反響する真実、5
ビスキュイ殿下の笑い声がこだまする。
「ビスキュイ……?」
シャルロット様は真っ青な顔で、高笑いする弟を見つめている。
僕たちと殿下以外、喋ったり身動きする人間はいない。
ビスキュイ殿下は笑いながら、杖をにぎり、立ち上がった。足を引きずるようにして、ひな壇の真ん中の方へ移動し、陛下の座る玉座の背もたれに手をかけた。
「いつ気づいた?」
それは僕への問いかけだった。
「陛下がおかしなことを言いだしたあたりですね」
「つまり、この場に来るまで気づかなかったってことか。なるほどなるほど……」
殿下はうなずきながら、ひな壇をさらに左へ移動し、ブラズ殿下の背後に回った。
「父上まで……」シャルロット様はうめいた。
「どういうことなの、ビスキュイ……」
「私が邪教徒の魔術に通じていることくらい、察しがついていたでしょう、姉上」ビスキュイ殿下は平然と言った。
「メイドを洗脳したし、クリムの記憶も消しました。姉上なら、容易に想像できたのではないですか? それらが私の仕業だと……」
「……」
「ははは、だんまりですか。姉上らしい」
ビスキュイ殿下は笑いながら、ブラズ殿下の頭を乱暴になでた。油できっちり整えられた灰色がかった黒髪がぐちゃぐちゃになる。ブラズ殿下は微動だにしないが、目だけはぎょろぎょろと自分の頭を好き勝手している者を見ようと動いている。
「こいつ、いつからこうだったと思いますか?」
「……っ」シャルロット様は目をそらした。
「知らないわ、そんなこと」
「ふふふ、姉上はうぶだなあ……」ビスキュイ殿下は楽しそうだ。
「これくらいで目をそらしちゃダメですよ」
「あなた、自分がいったい何をやってるか――!」
「ブラズ!」ビスキュイ殿下は、シャルロット様が最後まで言い切る前に、中庭に響くような大声で言った。
「起きろ! 革命の時間だぞ!」
ブラズ殿下がのっそりと立ち上がる。おぼつかない動作で腰の剣を抜き放った。
シャルロット様が叫んだ。
「やめなさい!」
「誰に言っているのですか?」ビスキュイ殿下がせせら笑う。
「私に言ってももう、無駄ですよ」
「っ!」シャルロット様は僕を振りかえった。
「クリム、あの人を止めて!」
「は、はい」
我に返った。完全にビスキュイ殿下の狂気に飲まれていた。
覚悟はしていたはずだったのに……。
僕は転移魔術で、ひな壇までの通路を――。
開くのに、失敗した。
「っ!?」
指先に、覚えのない衝撃を感じた。
まるで鋼に電動ドリルを当ててしまったような感触だった。
「お前が転移魔術の使い手であることくらい、わかっている」ビスキュイ殿下は笑った。
「お前が最近その腕を格段に上げたらしいということも知っている。距離、体積、魔力の濃さへの耐性をあげたそうだな? だが、忘れているんじゃないか? その魔術の弱点を」
ビスキュイ殿下は大げさに杖を振り回して演説している。
陽動だ。僕の気を引いているだけ。
ブラズ殿下はその間にも、皇帝陛下に近づいている。
僕は走った。何が起こったのか理解するより、ビスキュイ殿下の説明を聞くより、その方が早い。
「この世界は高次元空間だ。だが我々人間は三次元までしか認識できない。転移魔術はその前提のもとに成立している」殿下は滔々(とうとう)と説明している。ブラズ殿下はすでに玉座にたどり着いている。
「転移魔術は、高次元空間に人間でも通過できる道を仮想物体で構築することで、最短距離で移動できる、というものだ。よって、それを防ぐ方法は至極単純」
ひな壇に走っていた僕は、突如、正面からなにかに殴られた。
僕は転んだ。
「出入り口を構築できないようあらかじめ、イマジナリーで覆っておけばいい。それだけで、十分対応できる」
……殴られたのではない。
壁だ。壁がある。
僕は壁に全速力で突っ込んでしまっただけだ。
「もっとも、転移魔術を防ぐには、高次元の壁をつくる必要があるから、転移魔術について完璧な知識をもっている必要があるのだがな。さて……」
ビスキュイ殿下も玉座へと近づいていく。
ブラズ殿下は右手に剣をぶら下げ、玉座に座る兄を見下ろしている。
皇帝陛下は剣を持った弟を見上げている。
僕は壁を破壊しようとして、戸惑った。かなり硬い。熟練の魔術師の防壁程度の強度がある。これを壊すのは、一筋縄ではいかない。僕の紫電剣ではすぐ近くにいる兵士たちが死んでしまうし……。
「シャルロット様! 魔術でこの防壁を――、シャルロット様!?」
振りかえると、シャルロット様の背後にはショコラが立っていた。シャルロット様の首元にナイフを突きつけている。ショコラの足元には、じたばたともがくベルさんがいた。
シャルロット様は、抵抗していない。ただ困惑した様子で、立っている。
「策士策に溺れる、という感じだな。クリム?」ビスキュイ殿下は笑った。
「あきらめろ。足りぬものばかりを追い求めて、自分の弱点をみつめてこなかったお前の落ち度だ」
ビスキュイ殿下は、今度はブラズ殿下の背後に回り、その肩をたたいた。
「もういいですよ、父上。さあ、どうぞ……」
「ああ、わかった。……さらばです、兄上……」
ブラズ殿下は剣を構えた。
皇帝はただじっとそれを見つめている。
「ああ。さらばだ、ブラズ……」
ブラズ殿下は皇帝の胸に刃を刺し入れた。
皇帝はただじっとそれを見つめている。
その胸と口から血があふれた。
「ああ、あああ……」
シャルロット様の嗚咽が聞こえてくる。
他に物音は何一つしない。
僕たちはただ黙って、玉座を血で濡らし絶命する皇帝を見つめていた。




