果にたどり着けると思っていた。
でも、裏切られたのがつらいんじゃない。
そんなことは大したことじゃない。
つらいのは……、帰っても、もうラグランの授業を受けられないってことだ。
誰かほかの人に教えてもらうことはあるかもしれない。
でも、ラグランに教わることはないのだ。
あいつはろくでもない奴だったけど、それでも、本当に良い授業をしてくれた。
もう、ラグランの授業は受けられない……。
穏やかで、知的で、柔軟で、新鮮だった。
学ぶ、ということに対して、ラグランは本当に真摯だった。
少なくとも、僕はそうだと思っていた。
たとえそれが彼の演技だったとしても、僕の錯覚だったとしても、そう思えてよかったと思う。
中身のない幻だったとしても、それがあると思えたおかげで僕は少しだけ勉強することが好きになれた。苦しいだけの行為ではないと思えるようになったんだ……。
僕はラグラン先生の授業を思い出して、しばらく涙を流した。




