深紅の世界、2
「血濡れの薔薇」
魔王は魔術を使った。部屋の中央に一抱えほどもある薔薇の花が一輪咲き、その花弁は瞬く間に萎れて散った。散るときに、一つ一つの花弁は何百何千に分かれ、広間中に降りそそいだ。床や壁に花弁が突き刺さり、石材をえぐって穴をあけた。
もうすでに広間は原形をとどめていない。魔王が剣をふる度、広間の壁や床に亀裂が走る。その亀裂は深まるばかりだ。
この空間はどうやら外と繋がっていないらしい。外に戻ることができるのは、門だけで、その門も今は閉じている。この玉座の間以外にこの空間にまともな建造物は見えない。亀裂から見える『外』には、何もない。
闇だけだ。
魔力をとばしても何も反響しないので、おそらく亀裂から外に落ちてしまえば、二度と戻ってこられないだろう。
僕がそんなことを考えていると、レオンハルトが魔王に猛スピードで接近した。
「聖剣を返せ!」
叫びながら、レオンハルトは魔剣【傲岸不遜】を振り下ろした。それを、魔王は片手に持った剣で受け止めた。魔王の足元の床にヒビが走る。
「ふん……。あれは戦利品だ。私はあれの所持者に勝った。だから、それを持つ権利がある。欲しければ、私に勝つことだな……」
魔王はそういって、魔王は顔の前でなにかを握りしめた。それは魔王の頭を射抜こうとした一本の矢だった。それをみて、僕の隣でスクエラが舌打ちした。
「惜しい! あとちょっとだったのに!」
「……」魔王は表情を変えずに矢をへし折ると、ぎょろりと眼球だけを動かして、レオンハルトを見た。
「お前たち、弱すぎるぞ……」
「なんだと?」
「場がしらけるだけだ……。あまりにも弱い者は、間引いてもかまわないな?」
「させるものか……! 【増加】ッ……!」
「……」
レオンハルトは魔剣の重量を増したのだろう。たしかに、その剣を受け止める魔王の足元のひび割れは少しずつ、大きくなっている。
それでも魔王は、剣を持つ手をふくめて、微動だにしていない。
魔王はレオンハルトの剣を「邪魔な木の枝」程度にしか思っていないような、ゆったりとした動作で払いのけた。子供の手を払いのけるような、何でもない感じで。
そうして、全力で踏み込んでいたレオンハルトが、バランスを崩した隙に、魔王はレオンハルトを踏んだ。床のひび割れが増える。レオンハルトはジタバタと手足を動かしているものの、立ち上がることはできないようだ。
魔王は顔をあげて僕たちをみた。
「最後に言い残すことはあるか……。一分くらいは待ってやる……」
「余裕、ですね」キャリオ様がいった。声が震えている。「私たちなどいつでも殺せると?」
「そうだ。それが事実だ……」
「それは傲慢。驕りというものです。巫女として断言します。あなたは敗北します。私たちの前に。為すすべもなく」
「……言葉だけは立派だが、中身が伴っていない。それを言ったのが、この勇者ならともかく、」魔王はそういって、レオンハルトを踏みつける足を少しひねった。「ただ立っているだけの巫女ではな……。説得力がない」
「それはあなたが聞く耳を持っていないだけです」
「違うな……。人任せにしている者の言葉など、所詮は戯言でしかないのだよ、巫女。お前はまだ命を張っていない。私の命を狙うのなら、殺される覚悟もあってしかるべきだ。お前はできているのか? 本当に? ……私にとって、お前たちの命は路傍の石にも等しい」
「覚悟などと、ずいぶんと親身になってくれるのですね。覚悟ができていなければ、帰してくださるのですか?」
「逆だ。覚悟のないものは殺す。私の世界に、石ころは不要だ。ここにあるべきものは、私と、私を殺す者のみだ」
「殺伐としすぎではありませんか?」
「それがあるべき姿だ。……さて、一分経った。言い残す言葉を聞こう」
キャリオ様は黙った。そのまましばらく、誰も口を開かなかった。
魔王は嘆息した。
「辞世の句はなしか。残念だが、いいだろう。覚悟ができているものとして、扱おう……」




