夜の世界、1
声も出なかった。
全身の血液が逆流しているような気分だった。
恐怖で身体がこわばって動かなかった。
恐ろしいほどの沈黙の中で、僕は息を吸って、吐いて、ようやく動けるようになった。
「レオンハルト……」僕は自分の声をどこか他人事のように聞いていた。「たしか……あっちに正規の入り口がある。みんなであっちから入るんだ」
そういって、僕は一歩を踏み出した。足を止めずに振り返ってレオンハルトを見た。
「止めるなよ」
レオンハルトは入口を指さした。
「行け」
「ありがとう」
後ろでレオンハルトがため息まじりに「またか……」というのを聞きながら、僕は『トラップの入り口』の暗闇の中に飛び込んだ。
アルテミスを起動し、仮面をつけた。
しばらくの間、何も起こらなかった。
そう感じた。
けれどもそれは僕の錯覚で、実際には落下していることが、徐々に強くなる風切り音でわかった。
その暗闇に、なんだかデジャヴを感じた。
つい最近、こんな暗闇の中を延々と落下し続けたような気がする。
しかし、その心当たりはなく、追及している時間もない。
スクエラとフロイの姿は見つからない。二人も落下しているはずだ。
下をみれば、遙か下には地面がある。
おそらく、まだ、ギリギリ、地面には落ちていないはずだ。きっと……。
僕はカートリッジ一本分の魔力を使って、周辺に魔力をとばしてアクティブソナーを実施した。
二人はすぐに見つかった。
二人一緒に、僕のほぼ真下を落ちている。地面まであと、大体20メートルくらいか。
僕は500メートルにいる。
あと一回でも、意味もなく瞬きでもしようものなら、二人は死んでしまうだろう。
――ちらりと、誰かが笑った顔が脳裏にちらついた――。
気づいた時にはすでに、僕は二人の服をつかんでいた。
おそらく、僕は転移魔術を使用したのだろう。
それ以外に500メートル近い距離を一瞬の間もなく移動することなどできるはずもない。
二人をつかんで、再度転移魔術を使用し、勢いを殺し、再々度使用して着地した。
比較的、安全な場所に。
「クリ、むごっ――?」僕はスクエラの口をふさいだ。
また魔力が濃くなっている。気配は読みづらいが、強力な魔物が「どこかにいる」気配がした。
不用意に音を立てるべきじゃない。
フロイをみると、自分で口をふさいでいた。私は何も言いません、という意味だろう。
フロイのリュックにかみついていた狼型の魔物は、すでに死んでいた。スクエラが落下中に仕留めたのだろう。小型だが、レベル4くらいではないだろうか。フロイにも怪我はなさそうだ。
すごいね、とスクエラを褒めようとして、ぎょっとした。よくみると、スクエラは左腕をかまれていた。ひじのあたりだろうか。そこから先の防寒具が血で真っ赤に染まっていた。
僕が驚いているのに気づいて、スクエラは「えへへ……」と苦笑して、頬をかいた。
(もう少し、上手くやれると、思ったんだけどね……。失敗、しちゃった……)
そう小さな声でささやいた。時々、痛みに顔をしかめながら。
どうやら、傷はかなり深いらしい。
僕は一度周囲の様子を確認した。
空は夜のように暗闇に覆われている。星明りはない。しかし、どういう理屈かわからないが雪原そのものは見渡すことができる。紅いオーロラも影も形もない。さっきまでいた薄暗い雪原と地続きではないということか。
視線を地面に戻すと、やはり紅い雪が積もった雪原が延々と続いていて、僕たちはその中にあった岩陰に隠れている。
魔物が少なくとも一体、近くにいる。姿は見えないが、それは身を隠しているだけだ。おそらくレベル6以上。
だが、動きはない。ひとまずは気づかれていないと思っていいだろうか……。
(応急処置をしよう。服を切るよ)
スクエラはうなずいた。服を切って、負傷箇所を露出させた。フロイは息をのみ、目をそむけたようだった。
まず傷口を大量の水で洗浄した。魔術で水を生成し、後で化膿したりしないよう丁寧に洗った。
傷は深い。どう見ても放っておいて血が止まるとは思えなかった。
(縫合しようと思う)
僕がそういうと、スクエラはこくりとうなずいた。
僕が魔術で縫合用の針と糸を生成している間に、フロイはリュックからタオルを取り出してスクエラに渡した。スクエラは微笑んでそれを受けとり、それを噛んだ。
僕は素早く傷口を縫った。
いつ魔物が来ても気づけるように、警戒しながら。
その間、スクエラは一切、声を漏らさなかった。
ほんの一分か二分くらいだったと思うけれど、終わった時にはぐったりとしているように見えた。
(終わったよ。あとは、キャリオ様に診てもらおう)
スクエラはぎこちなく微笑んだ。
さて……、どっちへ行けばレオンハルトたちと合流できるだろう?




