夜の世界、8
レオンハルトが大声を出したせいで魔物が寄ってきてしまったりもしたけれど(レオンハルトは僕のせいだと言っていたが、ひどい言いがかりだ)、僕たちは順調に最深部へと近づいていった。
最深部へ進むにつれて、魔力は徐々に濃くなっていく。昔……つまり転生する前に、高圧環境下で作業するダイバーの話を聞いたことがある。水圧が高すぎる環境での作業は、加圧とか減圧の準備段階があるとかいう話だ。
高圧環境では、酸素ボンベも特殊で、中に入っているのはただの空気ではなく、作業環境と同様の高圧で圧縮しているらしい。そうじゃないと、水圧に負けて肺がつぶれてしまうからだ。で、その空気を吸うと、高圧のせいでドロドロとした感覚をもたらすらしい。
……僕たちが味わっている感覚もそれに近いのかもしれない。
「……気持ち悪い」
後ろの方でそういうユンの声が聞こえた。元気いっぱいに言っているわけではないのだが、よく聞こえた。
周囲が静かすぎるのだ。三人だけでさまよっていた時も、静かではあったけれど、その時はまだ潜んでいる魔物がいた。けれど、その数もどんどん減ってきている。
魔力はエネルギー源には違いない。しかし、濃くなりすぎると、エネルギーが強すぎて大抵の生命にとっては毒になる。進化をへて魔力を運用できるようになった魔物はある程度耐性があるけれど、それでも限度がある。
ある意味では、『魔物』と呼ぶのに最もふさわしい生物は、人間だということもできるだろう……。
「……なに神妙な顔してるの?」気づけばすぐ隣にスクエラがいた。「あんまり見たことない顔だわ」
「人が一生懸命考えてる顔をのぞかないでほしいな」
「なに考えてたの、クリム?」けろっとした様子でスクエラは言った。まるで聞いちゃいない。
「んー、こんなに魔力が濃いのに魔物がいないなんて、やっぱり不思議だよなあ、と思ってね」
「いなくていいわ。戦わなくて済むもの」
「それはそうだね」
「あとどれくらいで着くの?」
「たぶん、一時間くらい」
「そう……。そこに魔王がいるのね?」
「そう。レベル9の魔物がいるんだ」
「私たち、勝てる?」
「どうかな……。ベストメンバーだとは思うけど」
「シャルロット様もいないのに?」
「『本』でもシャルロット様はいなかったよ」
「『本』では、どうやって勝ったの?」
「秘密」
「なんでよ!」スクエラはいーっと歯をむき出して、僕をにらんだ。「教えてくれたっていいじゃない」
「意味ないんだよ。メンバーが全然違うもん」
「え、そうなの?」スクエラはつかんでいた僕の肩をパッと離した。「誰がいたの?」
「……それを言いたくなくて、黙ってるんだけど」
本……つまり、ゲームでの主人公パーティーはレオンハルト、キャリオ、リズリーが固定メンバーだ。他のイベントで増やした仲間が加入することもあるが、スクエラが仲間になるルートはない。スクエラはそもそもゲームのプレイアブルキャラクターではない。NPCとしてはどこかに登場したかもしれないが、僕の記憶にはない。ちなみにそういう意味では『クリム・ホワイト』も少なくともプレイアブルキャラクターではない。
「いまここにない可能性について、あーだこーだ言っても仕方ないでしょ?」
「……煙に巻こうとしてない?」
「……わかる?」
「きぃーーーっ! もう! クリムの意地悪!」
僕がにやっと笑うと、スクエラはぽかぽかと殴ってきた。
笑っていると、レオンハルトからお叱りの声が飛んできた。
「おい、そこの二人、うるさいぞ。イチャイチャするな」
「気のせいですよ」
「そーよ、気のせいよ。自分がモテないからってひがまないでよ」
「あんまり言ったら、気の毒だよ、スクエラ」
「あら、ごめんなさい。そうよね、本当のこと言っちゃあ、ダメよね?」
「覚えてろよ、お前ら……!」
