深紅の世界、9
僕はみんなの記憶を消して、上書きした。
そのためにわざわざみんなを催眠状態にして、魔王を操って文字通り一芝居打ってみせた。これなら大きな齟齬なく、戦闘の記憶が残るはずだ。
スクエラの記憶は、消した。消してみんなと同じように上書きした。
スクエラは残してほしがったけれど、彼女まで罪悪感で眠れない夜を過ごしてほしくなかったから、消した。もう遅いかもしれないけれど……。
結局のところやはり、僕はわがままなのだ。
だから、さっきの会話を覚えているのは僕だけになった。
……スクエラのことを差し置けば、ガブリエルに洗脳をかけるのが最も厄介だった。厄介というより、洗脳できなかった。最初から予想していたことだったが……。
***
『許さんぞ』
まだみんなの記憶を上書きする前のこと。
スクエラを眠らせた後、ガブリエルだけを起こした。起きるなりガブリエルはキャリオ様に乗り移って、僕をにらみつけてきた。
『キャリオの記憶を書き換えるなど。私は絶対に認めない』
「どうして?」
『どうして、だと? 私は天使で、この子は私の巫女だ。この子の歩んだ記憶はこの子だけのものだ。誰にも書き換える権利などない』
「理解できないな……。もう少しかみ砕いてしゃべれないの?」
『やってみろ。必ずお前を殺す』
「いつ?」
『ここを出た後で。必ず』
「僕はレオンハルトに【聖剣】を返す」僕は魔術で椅子をつくって座り、足を組んだ。「でもそれは【聖剣】の力で作った【贋作】だ。本物じゃない。本物は僕が預かる。僕を殺せば本物は戻らない」
『殺してから奪えばいい』
「いま【聖剣】がどこにあるか、わかるかな?」僕は両手をみせた。すでに聖剣はインベントリに収納してある。「僕はこの状態でも【聖剣】を使用できる」
『……』
「君も転移魔術は使えるだろうが、僕が収納した【聖剣】を取り出せる自信がはあるかな?」
『……』ガブリエルは僕をにらんでいる。『要求はなんだ。言ってみろ』
「取引したい」僕は足を組みなおした。「僕はみんなの記憶を書き換える。みんなにそのことを話さないでほしい。僕を殺さないでほしい」
『……貴様、取引という言葉の意味を知っているか?』
「誰もタダで、なんて言ってないよ」僕はちょっとホッとして肩をすくめた。「君がなにも代価を要求してないだけだ」
『……』
「君の要求は?」
ガブリエルは、しばらく僕の顔をにらんだまま突っ立っていたが、僕と同じように椅子をつくってそこに座り、足を組んだ。スリットから白いふくらはぎが見えた。キャリオ様なら決してしないポーズだ。
『……王都にいる邪教徒どもを、一掃しろ』
「断る」
『断るなら、取引はなしだ。我々は貴様を一生つけ狙う。もちろん、貴様が守ろうとしたご主人様の命もな』
「性格悪いな」
『返事は?』
「……シャルロット様は罪人じゃない。お前たちには殺せないはずだ」
『いいや』ガブリエルは首を横にふった。『貴様が勇者を洗脳し、あのような命令を出したということは、あの姫は勇者と敵対するという事実に他ならない。もちろんそうなるまでは殺せないが、理由としては十分だ。そうなれば即刻、我々はシャルロット姫を殺す』
「キャリオ様が――」
『この子がどれだけ悲しもうとも、だ』
「……」
ハッタリではない。天使は嘘をつかない。僕との交渉を有利に運ぶためだけに出まかせを言っているわけではない。本当に、シャルロット様を殺せるということだ。
僕は両手をあげた。
「条件がある」
『言ってみろ』
「まず、誰が邪教徒なのかということ。それを教えてほしい。僕が一生懸命探して一掃しても、一人漏れていたからってシャルロット様を殺されたんじゃかなわない」
『条件を飲もう。詳細は後で連絡する』
「次に――」
『まだあるのか?』
「……次に、予告することを許可してほしい」
『不要な気づかいだ』
「いいや、必要なことだ。これは聖教会にとってもメリットがある、というかデメリットを防ぐものだ。君たち天使は人間の感覚には疎いだろう?」
『……続けろ』
「『一掃』という行為をどうイメージしてるか知らないけど、王都には多分……百人以上の邪教徒が潜伏してる。その中には普通に仕事したり、日常生活を送っている者もいるはずだ。それをある日突然、全員殺したりしたら、誰かしらは絶対に気づくし、噂になる。聖教会が罪もない一般人を粛清したって」
『それは嘘だ。誇張が過ぎる』
「そうだ。でも信憑性はともかく、広まるかどうかはともかく、誰かは絶対に言う。賭けてもいいね」
『……』ガブリエルは僕をにらんだ。僕の発言の真偽を見極めているようだ。
「別にいいだろ。追い払って素直に出ていくような邪教徒なら、わざわざシラミつぶしに殺さなくたって。あんた達は罪を憎んで人を憎まず、なんだろ?」
『そんな教義はない』
「あれ、そうなの?」
『まあいい……』ガブリエルは嘆息した。『その条件を飲もう。予告してよろしい。それで王都を去るなら殺さずとも構わん』
「わかった」
『おっと、素直に出ていった者は戻ってきても殺さないでいい……などとおかしな理屈をこねるなよ。邪教徒は改宗するまで戻ることを許さん』
「わかったよ……。まったく。なんて抜け目のないやつなんだ」
ガブリエルはむっと眉をひそめた。
『貴様にだけは言われたくないな……』




