深紅の世界、1
僕たちは門を越えた。
今度は手をつながなかった。この門は強制的に転移魔術させるための、アーティファクトの一種だ。下手に手なんかつないでいたら、誰かの身体がねじきれてしまう。僕がそういうと、みんなとてもイヤそうな顔で僕をにらんだ。
おかしいな、正直に言っただけなのに……。
門は、非常に気味の悪い代物だった。ゲームでは気づかなかったけれど、表面に黒いどろどろとした粘液のようなものが張っている。それは輪っかにした針金にシャボン液をつけたようなもので、つまりは幕が張ってあるのだ。僕たちはそのどろどろの幕に身をひたして最深部に侵入した。
一瞬、視覚がおかしくなったのかと思った。
そこは玉座の間だった。ファンタジーゲームでよく見かけるような王様がいる城の大広間。
もっともそれが僕たちを混乱させた主たる原因ではない。行き先がこうであることはすでに伝えていたからだ。
混乱の原因は、色彩すべてがいきなりモノトーンになっていたからだ。
正確にいえば、すべてが紅色だった。光加減や濃淡はあるものの、色相自体はすべて同じ、血のような紅だった。
「ご機嫌よう……」
陰気な声が、広間の奥から聞こえてきた。同時に、広間の燭台にぽつぽつと明かりが灯っていく。すべて紅色の光を放っていた。
その光で、玉座に座っている男が浮かび上がった。
人間だった。少なくとも見た目は人間だった。
やつれた男が狭そうに玉座に腰かけている。年寄りではなさそうだが、ひどい猫背で、眼光はぎらぎらと鋭い。顔中に木の幹のように皺が走り、髪の毛は枯木の枝のようにごわごわと広がっている。
「いち、にい、さん……。八人か……。そうか、お前たちが私の『終わり』か……」
「なに?」レオンハルトが男の言葉に反応した。驚いたことにその声はちっとも震えていなかった。「どういう意味だ?」
「答える義理はない……。私はただ、示された運命に抗うだけだ……。面倒なことだがな……」
男は立ち上がった。
そのときにようやくわかったのだが、彼のもっとも特異な点は、猫背でも、眼光でも、皺や髪でもなく、その身長だった。優に三メートルは下らない。
「我が名は【深紅の悪魔】……。お前たちがつけた名だ……。その名にふさわしい地獄をみせてやらねば……」
魔王は紅の剣を持っていた。
はるか遠い間合いのはずなのに、彼は剣を構えた。素人が木を切ろうと斧を思いきり振りかぶるような、およそ洗練とは程遠い動きだった。
レオンハルトは叫んだ。
「避けろ!」
魔王が剣を振り下ろした。
決して速くはない。農夫がクワを振り下ろすのと同じくらい。速くはない。
ただ、気づけばすでに振り下ろされていた。
その剣は、見た目に反して極めて長いようだった。つまり、見えない刀身があった。剣をふるのと同時に壁や天井が、がりがりと削れる音がした。その亀裂は、部屋の端にいる僕たちのところまであっという間に到達した。
レオンハルトは、すぐ近くにいたキャリオ様とスクエラを両手に抱えて、ジャンプした。剣閃は斜めに伸びてくる。左右に移動するだけで十分に避けられる。
イニチェは、レオンハルトのように、ユンとフロイを両脇に抱え、反対方向へ回避した。
これは僕の主観だけれど、リズリーは避けきれそうもなかったので、僕はリズリーを蹴とばして、その反動で剣を避けた。
結果、魔王の初撃は誰も食らうことなく空を切った。いや、天井と壁と床を切っただけだった。
「うーむ……?」魔王は剣を床から引き抜いた。「今回は、少々……期待外れか。なんともまあ、ずいぶんと……お粗末な連中だな……」
「あれが、【暁の聖剣】なのか?」レオンハルトは魔王を無視して、僕に尋ねた。「全然、聖剣っぽくねえな」
「聖剣じゃないからね……。え、見たことあるだろ?」
勇者の称号は、【暁の聖剣】に認められるかどうかで決まる。レオンハルトが聖教会に勇者として認められているということは、少なくとも一回は、レオンハルトは聖剣に触れたことがあるということだ。
「まさかとは思うけど、覚えてないのか?」
一拍おいて、レオンハルトは肩をすくめた。
「冗談じゃないか」
「そんなトーンじゃなかったけど……」
「おい、魔王!」レオンハルトはいきなり叫んだ。「聖剣はどこにある!」
僕は内心で舌打ちした。
「ああもう、この馬鹿!」
いや、やっぱり声に出ていた。
レオンハルトはじろっと僕をにらんだ。
「聞こえてるぞ、クリム」
「そりゃね。聞こえたでしょうよ。思わず声に出ちゃったんだから。……馬鹿じゃないの?」
「なんでだよ?」
「……」僕は黙って魔王を指さした。「いまのがヒントになった」
魔王は玉座の裏に手を伸ばし、何かを引き抜くような動作をした。そして再び腕をあげた時には、その手に一本が握られていた。
「これが聖剣か……」
「そうだ!」レオンハルトは叫んでから、僕をみた。「……そうだな?」
僕は腕組みしたまま舌打ちした。
「なんということだ……!」レオンハルトは息をのんだ。「聖剣が魔王の手に渡ってしまった……!」
「君のせいでね」
「そうか、これがお前たちの目的なのだな……」魔王は聖剣を掲げあげ、猫背気味だった背筋を伸ばした。「この剣は私ではどうやっても使えなかった。お前たちはこれを求めていて、私には使えない……。ならば、対処はおのずと決まる」
魔王はそういうと、口を開き、聖剣を飲み込んだ。
「これで私を倒すまで、聖剣とやらはお預けだ……」
「なんてこった!」レオンハルトは叫んだ。「聖剣が魔王に喰われちまった!」
「君のせいでね」
「悪かったよ! いちいちうるさいぞ、クリム!」