本格的にレオンハルトがキレそうな気配がしたので、僕たちは少し静かにすることにした。
「ここってさ、」スクエラがいった。少しトーンが落ちていた。「クリムの実家の近くの並木道に似てない?」
「え? そう?」僕はそういわれてもピンとこなかった。「こんなに殺風景な道じゃなかったでしょ?」
「冬の早朝は、これくらい静かだったわ」
「……僕が朝弱いって忘れちゃった?」
「起きろ、クリム。一人で起きれんようでは、立派な貴族にはなれんぞ……!」
「それ、父上の真似?」
「そ。お義父さまの真似」スクエラはししっと笑った。「似てた?」
「身長が足りないかな」
「厳しすぎじゃない? それは……」
スクエラはくすくすと笑って、また静かなトーンに戻った。
「ちょっと、暗い話、してもいい?」
「いいよ。今、最高に暗い目に遭おうとしてるし。ちょうどいいんじゃない?」
「なにそれ? ……私の家がつぶれたって、知ってたっけ?」
「うん。だいぶ前に聞いた」
「じゃあ、私たちの婚約がどういうものだったか……、察しはついてる?」
「まあね」
僕とスクエラの婚約は親同士が決めたものだ。当時は子供だったから、特に何も思わなかったけれど、ある意味取引めいたものがあったのだろうと思っている。つまり、僕の実家が、スクエラの実家を援助していたということだ。
別にそのことについて、特別腹を立てているわけではない。少なくとも、今はそういうものだったと思っている。貴族社会ではそれなりにあることだ。スクエラを商品のように扱っている気がして、思い返すたびに多少むかつくけれど、エイコーン家からすれば「スクエラ一人を別の家に婚約者として差し出せば、暮らしが安泰になる」と思ったとすれば、そう責められることでもない。父上も領主だから、それが楽な仕事ではないことを、僕は知っている。
まあ、スクエラを婚約者にして援助されておきながらもエイコーン家はつぶれたことを思うと、父上と同列に扱うべきではないような気もするけれど。
「じゃあ、私のことを、かわいそうな子だって、思ってる?」
「……それは、いつの話?」
「全部」スクエラは即答した。
「全部かあ」僕は笑った。「君は相変わらず欲張りだ」
「私、食い意地は張ってないもん」
「……そんなことは言ってないけど?」
「重いっていったじゃない。こないだ」
教会で抱きついてきた時の話だろうか。
「えーと……、言ってないよ?」
「言ったもん。私、覚えてるんだから」
「……それ、言わなかったことにできない? 謝るから……」
「手、繋いでくれたら、いいけど」
「イチャイチャするな、って言われないかな?」
「うるさくしてなかったら、大丈夫でしょ」
「そうだね」
僕は観念して、手を差し出した。スクエラはすぐに僕の手を取った。
「手をつなぐの、久しぶりね」
「いや、スカーレットに入る前につないだじゃん」
「……その前は、シャルロット様に初めてあった日、以来かしら?」
僕はびっくりした。
「よくそんなの覚えてるね」
「そりゃね。……で?」
「なにが?」
「私のこと、かわいそうって思ってるの?」
「ああ……。思ってると、思うよ。たぶん」
「たぶん?」スクエラは僕の手をぎゅっと握った。痛い。「どういう意味?」
「え、ええと、それはね……。ちょっと痛いんだけれども……」
「我慢して」
「……つまり、今はそんなに思ってないってこと。昔ほどは思ってない」
「じゃあ、今はどう思ってるの?」
「今は……」
僕はスクエラをみた。スクエラも僕をみている。
「頭なでてもいい?」
「ダメ」
「君のそういうところ、まだよくわからないなあ……」
「真面目に答えてほしいんだけど?」
「頭なでたいって思ってるよ」
スクエラはまた僕の手をぎりぎりと握った。
「真面目にって言ったのが、聞こえなかったの?」




